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【GPT机翻】战国小町苦劳谭 (戦国小町苦労譚)- 170 [千五百七十七年 九月下旬]

2023-05-28 02:37 作者:爱吃果冻的沙耶  | 我要投稿

书名 战国小町苦劳谭

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作者: 夹竹桃

原作:http://ncode.syosetu.com/n8406bm/

翻译工具:ChatGPT

*机器输出的翻译结果UP未做任何修正,仅供试阅。标题章节号为原翻译版的顺延。*

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千五百七十七年 九月下旬(*原文网页序列号 - 194)

九月に入り、東国情勢に新たな動きが加わった。まず織田家の重鎮柴田と、越後の龍こと上杉謙信が率いる連合軍が北条氏の居城である小田原城へと進軍を開始している。


进入九月,东国情势出现新动向。首先是織田家的重臣柴田,以及越后的龙上杉謙信率领的联合军开始向北条氏的居城小田原城发起进攻。


この動きに対して北条は、柴田・上杉連合軍の進路上に存在する北条影響下の国主に働きかけ、散発的な襲撃を掛けることで戦力を削(そ)ごうと試みた。


对此举动,北条向受其影响的国主施加压力,试图通过散发的袭击来削弱柴田·上杉联军的战力。


しかし圧倒的大軍に対して寡兵の襲撃は然したる成果を上げることなく、進軍を僅かに遅らせるだけに留まってしまう。


然而对于压倒性的大军,少数兵力的袭击并没有取得多大成果,只能稍稍拖延进攻的速度。


そして北条が織田軍に対して優位に行動できたのはここまでとなった。信忠軍が里見領に本格的に駐留し、占拠した勝山湊及び勝山城を再建し始めたためである。


然后,北条家在对付织田军方面的优势已经到了尽头。由于信忠的军队已经完全驻扎在里见领地,并开始重建占领的胜山湊和胜山城,这就是原因所在。


里見家の居城である佐貫城に関しては、静子の腹心である可児(かに)才蔵が率いる才蔵軍のみにて完全に動きを封じ込めていた。佐貫城にて籠城する里見を尻目に陸上へと展開した才蔵軍は、即席の陣を張ったかと思えば瞬く間に街道を封鎖する支城を造り上げたのだ。


里见家的居城佐仓城被静子的亲信可兼才藏率领的才藏军完全地封锁住了。在佐仓城固守里见的同时,才藏军展开了陆地进攻,在短时间内就建立了支城封锁了道路。


里見家の窮状を見かねた佐竹軍が援軍として駆けつけるも才蔵軍の襲撃を受けて潰走し、這(ほ)う這うの体(てい)で佐貫城へと逃げ込み負担を増やす結果となっている。


看不下里见家的困境,佐竹军赶来支援,但却遭到才藏军的袭击而溃败,结果只能爬着逃到佐仓城,增加了负担。


これにより元より個人として勇名を馳せていた才蔵が、指揮官としても有能であることを知らしめることとなり、才蔵の名はより一層高く評価されることとなった。


因此,原本作为个人已经闻名的才藏在担任指挥官时展现出卓越才能,并得到更高的评价。


無論、佐竹家と里見家が一丸となって才蔵軍に総力戦を挑めば、如何に才蔵軍が精強とは言え劣勢に追い込まれることは否めない。


无论佐竹家和里见家联合对抗才藏军,才藏军虽然实力强大但也难以避免被迫陷入劣势。


しかし、織田家と言う共通の敵を抱くが為に協力し合っているだけで、元々反目し合っていた両家が手の内を晒して互いに連携することは難しい。


然而,由于共同拥有“織田家”这个敌人,他们只是相互合作,原来互相对抗的两个家族很难揭示彼此的底牌并协作。


また才蔵軍が支城を構築して以降、海上より支援をしていた信忠軍の艦隊は姿を消している。


自才藏军构建支城后,信忠军的舰队就从海上撤离了。


こうして孤立した寡兵となった才蔵軍を叩くに当たって全軍を出すまでも無いと侮っていることも、協力し合えない傾向に拍車をかけていた。


这种低估不需要出动整个军队就能攻击逐渐孤立的才藏军队的趋势,也加剧了彼此之间无法合作的倾向。


一方、奥州(おうしゅう)(現在の福島・宮城・岩手・青森の4県と秋田県の一部)の情勢と言えば蘆名(あしな)、伊達(だて)、最上(もがみ)家に対しても北条家より援軍を派遣するようにとの要請が届いていた。


