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日语《我是猫》第九章

2023-02-16 09:27 作者:日本异文化  | 我要投稿

九 主人は痘痕面あばたづらである。御維新前ごいっしんまえはあばたも大分だいぶ流行はやったものだそうだが日英同盟の今日こんにちから見ると、こんな顔はいささか時候後おくれの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその迹あとを絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえども毫ごうも疑を挟さしはさむ余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっ面つらを有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人が即すなわち主人である。はなはだ気の毒である。 吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面おくめんなく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利きいたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退のきを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑がんとして動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天ちゅうてんに挽回ばんかいせずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風おうふうに顔一面を占領しているのか知らん。そうするとこのあばたは決して軽蔑けいべつの意をもって視みるべきものでない。滔々とうとうたる流俗に抗する万古不磨ばんこふまの穴の集合体であって、大おおいに吾人の尊敬に値する凸凹でこぼこと云って宜よろしい。ただきたならしいのが欠点である。 主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯あさだそうはくと云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡を続ついだら葛根湯かっこんとうがアンチピリンに化けるかも知れない。かごに乗って東京市中を練りあるくのは宗伯老の当時ですらあまり見っともいいものでは無かった。こんな真似をして澄すましていたものは旧弊な亡者もうじゃと、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。 主人のあばたもその振わざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固がんこな主人は依然として孤城落日のあばたを天下に曝露ばくろしつつ毎日登校してリードルを教えている。 かくのごとき前世紀の紀念を満面に刻こくして教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大だいなる訓戒を垂れつつあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作ぞうさもなく解釈して、不言ふげんの間かんにその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁あかつきには彼等生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人エジプトじんを髣髴ほうふつすると同程度の労力を費ついやさねばならぬ。この点てんから見ると主人の痘痕あばたも冥々めいめいの裡うちに妙な功徳くどくを施こしている。 もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡ほうそうを種うえ付けたのではない。これでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつの間まにか顔へ伝染していたのである。その頃は小供の事で今のように色気いろけもなにもなかったものだから、痒かゆい痒いと云いながら無暗むやみに顔中引き掻かいたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと云っている。浅草の観音様かんのんさまで西洋人が振り反かえって見たくらい奇麗だったなどと自慢する事さえある。なるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが残念である。 いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心ものごころがついて以来と云うもの主人は大おおいにあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態を揉もみ潰つぶそうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからと云うてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度毎にあばた面づらを勘定してあるくそうだ。今日何人あばたに出逢って、その主ぬしは男か女か、その場所は小川町の勧工場かんこうばであるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んである。彼はあばたに関する智識においては決して誰にも譲るまいと確信している。せんだってある洋行帰りの友人が来た折なぞは、「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多めったにないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした。友人は気のない顔で「あっても乞食か立たちん坊ぼうだよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った。 哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立て籠こもってしきりに何か考えている。彼の忠告を容いれて静坐の裡うちに霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手ふところでばかりしていては碌ろくな結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節らっぱぶしでも習った方が遥はるかにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈へんくつな男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣きづかいはないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。 今日はあれからちょうど七日目なぬかめである。禅家などでは一七日いちしちにちを限って大悟して見せるなどと凄すさまじい勢いきおいで結跏けっかする連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側えんがわから書斎の入口まで来て室内の動静を偵察ていさつに及んだ。 書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机が据すえてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机である。無論出来合のものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼けん机として製造せしめたる稀代きたいの品物である。何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見りょうけんを起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓とんとわからない。ほんの一時の出来心で、かかる難物を担かつぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出みいだすごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子ひょうしに椽側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである。 机の前には薄っぺらなメリンスの座布団ざぶとんがあって、煙草たばこの火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後うしろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯へこおびをこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。この帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。滅多めったに寄り付くべき帯ではない。 まだ考えているのか下手へたの考と云う喩たとえもあるのにと後うしろから覗のぞき込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続け様に二三度瞬まばたきをしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう。鏡と云えば風呂場にあるに極きまっている。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼は他ほかの事に無精ぶしょうなるだけそれだけ頭を叮嚀ていねいにする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はない。必かならず二寸くらいの長さにして、それを御大ごたいそうに左の方で分けるのみか、右の端はじをちょっと跳はね返して澄すましている。これも精神病の徴候かも知れない。こんな気取った分け方はこの机と一向いっこう調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云う訳わけである。