然而,就奥州地区(现在的福岛、宫城、岩手、青森四个县和秋田县的一部分)的情况而言,申请派遣援军支持藤原家的不仅有北条家,也有针对蘆名家、伊达家、最上家的要求到达。


これに対する三家の動きは鈍かった。元より『寄らば大樹の陰』とばかりに、東国の覇者たる北条氏に阿(おもね)る意味合いでの同盟関係であり、織田家という嵐によって大樹が折れんとしている現状において、馬鹿正直に援軍を送る意味合いは薄い。


三家对此的动作很迟缓。从一开始就是为了向作为东国霸主的北条家示好,结成同盟关系。在大树已经被风雨摧残之际,愚忠地派遣援军意义不大。


とは言え、全く援軍を出さないというのも悪手となる。義理を果たさなかったことを大義名分として、他家が攻撃を仕掛ける口実を与えることになるためだ。


然而,完全不派遣援军也是一种不明智的策略。因为不履行义务将成为他人攻击的正当理由,从而给别人提供攻击的借口。


こうして三家ともに消極的ながら援軍を派遣する運びとなる。因みに三家が足並みを揃えることはなく、蘆名家が真っ先に援軍の派遣に応じた。


这样三家都有些消极,但最终还是决定派遣援军。顺便说一下,三家并没有一致行动,最先响应援军派遣请求的是蒲生家。


この背景には、以前蘆名家が織田家に対して密書を持たせた間者を送った際に、北条家の手によって捕らえられたがため信頼関係が揺らぎ、失点を取り返そうという意図がある。


在此背景下,之所以有意图取回失分,是因为莒名家曾向织田家派遣过间谍,但由于北条家的介入而被抓获,破坏了双方之间的信任关系。


次に動いたのは最上家であり、親伊達派が北条家への援軍派遣を反対したがために最低限の派兵数となった。


接着就是最上家出动了,由于亲伊达派反对向北条家派遣支援军,因此最低限度的派兵数量就只有这么多了。


そして最も動きの遅かった伊達家は、義理を果たしたと言える最小限度の派遣であり、明らかに北条家から距離を置きたがっていることが窺える陣容であった。


然后最慢动的伊达家,只派遣了最低限度的队伍来履行义务,显然也希望与北条家保持距离。


「と、各国の情勢はこんな感じかな」


“各国情况大概是这样吧。”


静子は彼女が運営する学校の一室に集めた面々に対して東国の情勢を説明していた。


静子向她聚集在她管理的学校的一个房间里的人们解释了东国的情况。


静子と卓を挟んで向かい合い、各自が机の上に広げた帳面に必死に書き留めているのは四六や真田信之(のぶゆき)、伊達藤次郎(後の政宗)、上杉景勝、直江兼続を筆頭に織田家の家臣たちが送り出した子女が並ぶ。


静子和卓对面坐着,他们各自翻开桌子上的账本,满脸认真地记着。这些账本上记录着織田家家臣们派出的子女名单,其中包括四十六及真田信之、伊达藤次郎(后来的政宗)、上杉景胜、直江兼续等人。


機密情報や裏取りの為されていない低確度情報は割愛しているものの、それでも黒板に大きく板書された日ノ本の地図をなぞりながらの静子の解説は解り易かった。


对于未经过机密调查或背景确认的低准确度情报进行了省略。但即便如此,静子沿着巨大写在黑板上的日本地图解释得非常易懂。


国許に居た折に国主となるべく教育を施されていた景勝は、静子が惜しげもなく開示する情報が凄まじい情報量と精度を持っていることに気付き、尾張に居ながらにしてこれだけの情報を把握しうる彼女の能力に戦慄する。