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕しんしょくせるのみならず、とくの昔むかしに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくら撫なでても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍ほたるを放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意ぎょいに入らんのは勿論もちろんの事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝あばくにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済ないさいにしたいくらいなところだから、ただで生はえる毛を銭ぜにを出して刈り込ませて、私は頭蓋骨ずがいこつの上まで天然痘てんねんとうにやられましたよと吹聴ふいちょうする必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以ゆえんで、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。 風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病りこんびょうに罹かかったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔むかし或る学者が何とかいう智識を訪とうたら、和尚おしょう両肌を抜いで甎かわらを磨ましておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵ののしったと云うから、主人もそんな事を聞き噛かじって風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。大分だいぶ物騒になって来たなと、そっと窺うかがっている。 かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子ようすをもって一張来いっちょうらいの鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜蝋燭ろうそくを立てて、広い部屋のなかで一人鏡を覗のぞき込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などは始めて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天ぎょうてんして屋敷のまわりを三度馳かけ回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔が怖こわくなるに相違ない。ただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」と独ひとり言ごとを云った。自己の醜を自白するのはなかなか見上げたものだ。様子から云うとたしかに気違の所作しょさだが言うことは真理である。これがもう一歩進むと、己おのれの醜悪な事が怖こわくなる。人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えない。苦労人でないととうてい解脱げだつは出来ない。主人もここまで来たらついでに「おお怖こわい」とでも云いそうなものであるがなかなか云わない。「なるほどきたない顔だ」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっと頬ほっぺたを膨ふくらました。そうしてふくれた頬っぺたを平手ひらてで二三度叩たたいて見る。何のまじないだか分らない。この時吾輩は何だかこの顔に似たものがあるらしいと云う感じがした。よくよく考えて見るとそれは御三おさんの顔である。ついでだから御三の顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものである。この間さる人が穴守稲荷あなもりいなりから河豚ふぐの提灯ちょうちんをみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚提灯ふぐちょうちんのようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので眼は両方共紛失している。もっとも河豚のふくれるのは万遍なく真丸まんまるにふくれるのだが、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格通りにふくれ上がるのだから、まるで水気すいきになやんでいる六角時計のようなものだ。御三が聞いたらさぞ怒おこるだろうから、御三はこのくらいにしてまた主人の方に帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもって頬ほっぺたをふくらませたる彼は前ぜん申す通り手のひらで頬ほっぺたを叩きながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも眼につかん」とまた独ひとり語ごとをいった。 こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つ。やっぱりまともに日の向いてる方が平たいらに見える。奇体な物だなあ」と大分だいぶ感心した様子であった。それから右の手をうんと伸のばして、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近過ぎるといかん。――顔ばかりじゃない何でもそんなものだ」と悟ったようなことを云う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額や眉まゆを一度にこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快な容貌ようぼうが出来上ったと思ったら「いやこれは駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々そうそうやめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審の体ていで鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人指しゆびで小鼻を撫なでて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取すいとり紙がみの上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻の膏あぶらが丸まるく紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹とまつした指頭しとうを転じてぐいと右眼うがんの下瞼したまぶたを裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退のけた。あばたを研究しているのか、鏡と睨にらめ競くらをしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見える。それどころではない。もし善意をもって蒟蒻こんにゃく問答的もんどうてきに解釈してやれば主人は見性自覚けんしょうじかくの方便ほうべんとしてかように鏡を相手にいろいろな仕草しぐさを演じているのかも知れない。すべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川さんせんと云い日月じつげつと云い星辰せいしんと云うも皆自己の異名いみょうに過ぎぬ。自己を措おいて他に研究すべき事項は誰人たれびとにも見出みいだし得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自己が分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だ。朝あしたに法を聴き、夕ゆうべに道を聴き、梧前灯下ごぜんとうかに書巻を手にするのは皆この自証じしょうを挑撥ちょうはつするの方便ほうべんの具ぐに過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至ないしは五車ごしゃにあまる蠧紙堆裏としたいりに自己が存在する所以ゆえんがない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無霊むれいより優るかも知れない。影を追えば本体に逢着ほうちゃくする時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているなら大分だいぶ話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑うのみにして学者ぶるよりも遥はるかにましだと思う。 鏡は己惚うぬぼれの醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動せんどうする道具はない。昔から増上慢ぞうじょうまんをもって己おのれを害し他を戕そこのうた事蹟じせきの三分の二はたしかに鏡の所作しょさである。仏国革命の当時物好きな御医者さんが改良首きり器械を発明して飛んだ罪をつくったように、始めて鏡をこしらえた人も定めし寝覚ねざめのわるい事だろう。しかし自分に愛想あいその尽きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はない。妍醜瞭然けんしゅうりょうぜんだ。こんな顔でよくまあ人で候そうろうと反そりかえって今日こんにちまで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間の生涯しょうがい中もっともありがたい期節である。自分で自分の馬鹿を承知しているほど尊たっとく見える事はない。この自覚性じかくせい馬鹿ばかの前にはあらゆるえらがり屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂然こうぜんとして吾を軽侮けいぶ嘲笑ちょうしょうしているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げている事になる。主人は鏡を見て己おのれの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかし吾が顔に印せられる痘痕とうこんの銘めいくらいは公平に読み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤いやしきを会得えとくする楷梯かいていにもなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ。 かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分だいぶ充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼まぶたをこすり始めた。大方おおかた痒かゆいのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こう擦こすってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛しおだいの眼玉のごとく腐爛ふらんするにきまってる。やがて眼を開ひらいて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北国の冬空のように曇っていた。もっとも平常ふだんからあまり晴れ晴れしい眼ではない。誇大な形容詞を用いると混沌こんとんとして黒眼と白眼が剖判ほうはんしないくらい漠然ばくぜんとしている。彼の精神が朦朧もうろうとして不得要領底ていに一貫しているごとく、彼の眼も曖々然あいあいぜん昧々然まいまいぜんとして長とこしえに眼窩がんかの奥に漂ただようている。これは胎毒たいどくのためだとも云うし、あるいは疱瘡ほうそうの余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になった事もあるそうだが、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐かいあらばこそ、今日こんにちまで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない。彼の眼玉がかように晦渋溷濁かいじゅうこんだくの悲境に彷徨ほうこうしているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明ふとうふめいの実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛あんたんめいもうの極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚ぐなるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭てんぽうせんのごとく穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。 今度は髯ひげをねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとって生はえている。いくら個人主義が流行はやる世の中だって、こう町々まちまちに我儘わがままを尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここに鑑かんがみるところあって近頃は大おおいに訓練を与えて、出来る限り系統的に按排あんばいするように尽力している。その熱心の功果こうかは空むなしからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになって来た。今までは髯が生はえておったのであるが、この頃は髯を生やしているのだと自慢するくらいになった。熱心は成効の度に応じて鼓舞こぶせられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとって主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯ひげに向って鞭撻べんたつを加える。彼のアムビションは独逸ドイツ皇帝陛下のように、向上の念の熾さかんな髯を蓄たくわえるにある。それだから毛孔けあなが横向であろうとも、下向であろうとも聊いささか頓着なく十把一じっぱひとからげに握にぎっては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否いやでも応でもさかに扱こき上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性ほんせいを撓ためて、僕の手柄を見給えと誇るようなもので毫ごうも非難すべき理由はない。 主人が満腔まんこうの熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性の御三おさんが郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎の中うちへ出した。右手みぎに髯をつかみ、左手ひだりに鏡を持った主人は、そのまま入口の方を振りかえる。八の字の尾に逆さか立だちを命じたような髯を見るや否や御多角おたかくはいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜おかまの蓋ふたへ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠々ゆうゆうと鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある。読んで見ると 拝啓愈いよいよ御多祥奉賀候がしたてまつりそろ回顧すれば日露の戦役は連戦連勝の勢いきおいに乗じて平和克復を告げ吾忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声裡りに凱歌を奏し国民の歓喜何ものか之これに若しかん曩さきに宣戦の大詔煥発たいしょうかんぱつせらるるや義勇公に奉じたる将士は久しく万里の異境に在ありて克よく寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事し命めいを国家に捧げたるの至誠は永く銘して忘るべからざる所なり而しこうして軍隊の凱旋は本月を以て殆ほとんど終了を告げんとす依って本会は来る二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区民一般を代表し以て一大凱旋祝賀会を開催し兼て軍人遺族を慰藉いしゃせんが為め熱誠之これを迎え聊いささか感謝の微衷びちゅうを表し度たく就ついては各位の御協賛を仰ぎ此盛典を挙行するの幸さいわいを得ば本会の面目不過之これにすぎずと存候そろ間何卒なにとぞ御賛成奮ふるって義捐ぎえんあらんことを只管ひたすら希望の至に堪たえず候そろ敬具 とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過の後のち直ちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている。義捐などは恐らくしそうにない。せんだって東北凶作の義捐金を二円とか三円とか出してから、逢う人毎ごとに義捐をとられた、とられたと吹聴ふいちょうしているくらいである。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないには極きまっている。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当である。しかるにも関せず、盗難にでも罹かかったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だと云って、いかに華族様の勧誘だと云って、強談ごうだんで持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙くらいで金銭を出すような人間とは思われない。主人から云えば軍隊を歓迎する前にまず自分を歓迎したいのである。自分を歓迎した後あとなら大抵のものは歓迎しそうであるが、自分が朝夕ちょうせきに差さし支つかえる間は、歓迎は華族様に任まかせておく了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版だ」と云った。 時下秋冷の候こうに候そろ処貴家益々御隆盛の段奉賀上候がしあげたてまつりそろ陳のぶれば本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨げられ一時其極に達し候得共そうらえども是れ皆不肖針作ふしょうしんさくが足らざる所に起因すと存じ深く自みずから警いましむる所あり臥薪甞胆がしんしょうたん其の苦辛くしんの結果漸ようやく茲ここに独力以て我が理想に適するだけの校舎新築費を得るの途を講じ候そろ其そは別義にも御座なく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の義に御座候そろ本書は不肖針作しんさくが多年苦心研究せる工芸上の原理原則に法のっとり真に肉を裂き血を絞るの思を為なして著述せるものに御座候そろ因よって本書を普あまねく一般の家庭へ製本実費に些少さしょうの利潤を附して御購求ごこうきゅうを願い一面斯道しどう発達の一助となすと同時に又一面には僅少きんしょうの利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心算つもりに御座候そろ依っては近頃何共なんとも恐縮の至りに存じ候えども本校建築費中へ御寄附被成下なしくださると御思召おぼしめし茲ここに呈供仕候そろ秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分与被成下候なしくだされそろて御賛同の意を御表章被成下度なしくだされたく伏して懇願仕候そろ匇々そうそう敬具 大日本女子裁縫最高等大学院 校長 縫田針作ぬいだしんさく 九拝 とある。主人はこの鄭重ていちょうなる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠くずかごの中へ抛ほうり込んだ。せっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆も何の役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかかる。第三信はすこぶる風変りの光彩を放っている。状袋が紅白のだんだらで、飴あめん棒ぼうの看板のごとくはなやかなる真中に珍野苦沙弥ちんのくしゃみ先生虎皮下こひかと八分体はっぷんたいで肉太に認したためてある。中からお太たさんが出るかどうだか受け合わないが表おもてだけはすこぶる立派なものだ。 若もし我を以て天地を律すれば一口ひとくちにして西江せいこうの水を吸いつくすべく、若もし天地を以て我を律すれば我は則すなわち陌上はくじょうの塵のみ。すべからく道いえ、天地と我と什麼いんもの交渉かある。……始めて海鼠なまこを食い出いだせる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚ふぐを喫きつせる漢おとこは其勇気に於おいて重んずべし。