当景胜在国内接受教育时,他一直受到指导,成为国家领袖。他认识到静子公开的信息非常详细和准确,尽管他不在尾巴,他对信息的掌握能力令他感到恐惧。


「我が伊達家は勿論、最上や蘆名も明らかに兵を出し渋っておりまする。奥州では北条が敗れると判断したのでしょうか?」


「不仅是我家伊达家,还有最上和芦名也明显地拖延出兵。他们认为北条已经被打败了吗?在奥州这里是这样吗?」


藤次郎は隣に座っている四六の袖を引っ張り、己が思うことを訊ねた。四六の見解では伊達家は織田家に恭順を示すがため、形だけの援軍を送っているのだと考える。


藤次郎拉了拉坐在旁边的四六的袖子,询问了自己的看法。在四六看来,为表示对织田家的顺从,伊达家只是形式上派出了援军。


残る両家の動きに関しては、隙あらば奥州を統一せんとするがための兵力温存を第一とし、万が一にも北条家が生き残った際に睨まれない程度の義理を果たしていると見た。


关于剩下的两家的动向,可以看出他们的第一要务是保存兵力,以便随时统一奥州,同时也充分履行了义理,以免让北条家看到我们的弱点。


伊達家が旗幟(きし)をはっきりと織田家に示したのに対し、残る両家は日和見主義と言われて仕方のない態度となっている。


仙台家明确地向织田家表示了立场,但另外两家却被称为摇旗主义者,态度令人无奈。


戦国の世に於いて生き残りを模索する上で、伊達家のように大きく博打に出るか、それとも情勢を見つつ臨機応変に動くのかのどちらが良いかは蓋を開けてみるまで判断できない。


在战国时代寻求生存的过程中,无法判断出是像伊达家那样大胆冒险,还是顾及情势、灵活应对更好,只有踏出第一步后才能揭晓答案。


それでも信長は伊達家の潔さを好み、風見鶏を決め込む両家に対する評価は推して知るべしだろう。


然而,信长却喜欢伊达家的清廉正直,对于两家执迷于风向标的行为的评价,应该会对伊达家更加青睐。


「私の見立てでは北条氏に勝ち目など無いが、反織田を掲げて同盟を呼びかけた以上、一度も矛を交えることなく織田に下るなどできようはずもない」


“据我的估计,北条家没有赢的机会,但既然挑起了反织田的旗号,呼吁同盟,那么不可能不与织田家交战就轻易地投降。”


「それでは北条は一戦交えた後に、頃合いを見て和睦を狙っているのでしょうか?」


“那么北条是否打了一场战斗,然后寻求和解呢?”


「仮にそうだとしても、上様が和睦を受け入れられる可能性は極めて低い。何せ北条を生かしておくだけの理由が無い」


“即使是这样,上阁老接受和睦的可能性非常低。毕竟没有理由留着北条不杀。”


「しかし、北条の居城である小田原城は難攻不落で知られております。如何に若様(信忠のこと)とて一筋縄ではゆかぬと思うのですが……」


"然而,北条的居城小田原城以其坚不可摧而闻名。即使是信忠少爷,也认为不可能轻易攻克它……"


「確かに東国の雄と名高い北条氏がそう易々と滅びはせぬだろう。しかし、それでもいずれ雌雄を決さねばならぬ。そして今こそがその好機なのだ」


“确实,号称东国雄的北条氏不会如此轻易灭亡。但是,雌雄终有一决。现在正是好机会。”


「まあまあ、お二人ともそれはここで議論しても詮無きこと。藤次郎殿としては北条の先行きが気になるとは思いますが、私語はその辺になされよ」


“两位的争论在这里也毫无意义。虽然我认为作为藤次郎,您会担心北条的前途,但请不要在这里说闲话。”


議論が過熱したためか、内緒話の範疇(はんちゅう)を脱しつつあった四六と藤次郎との会話を信之が制止する。学校の講義でこそ無いものの、領主である静子から一同に情勢を伝える場であったため、二人は周囲に詫びつつ黙った。


由于讨论过于激烈,信之制止了四六和藤次郎正在逐渐脱离私人谈话范畴的对话。虽然这不是学校讲义,但由于这是向主人静子传达情况的场合,两人需要默不作声,并向周围道歉。


「四六と藤次郎君が仲良くしているのは知っていたけれど、源三郎君(信之のこと)とまで面識があるとは思わなかったよ」


"我知道四六和藤次郎很要好,但没想到他们还和源三郎(信之)有面谈的机会。"