海鼠を食くらえるものは親鸞しんらんの再来にして、河豚ふぐを喫せるものは日蓮にちれんの分身なり。苦沙弥先生の如きに至っては只ただ干瓢かんぴょうの酢味噌すみそを知るのみ。干瓢の酢味噌を食くらって天下の士たるものは、われ未いまだ之これを見ず。…… 親友も汝なんじを売るべし。父母ふぼも汝に私わたくしあるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴ふっきは固もとより頼みがたかるべし。爵禄しゃくろくは一朝いっちょうにして失うべし。汝の頭中に秘蔵する学問には黴かびが生はえるべし。汝何を恃たのまんとするか。天地の裡うちに何をたのまんとするか。神? 神は人間の苦しまぎれに捏造でつぞうせる土偶どぐうのみ。人間のせつな糞ぐその凝結せる臭骸のみ。恃たのむまじきを恃んで安しと云う。咄々とつとつ、酔漢漫みだりに胡乱うろんの言辞を弄して、蹣跚まんさんとして墓に向う。油尽きて灯とう自おのずから滅す。業尽きて何物をか遺のこす。苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。…… 人を人と思わざれば畏おそるる所なし。人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世を憤いきどおるは如何いかん。権貴栄達の士は人を人と思わざるに於て得たるが如し。只ただ他ひとの吾を吾と思わぬ時に於て怫然ふつぜんとして色を作なす。任意に色を作し来れ。馬鹿野郎。…… 吾の人を人と思うとき、他ひとの吾を吾と思わぬ時、不平家は発作的ほっさてきに天降あまくだる。此発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参にんじん多し先生何が故に服せざる。 在巣鴨 天道公平てんどうこうへい 再拝 針作君は九拝であったが、この男は単に再拝だけである。寄附金の依頼でないだけに七拝ほど横風おうふうに構えている。寄附金の依頼ではないがその代りすこぶる分りにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明をもって鳴る主人は必ず寸断寸断ずたずたに引き裂いてしまうだろうと思おもいのほか、打ち返し打ち返し読み直している。こんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味を究きわめようという決心かも知れない。およそ天地の間かんにわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈の出来るものだ。人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる事だ。それどころではない。人間は犬であると云っても豚であると云っても別に苦しむほどの命題ではない。山は低いと云っても構わん、宇宙は狭いと云っても差さし支つかえはない。烏が白くて小町が醜婦で苦沙弥先生が君子でも通らん事はない。だからこんな無意味な手紙でも何とか蚊かとか理窟りくつさえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである。天気の悪るいのになぜグード・モーニングですかと生徒に問われて七日間なぬかかん考えたり、コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫するくらいな男には、干瓢かんぴょうの酢味噌すみそが天下の士であろうと、朝鮮の仁参にんじんを食って革命を起そうと随意な意味は随処に湧わき出る訳である。主人はしばらくしてグード・モーニング流にこの難解な言句ごんくを呑み込んだと見えて「なかなか意味深長だ。何でもよほど哲理を研究した人に違ない。天晴あっぱれな見識だ」と大変賞賛した。この一言いちごんでも主人の愚ぐなところはよく分るが、翻ひるがえって考えて見るといささかもっともな点もある。主人は何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有している。これはあながち主人に限った事でもなかろう。分らぬところには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何だか気高けだかい心持が起るものだ。それだから俗人はわからぬ事をわかったように吹聴ふいちょうするにも係かかわらず、学者はわかった事をわからぬように講釈する。大学の講義でもわからん事を喋舌しゃべる人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人がこの手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。その主旨が那辺なへんに存するかほとんど捕とらえ難いからである。急に海鼠なまこが出て来たり、せつな糞ぐそが出てくるからである。だから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家どうけで道徳経を尊敬し、儒家じゅかで易経えききょうを尊敬し、禅家ぜんけで臨済録りんざいろくを尊敬すると一般で全く分らんからである。但ただし全然分らんでは気がすまんから勝手な註釈をつけてわかった顔だけはする。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである。――主人は恭うやうやしく八分体はっぷんたいの名筆を巻き納めて、これを机上に置いたまま懐手ふところでをして冥想めいそうに沈んでいる。 ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を乞う者がある。声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだが懐手のまま毫ごうも動こうとしない。取次に出るのは主人の役目でないという主義か、この主人は決して書斎から挨拶をした事がない。下女は先刻さっき洗濯せんたく石鹸シャボンを買いに出た。細君は憚はばかりである。すると取次に出べきものは吾輩だけになる。吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓脱くつぬぎから敷台へ飛び上がって障子を開け放ってつかつか上り込んで来た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行ったなと思うと襖ふすまを二三度あけたり閉たてたりして、今度は書斎の方へやってくる。 「おい冗談じょうだんじゃない。何をしているんだ、御客さんだよ」 「おや君か」 「おや君かもないもんだ。そこにいるなら何とか云えばいいのに、まるで空家あきやのようじゃないか」 「うん、ちと考え事があるもんだから」 「考えていたって通れくらいは云えるだろう」 「云えん事もないさ」 「相変らず度胸がいいね」 「せんだってから精神の修養を力つとめているんだもの」 「物好きだな。精神を修養して返事が出来なくなった日には来客は御難だね。そんなに落ちつかれちゃ困るんだぜ。実は僕一人来たんじゃないよ。大変な御客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て逢ってくれ給え」 「誰を連れて来たんだい」 「誰でもいいからちょっと出て逢ってくれたまえ。是非君に逢いたいと云うんだから」 「誰だい」 「誰でもいいから立ちたまえ」 主人は懐手ふところでのままぬっと立ちながら「また人を担かつぐつもりだろう」と椽側えんがわへ出て何の気もつかずに客間へ這入はいり込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然しゅくぜんと端坐たんざして控ひかえている。主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙からかみの傍そばへ尻を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがない。昔堅気むかしかたぎの人は礼義はやかましいものだ。 「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人を促うながす。主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得ていたのだが、その後ごある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間まの変化したもので、上使じょうしが坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑がんと構えているのだから上座じょうざどころではない。挨拶さえ碌ろくには出来ない。一応頭をさげて 「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した。 「いやそれでは御挨拶が出来かねますから、どうぞあれへ」 「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいい加減に先方の口上を真似ている。 「どうもそう、御謙遜ごけんそんでは恐れ入る。かえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」 「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤まっかになって口をもごもご云わせている。精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君は襖ふすまの影から笑いながら立見をしていたが、もういい時分だと思って、後うしろから主人の尻を押しやりながら 「まあ出たまえ。そう唐紙からかみへくっついては僕が坐る所がない。遠慮せずに前へ出たまえ」と無理に割り込んでくる。主人はやむを得ず前の方へすり出る。 「苦沙弥君これが毎々君に噂をする静岡の伯父だよ。伯父さんこれが苦沙弥君です」 「いや始めて御目にかかります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すそうで、いつか参上の上御高話を拝聴致そうと存じておりましたところ、幸い今日こんにちは御近所を通行致したもので、御礼旁かたがた伺った訳で、どうぞ御見知りおかれまして今後共宜よろしく」と昔むかし風な口上を淀よどみなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風な爺じいさんとはほとんど出会った事がないのだから、最初から多少場ばうての気味で辟易へきえきしていたところへ、滔々とうとうと浴びせかけられたのだから、朝鮮仁参ちょうせんにんじんも飴あめん棒の状袋もすっかり忘れてしまってただ苦しまぎれに妙な返事をする。 「私も……私も……ちょっと伺がうはずでありましたところ……何分よろしく」と云い終って頭を少々畳から上げて見ると老人は未いまだに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。 老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷も在あって、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解がかいの折にあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。今来て見るとまるで方角も分らんくらいで、――迷亭にでも伴つれてあるいてもらわんと、とても用達ようたしも出来ません。滄桑そうそうの変へんとは申しながら、御入国ごにゅうこく以来三百年も、あの通り将軍家の……」と云いかけると迷亭先生面倒だと心得て 「伯父さん将軍家もありがたいかも知れませんが、明治の代よも結構ですぜ。昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」 「それはない。赤十字などと称するものは全くない。ことに宮様の御顔を拝むなどと云う事は明治の御代みよでなくては出来ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭でこの通り今日こんにちの総会にも出席するし、宮殿下の御声もきくし、もうこれで死んでもいい」 「まあ久し振りで東京見物をするだけでも得ですよ。苦沙弥君、伯父はね。今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、今日いっしょに上野へ出掛けたんだが今その帰りがけなんだよ。それだからこの通り先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ている。フロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。袖そでが長過ぎて、襟えりがおっ開ぴらいて、背中せなかへ池が出来て、腋わきの下が釣るし上がっている。いくら不恰好ぶかっこうに作ろうと云ったって、こうまで念を入れて形を崩くずす訳にはゆかないだろう。その上白シャツと白襟しろえりが離れ離れになって、仰あおむくと間から咽喉仏のどぼとけが見える。第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然はんぜんしない。フロックはまだ我慢が出来るが白髪しらがのチョン髷まげははなはだ奇観である。評判の鉄扇てっせんはどうかと目を注つけると膝の横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、逢って見ると話以上である。もし自分のあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョン髷まげや鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある。主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いて見たいと思ったが、まさか、打ちつけに質問する訳には行かず、と云って話を途切らすのも礼に欠けると思って 「だいぶ人が出ましたろう」と極きわめて尋常な問をかけた。 「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので――どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。昔むかしはあんなではなかったが」 「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしい事を云う。これはあながち主人が知しっ高振たかぶりをした訳ではない。ただ朦朧もうろうたる頭脳から好い加減に流れ出す言語と見れば差さし支つかえない。 「それにな。皆この甲割かぶとわりへ目を着けるので」 「その鉄扇は大分だいぶ重いものでございましょう」 「苦沙弥君、ちょっと持って見たまえ。なかなか重いよ。伯父さん持たして御覧なさい」 老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷くろだにで参詣人さんけいにんが蓮生坊れんしょうぼうの太刀たちを戴いただくようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した。 「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割かぶとわりと称となえて鉄扇とはまるで別物で……」 「へえ、何にしたものでございましょう」 「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃うちとったものでがす。楠正成くすのきまさしげ時代から用いたようで……」 「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」 「いえ、これは誰のかわからん。しかし時代は古い。建武時代けんむじだいの作かも知れない」 「建武時代かも知れないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったところがね。この甲割が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」 「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、性しょうのいい鉄だから決してそんな虞おそれはない」 「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう云ったから仕方がないです」 「寒月というのは、あのガラス球だまを磨すっている男かい。今の若さに気の毒な事だ。もう少し何かやる事がありそうなものだ」 「可愛想かわいそうに、あれだって研究でさあ。あの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」 「玉を磨すりあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土かんどでは玉人きゅうじんと称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。 「なるほど」と主人はかしこまっている。 「すべて今の世の学問は皆形而下けいじかの学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍さむらいは皆命懸いのちがけの商買しょうばいだから、いざと云う時に狼狽ろうばいせぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯よったりするような容易たやすいものではなかったのでがすよ」 「なるほど」とやはりかしこまっている。 「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手ふところでをして坐り込んでるんでしょう」 「それだから困る。決してそんな造作ぞうさのないものではない。孟子もうしは求放心きゅうほうしんと云われたくらいだ。邵康節しょうこうせつは心要放しんようほうと説いた事もある。また仏家ぶっかでは中峯和尚ちゅうほうおしょうと云うのが具不退転ぐふたいてんと云う事を教えている。なかなか容易には分らん」 「とうてい分りっこありませんね。全体どうすればいいんです」 「御前は沢菴禅師たくあんぜんじの不動智神妙録ふどうちしんみょうろくというものを読んだ事があるかい」 「いいえ、聞いた事もありません」 「心をどこに置こうぞ。敵の身の働はたらきに心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀たちに心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなり。われ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。人の構かまえに心を置けば、人の構に心を取らるるなり。とかく心の置きどころはないとある」 「よく忘れずに暗誦あんしょうしたものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい。長いじゃありませんか。苦沙弥君分ったかい」 「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。 「なあ、あなた、そうでござりましょう。心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」 「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心得ているんですよ。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」 「や、それは御奇特ごきどくな事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」 「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」 「実際遊んでるじゃないかの」 「ところが閑中かんちゅう自おのずから忙ぼうありでね」 「そう、粗忽そこつだから修業をせんといかないと云うのよ、忙中自おのずから閑かんありと云う成句せいくはあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がない。なあ苦沙弥さん」 「ええ、どうも聞きませんようで」 「ハハハハそうなっちゃあ敵かなわない。時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻うなぎでも食っちゃあ。竹葉ちくようでも奢おごりましょう。これから電車で行くとすぐです」 「鰻も結構だが、今日はこれからすい原はらへ行く約束があるから、わしはこれで御免を蒙こうむろう」 「ああ杉原すぎはらですか、あの爺じいさんも達者ですね」 「杉原すぎはらではない、すい原はらさ。御前はよく間違ばかり云って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」 「だって杉原すぎはらとかいてあるじゃありませんか」 「杉原すぎはらと書いてすい原はらと読むのさ」 「妙ですね」 「なに妙な事があるものか。名目読みょうもくよみと云って昔からある事さ。蚯蚓きゅういんを和名わみょうでみみずと云う。あれは目見ずの名目よみで。蝦蟆がまの事をかいると云うのと同じ事さ」 「へえ、驚ろいたな」 「蝦蟆を打ち殺すと仰向あおむきにかえる。それを名目読みにかいると云う。透垣すきがきをすい垣がき、茎立くきたちをくく立、皆同じ事だ。杉原すいはらをすぎ原などと云うのは田舎いなかものの言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」 「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。困ったな」 「なに厭いやなら御前は行かんでもいい。わし一人で行くから」 「一人で行けますかい」 「あるいてはむずかしい。車を雇って頂いて、ここから乗って行こう」 主人は畏かしこまって直ちに御三おさんを車屋へ走らせる。老人は長々と挨拶をしてチョン髷頭まげあたまへ山高帽をいただいて帰って行く。迷亭はあとへ残る。 「あれが君の伯父さんか」 「あれが僕の伯父さんさ」 「なるほど」と再び座蒲団ざぶとんの上に坐ったなり懐手ふところでをして考え込んでいる。 「ハハハ豪傑だろう。僕もああ云う伯父さんを持って仕合せなものさ。どこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。君驚ろいたろう」と迷亭君は主人を驚ろかしたつもりで大おおいに喜んでいる。 「なにそんなに驚きゃしない」 「あれで驚かなけりゃ、胆力の据すわったもんだ」 「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞは大おおいに敬服していい」 「敬服していいかね。君も今に六十くらいになるとやっぱりあの伯父見たように、時候おくれになるかも知れないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの廻り持ちなんか気が利きかないよ」 「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらいんだぜ。第一今の学問と云うものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大に味あじわいがある。心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承わった通りを自説のように述べ立てる。 「えらい事になって来たぜ。何だか八木独仙やぎどくせん君のような事を云ってるね」 八木独仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいた。実はせんだって臥竜窟がりょうくつを訪問して主人を説服に及んで悠然ゆうぜんと立ち帰った哲学者と云うのが取も直さずこの八木独仙君であって、今主人が鹿爪しかつめらしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受売なのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間不容髪かんふようはつの際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮鼻かりばなを挫くじいた訳になる。 「君独仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑けんのんだから念を推おして見る。 「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日こんにちと少しも変りゃしない」 「真理はそう変るものじゃないから、変らないところがたのもしいかも知れない」 「まあそんな贔負ひいきがあるから独仙もあれで立ち行くんだね。第一八木と云う名からして、よく出来てるよ。あの髯ひげが君全く山羊やぎだからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好かっこうで生えていたんだ。名前の独仙なども振ふるったものさ。昔むかし僕のところへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつまで立っても同じ事を繰り返してやめないから、僕が君もう寝ねようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方は大変眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが――その晩鼠ねずみが出て独仙君の鼻のあたまを噛かじってね。夜なかに大騒ぎさ。先生悟ったような事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総身そうしんにまわると大変だ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。それから仕方がないから台所へ行って紙片かみぎれへ飯粒を貼はってごまかしてやったあね」 「どうして」 「これは舶来の膏薬こうやくで、近来独逸ドイツの名医が発明したので、印度人インドじんなどの毒蛇に噛かまれた時に用いると即効があるんだから、これさえ貼っておけば大丈夫だと云ってね」 「君はその時分からごまかす事に妙を得ていたんだね」 「……すると独仙君はああ云う好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きて見ると膏薬の下から糸屑いとくずがぶらさがって例の山羊髯やぎひげに引っかかっていたのは滑稽こっけいだったよ」 「しかしあの時分より大分だいぶえらくなったようだよ」 「君近頃逢ったのかい」 「一週間ばかり前に来て、長い間話しをして行った」 「どうりで独仙流の消極説を振り舞わすと思った」 「実はその時大おおいに感心してしまったから、僕も大に奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」 「奮発は結構だがね。あんまり人の云う事を真まに受けると馬鹿を見るぜ。一体君は人の言う事を何でもかでも正直に受けるからいけない。独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな」 「あれには当人大分だいぶ説があるようじゃないか」 「そうさ、当人に云わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機鋒きほうは峻峭しゅんしょうなもので、いわゆる石火せっかの機きとなると怖こわいくらい早く物に応ずる事が出来る。ほかのものが地震だと云って狼狽うろたえているところを自分だけは二階の窓から飛び下りたところに修業の効があらわれて嬉しいと云って、跛びっこを引きながらうれしがっていた。負惜みの強い男だ。一体禅ぜんとか仏ぶつとか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」 「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。 「この間来た時禅宗坊主の寝言ねごと見たような事を何か云ってったろう」 「うん電光影裏でんこうえいりに春風しゅんぷうをきるとか云う句を教えて行ったよ」 「その電光さ。あれが十年前からの御箱おはこなんだからおかしいよ。無覚禅師むかくぜんじの電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏を逆さかさまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。今度ためして見たまえ。向むこうで落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒てんとうして妙な事を云うよ」 「君のようないたずらものに逢っちゃ叶かなわない」 「どっちがいたずら者だか分りゃしない。僕は禅坊主だの、悟ったのは大嫌だ。僕の近所に南蔵院なんぞういんと云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこの間の白雨ゆうだちの時寺内じないへ雷らいが落ちて隠居のいる庭先の松の木を割さいてしまった。ところが和尚おしょう泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとから聾つんぼなんだね。それじゃ泰然たる訳さ。大概そんなものさ。独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややともすると人を誘い出すから悪い。現に独仙の御蔭で二人ばかり気狂きちがいにされているからな」 「誰が」 「誰がって。一人は理野陶然りのとうぜんさ。独仙の御蔭で大おおいに禅学に凝こり固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしまった。円覚寺えんがくじの前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内うちへ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。それで向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔だいきえんさ。もっとも汽車の方で留ってくれたから一命だけはとりとめたが、その代り今度は火に入いって焼けず、水に入って溺おぼれぬ金剛不壊こんごうふえのからだだと号して寺内じないの蓮池はすいけへ這入はいってぶくぶくあるき廻ったもんだ」 「死んだかい」 「その時も幸さいわい、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後ご東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麦飯や万年漬まんねんづけを食ったせいだから、つまるところは間接に独仙が殺したようなものさ」 「むやみに熱中するのも善よし悪あししだね」と主人はちょっと気味のわるいという顔付をする。 「本当にさ。独仙にやられたものがもう一人同窓中にある」 「あぶないね。誰だい」 「立町老梅君たちまちろうばいくんさ。あの男も全く独仙にそそのかされて鰻うなぎが天上するような事ばかり言っていたが、とうとう君本物になってしまった」 「本物たあ何だい」 「とうとう鰻が天上して、豚が仙人になったのさ」 「何の事だい、それは」 「八木が独仙なら、立町は豚仙ぶたせんさ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食意地と禅坊主のわる意地が併発へいはつしたのだから助からない。始めは僕らも気がつかなかったが今から考えると妙な事ばかり並べていたよ。僕のうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の国では蒲鉾かまぼこが板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたものさ。ただ吐いているうちはよかったが君表のどぶへ金きんとんを掘りに行きましょうと促うながすに至っては僕も降参したね。それから二三日にさんちするとついに豚仙になって巣鴨へ収容されてしまった。元来豚なんぞが気狂になる資格はないんだが、全く独仙の御蔭であすこまで漕ぎ付けたんだね。独仙の勢力もなかなかえらいよ」 「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」 「いるだんじゃない。自大狂じだいきょうで大気焔だいきえんを吐いている。近頃は立町老梅なんて名はつまらないと云うので、自みずから天道公平てんどうこうへいと号して、天道の権化ごんげをもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行って見たまえ」 「天道公平?」 「天道公平だよ。気狂の癖にうまい名をつけたものだね。時々は孔平こうへいとも書く事がある。それで何でも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいと云うので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。僕も四五通貰ったが、中にはなかなか長い奴があって不足税を二度ばかりとられたよ」 「それじゃ僕の所とこへ来たのも老梅から来たんだ」 「君の所へも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろう」 「うん、真中が赤くて左右が白い。一風変った状袋だ」 「あれはね、わざわざ支那から取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在あって赤しと云う豚仙の格言を示したんだって……」 「なかなか因縁いんねんのある状袋だね」 「気狂だけに大おおいに凝こったものさ。そうして気狂になっても食意地だけは依然として存しているものと見えて、毎回必ず食物の事がかいてあるから奇妙だ。君の所へも何とか云って来たろう」 「うん、海鼠なまこの事がかいてある」 「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」 「それから河豚ふぐと朝鮮仁参ちょうせんにんじんか何か書いてある」 「河豚と朝鮮仁参の取り合せは旨うまいね。おおかた河豚を食って中あたったら朝鮮仁参を煎せんじて飲めとでも云うつもりなんだろう」 「そうでもないようだ」 「そうでなくても構わないさ。どうせ気狂だもの。それっきりかい」 「まだある。苦沙弥先生御茶でも上がれと云う句がある」 「アハハハ御茶でも上がれはきびし過ぎる。それで大おおいに君をやり込めたつもりに違ない。大出来だ。天道公平君万歳だ」と迷亭先生は面白がって、大に笑い出す。主人は少からざる尊敬をもって反覆読誦どくしょうした書翰しょかんの差出人が金箔きんぱくつきの狂人であると知ってから、最前の熱心と苦心が何だか無駄骨のような気がして腹立たしくもあり、また瘋癲病ふうてんびょう者の文章をさほど心労して翫味がんみしたかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作にこれほど感服する以上は自分も多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧ざんきと、心配の合併した状態で何だか落ちつかない顔付をして控ひかえている。 折から表格子をあららかに開けて、重い靴の音が二た足ほど沓脱くつぬぎに響いたと思ったら「ちょっと頼みます、ちょっと頼みます」と大きな声がする。主人の尻の重いに反して迷亭はまたすこぶる気軽な男であるから、御三おさんの取次に出るのも待たず、通れと云いながら隔ての中の間まを二た足ばかりに飛び越えて玄関に躍おどり出した。人のうちへ案内も乞わずにつかつか這入はいり込むところは迷惑のようだが、人のうちへ這入った以上は書生同様取次を務つとめるからはなはだ便利である。いくら迷亭でも御客さんには相違ない、その御客さんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙弥先生が座敷へ構え込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずであるが、そこが苦沙弥先生である。平気に座布団の上へ尻を落ちつけている。但ただし落ちつけているのと、落ちついているのとは、その趣は大分だいぶ似ているが、その実質はよほど違う。 玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じていたが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちょっと御足労だが出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合わない」と大きな声を出す。主人はやむを得ず懐手ふところでのままのそりのそりと出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきである。その名刺には警視庁刑事巡査吉田虎蔵よしだとらぞうとある。虎蔵君と並んで立っているのは二十五六の背せいの高い、いなせな唐桟とうざんずくめの男である。妙な事にこの男は主人と同じく懐手をしたまま、無言で突立つったっている。何だか見たような顔だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。この間深夜御来訪になって山やまの芋いもを持って行かれた泥棒君である。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。 「おいこの方かたは刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろと云うんで、わざわざおいでになったんだよ」 主人はようやく刑事が踏み込んだ理由が分ったと見えて、頭をさげて泥棒の方を向いて鄭寧ていねいに御辞儀をした。泥棒の方が虎蔵君より男振りがいいので、こっちが刑事だと早合点はやがてんをしたのだろう。泥棒も驚ろいたに相違ないが、まさか私わたしが泥棒ですよと断わる訳にも行かなかったと見えて、すまして立っている。やはり懐手のままである。もっとも手錠てじょうをはめているのだから、出そうと云っても出る気遣きづかいはない。通例のものならこの様子でたいていはわかるはずだが、この主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。御上おかみの御威光となると非常に恐しいものと心得ている。もっとも理論上から云うと、巡査なぞは自分達が金を出して番人に雇っておくのだくらいの事は心得ているのだが、実際に臨むといやにへえへえする。主人のおやじはその昔場末の名主であったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮した習慣が、因果となってかように子に酬むくったのかも知れない。まことに気の毒な至りである。 巡査はおかしかったと見えて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに日本堤にほんづつみの分署まで来て下さい。――盗難品は何と何でしたかね」 「盗難品は……」と云いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのは多々良三平たたらさんぺいの山の芋だけである。山の芋などはどうでも構わんと思ったが、盗難品は……と云いかけてあとが出ないのはいかにも与太郎よたろうのようで体裁ていさいがわるい。人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれておきながら、明瞭の答が出来んのは一人前いちにんまえではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。 泥棒はこの時よほどおかしかったと見えて、下を向いて着物の襟えりへあごを入れた。迷亭はアハハハと笑いながら「山の芋がよほど惜しかったと見えるね」と云った。巡査だけは存外真面目である。 「山の芋は出ないようだがほかの物件はたいがい戻ったようです。――まあ来て見たら分るでしょう。それでね、下げ渡したら請書うけしょが入るから、印形いんぎょうを忘れずに持っておいでなさい。――九時までに来なくってはいかん。日本堤にほんづつみ分署ぶんしょです。――浅草警察署の管轄内かんかつないの日本堤分署です。――それじゃ、さようなら」と独ひとりで弁じて帰って行く。泥棒君も続いて門を出る。手が出せないので、門をしめる事が出来ないから開け放しのまま行ってしまった。恐れ入りながらも不平と見えて、主人は頬をふくらして、ぴしゃりと立て切った。 「アハハハ君は刑事を大変尊敬するね。つねにああ云う恭謙きょうけんな態度を持ってるといい男だが、君は巡査だけに鄭寧ていねいなんだから困る」 「だってせっかく知らせて来てくれたんじゃないか」 「知らせに来るったって、先は商売だよ。当り前にあしらってりゃ沢山だ」 「しかしただの商売じゃない」 「無論ただの商売じゃない。探偵と云ういけすかない商売さ。あたり前の商売より下等だね」 「君そんな事を云うと、ひどい目に逢うぜ」 「ハハハそれじゃ刑事の悪口わるくちはやめにしよう。しかし刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるを得んよ」 「誰が泥棒を尊敬したい」 「君がしたのさ」 「僕が泥棒に近付きがあるもんか」 「あるもんかって君は泥棒にお辞儀をしたじゃないか」 「いつ?」 「たった今平身低頭へいしんていとうしたじゃないか」 「馬鹿あ云ってら、あれは刑事だね」 「刑事があんななりをするものか」 「刑事だからあんななりをするんじゃないか」 「頑固がんこだな」 「君こそ頑固だ」 「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなに懐手ふところでなんかして、突立つったっているものかね」 「刑事だって懐手をしないとは限るまい」 「そう猛烈にやって来ては恐れ入るがね。君がお辞儀をする間あいつは始終あのままで立っていたのだぜ」 「刑事だからそのくらいの事はあるかも知れんさ」 「どうも自信家だな。いくら云っても聞かないね」 「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと云ってるだけで、その泥棒がはいるところを見届けた訳じゃないんだから。ただそう思って独ひとりで強情を張ってるんだ」 迷亭もここにおいてとうてい済度さいどすべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず黙ってしまった。主人は久し振りで迷亭を凹へこましたと思って大得意である。迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から云うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなったのである。世の中にはこんな頓珍漢とんちんかんな事はままある。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場は遥はるかに下落してしまう。不思議な事に頑固の本人は死ぬまで自分は面目めんぼくを施こしたつもりかなにかで、その時以後人が軽蔑けいべつして相手にしてくれないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。 「ともかくもあした行くつもりかい」 「行くとも、九時までに来いと云うから、八時から出て行く」 「学校はどうする」 「休むさ。学校なんか」と擲たたきつけるように云ったのは壮さかんなものだった。 「えらい勢いきおいだね。休んでもいいのかい」 「いいとも僕の学校は月給だから、差し引かれる気遣きづかいはない、大丈夫だ」と真直に白状してしまった。ずるい事もずるいが、単純なことも単純なものだ。 「君、行くのはいいが路を知ってるかい」 「知るものか。車に乗って行けば訳はないだろう」とぷんぷんしている。 「静岡の伯父に譲らざる東京通なるには恐れ入る」 「いくらでも恐れ入るがいい」 「ハハハ日本堤分署と云うのはね、君ただの所じゃないよ。吉原よしわらだよ」 「何だ?」 「吉原だよ」 「あの遊廓のある吉原か?」 「そうさ、吉原と云やあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行って見る気かい」と迷亭君またからかいかける。 主人は吉原と聞いて、そいつはと少々逡巡しゅんじゅんの体ていであったが、たちまち思い返して「吉原だろうが、遊廓だろうが、いったん行くと云った以上はきっと行く」と入らざるところに力味りきんで見せた。愚人は得てこんなところに意地を張るものだ。 迷亭君は「まあ面白かろう、見て来たまえ」と云ったのみである。一波瀾ひとはらんを生じた刑事事件はこれで一先ひとまず落着らくちゃくを告げた。迷亭はそれから相変らず駄弁を弄ろうして日暮れ方、あまり遅くなると伯父に怒おこられると云って帰って行った。 迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人は再び拱手きょうしゅして下しものように考え始めた。 「自分が感服して、大おおいに見習おうとした八木独仙君も迷亭の話しによって見ると、別段見習うにも及ばない人間のようである。のみならず彼の唱道するところの説は何だか非常識で、迷亭の云う通り多少瘋癲的ふうてんてき系統に属してもおりそうだ。いわんや彼は歴乎れっきとした二人の気狂きちがいの子分を有している。はなはだ危険である。滅多めったに近寄ると同系統内に引ひき摺ずり込まれそうである。自分が文章の上において驚嘆の余よ、これこそ大見識を有している偉人に相違ないと思い込んだ天道公平事てんどうこうへいこと実名じつみょう立町老梅たちまちろうばいは純然たる狂人であって、現に巣鴨の病院に起居している。迷亭の記述が棒大のざれ言にもせよ、彼が瘋癲院ふうてんいん中に盛名を擅ほしいままにして天道の主宰をもって自みずから任ずるは恐らく事実であろう。こう云う自分もことによると少々ござっているかも知れない。同気相求め、同類相集まると云うから、気狂の説に感服する以上は――少なくともその文章言辞に同情を表する以上は――自分もまた気狂に縁の近い者であるだろう。よし同型中に鋳化ちゅうかせられんでも軒を比ならべて狂人と隣り合せに居きょを卜ぼくするとすれば、境の壁を一重打ち抜いていつの間まにか同室内に膝を突き合せて談笑する事がないとも限らん。こいつは大変だ。なるほど考えて見るとこのほどじゅうから自分の脳の作用は我ながら驚くくらい奇上きじょうに妙みょうを点じ変傍へんぼうに珍ちんを添えている。脳漿一勺のうしょういっせきの化学的変化はとにかく意志の動いて行為となるところ、発して言辞と化する辺あたりには不思議にも中庸を失した点が多い。舌上ぜつじょうに竜泉りゅうせんなく、腋下えきかに清風せいふうを生しょうぜざるも、歯根しこんに狂臭きょうしゅうあり、筋頭きんとうに瘋味ふうみあるをいかんせん。いよいよ大変だ。ことによるともうすでに立派な患者になっているのではないかしらん。まだ幸さいわいに人を傷きずつけたり、世間の邪魔になる事をし出かさんからやはり町内を追払われずに、東京市民として存在しているのではなかろうか。こいつは消極の積極のと云う段じゃない。まず脈搏みゃくはくからして検査しなくてはならん。しかし脈には変りはないようだ。頭は熱いかしらん。これも別に逆上の気味でもない。しかしどうも心配だ。」 「こう自分と気狂きちがいばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気狂の領分を脱する事は出来そうにもない。これは方法がわるかった。気狂を標準にして自分をそっちへ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にしてその傍そばへ自分を置いて考えて見たらあるいは反対の結果が出るかも知れない。それにはまず手近から始めなくてはいかん。第一に今日来たフロックコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しいようだ。第二に寒月はどうだ。朝から晩まで弁当持参で球たまばかり磨いている。これも棒組ぼうぐみだ。第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職のように心得ている。全く陽性の気狂に相違ない。第四はと……金田の妻君。あの毒悪な根性こんじょうは全く常識をはずれている。純然たる気じるしに極きまってる。第五は金田君の番だ。金田君には御目に懸った事はないが、まずあの細君を恭うやうやしくおっ立てて、琴瑟きんしつ調和しているところを見ると非凡の人間と見立てて差支さしつかえあるまい。非凡は気狂の異名いみょうであるから、まずこれも同類にしておいて構わない。それからと、――まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齢から云うとまだ芽生えだが、躁狂そうきょうの点においては一世を空むなしゅうするに足る天晴あっぱれな豪ごうのものである。こう数え立てて見ると大抵のものは同類のようである。案外心丈夫になって来た。ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れない。気狂が集合して鎬しのぎを削けずってつかみ合い、いがみ合い、罵ののしり合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のように崩くずれたり、持ち上ったり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会と云うのではないか知らん。その中で多少理窟りくつがわかって、分別のある奴はかえって邪魔になるから、瘋癲院ふうてんいんというものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されているものは普通の人で、院外にあばれているものはかえって気狂である。気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない。大きな気狂が金力や威力を濫用らんようして多くの小気狂しょうきちがいを使役しえきして乱暴を働いて、人から立派な男だと云われている例は少なくない。何が何だか分らなくなった」 以上は主人が当夜煢々けいけいたる孤灯の下もとで沈思熟慮した時の心的作用をありのままに描えがき出したものである。彼の頭脳の不透明なる事はここにも著るしくあらわれている。彼はカイゼルに似た八字髯はちじひげを蓄たくわうるにもかかわらず狂人と常人の差別さえなし得ぬくらいの凡倉ぼんくらである。のみならず彼はせっかくこの問題を提供して自己の思索力に訴えながら、ついに何等の結論に達せずしてやめてしまった。何事によらず彼は徹底的に考える脳力のない男である。彼の結論の茫漠ぼうばくとして、彼の鼻孔から迸出ほうしゅつする朝日の煙のごとく、捕捉ほそくしがたきは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実である。 吾輩は猫である。猫の癖にどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑うものがあるかも知れんが、このくらいな事は猫にとって何でもない。吾輩はこれで読心術を心得ている。いつ心得たなんて、そんな余計な事は聞かんでもいい。ともかくも心得ている。人間の膝ひざの上へ乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔かな毛衣けごろもをそっと人間の腹にこすり付ける。すると一道の電気が起って彼の腹の中のいきさつが手にとるように吾輩の心眼に映ずる。せんだってなどは主人がやさしく吾輩の頭を撫なで廻しながら、突然この猫の皮を剥はいでちゃんちゃんにしたらさぞあたたかでよかろうと飛んでもない了見りょうけんをむらむらと起したのを即座に気取けどって覚えずひやっとした事さえある。怖こわい事だ。当夜主人の頭のなかに起った以上の思想もそんな訳合わけあいで幸さいわいにも諸君にご報道する事が出来るように相成ったのは吾輩の大おおいに栄誉とするところである。但ただし主人は「何が何だか分らなくなった」まで考えてそのあとはぐうぐう寝てしまったのである、あすになれば何をどこまで考えたかまるで忘れてしまうに違ない。向後こうごもし主人が気狂きちがいについて考える事があるとすれば、もう一返ぺん出直して頭から考え始めなければならぬ。そうすると果してこんな径路けいろを取って、こんな風に「何が何だか分らなくなる」かどうだか保証出来ない。しかし何返考え直しても、何条なんじょうの径路をとって進もうとも、ついに「何が何だか分らなくなる」だけはたしかである。

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