「私は図書室に入り浸っておりますれば、お二人と出会う機会もそれなりにございます」


「我经常在图书馆里逗留,所以与你们相遇的机会也相当大。」


信之は己が静子邸で生活できていることを幸運だと捉えていた。静子領で暮らすようになってからは、甲斐での生活からは考えられないような知識に触れることが出来るのだ。


信之认为自己能够在静子府邸生活是幸运的。自从在静子领居住后,他能够接触到甲斐生活中无法想象的知识。


すっかり図書室の主と化し、蔵書を読み耽(ふけ)っては思索に浸る毎日を送っている。対して彼の実弟である信繁(のぶしげ)(後の真田幸村)は兄と対照的に体を動かすことを好んだ。


他已经完全成为图书馆的主人,并沉迷于阅读藏书和沉思的日子里。相反,他的弟弟信繁(后来的真田幸村)喜欢动身体,与他的兄弟形成了鲜明的对比。


それでも勉学は重要と捉えており、学業を疎(おろそ)かにはしないものの、学校の体育や角力への情熱と比べると一段劣ると言った印象となる。


仍然认为学习很重要,虽然不会忽视学业,但与对学校体育和摔跤的热情相比会逊色一些。


物静かで書を好み、俳句も嗜(たしな)む文化人的な信之、対する信繁は竹を割ったような性格であり、社交的で友人も多いため毎日泥だらけになって帰ってくる。


物静而热爱书法和俳句的文化人信之,与个性像劈竹子一样爽朗,并交际广泛有很多朋友的信繁形成鲜明对比,每天都是一身泥回家的。


親である昌幸としては両極端過ぎて困惑するものの、それでも己の子供に対して性格の矯正をしようなどと思わず好きにさせていた。


作为父亲的昌幸感到很困惑,因为这两种极端的性格差异太过明显。不过,他仍然让自己的孩子自由发展,而不是试图去改变他们的性格。


「父上は常日頃より他者の腹を探ることに腐心しておられます。表裏の無い信繁の快活さが父上の癒しとなるのならば、それは良きことでしょう」


「父亲常常在探究别人的内心,信繁快乐幽默的性格能够成为父亲的安慰,这是一件好事情。」


信之付きの家臣から、昌幸が弟である信繁ばかりを可愛がっていると苦言を呈された際に、彼が返した言葉がこれである。


当信长的忠臣指责昌幸过分偏爱他的弟弟信繁时,昌幸回应道:「他是我的弟弟,当然要疼爱他。」


常に一歩引いた立ち位置から状況を俯瞰(ふかん)して見ることが出来るという意味では、父親の才能を色濃く引き継いでいるのは信之なのだと理解した家臣たちは、己の不明を恥じて前言を撤回している。


家臣们意识到信之继承了父亲的才能,能够始终从一步之遥的位置审视形势,他们为自己的无知感到惭愧,撤回了先前的言论。


事実として信之は昌幸の態度に何ら不満を覚えておらず、過剰に干渉されることなく好きに学ばせて貰えていることに感謝すらしていた。


作为事实,信之对昌幸的态度并没有任何不满,他甚至感到感激,因为他可以自由地学习,而没有受到过度干扰。


父である昌幸としても信之の聡明かつ思慮深い処を信頼しており、その分手の掛かる信繁に時間を割いているだけなのだが、それが周囲に誤解を与えているとは思い至っていない。


作为昌幸的父亲,我信任信之聪明、深思熟虑的品性,只是因此花费了更多的时间在信繁身上。但我没有意识到这给周围带来了误解。


「佐竹が里見に援軍を出したのは、恐らく一度矛を交えて彼我の戦力を分析すると同時に北条への義理を果たすためでしょう。ならば、彼我の戦力差を思い知った佐竹はこちらへ接触してくるやも知れませんな」


「佐竹向里见派出援军,恐怕是为了一次交锋分析敌我实力,同时履行向北条的义务。那么,佐竹意识到敌我实力差距后,可能会接触我们。」


四六と藤次郎との議論は、一堂に会した皆の関心事でもあったため静子は以降を自由時間とし、各自が好きに議論するように言い渡してその様子を見守ることにした。


四六和藤次郎的讨论引起了在场所有人的关注,因此静子将其余时间作为自由时间,让每个人自由地进行讨论,并观察他们的情况。


すると先ほど二人を諫(いさ)めたはずの信之が真っ先に口を開き、佐竹の動向に関する意見を四六と藤次郎に述べたことを皮切りにそこら中で小集団同士が侃々(かんかん)諤々(がくがく)の様相を呈し始める。


于是先前警告两人的信之率先开口,从佐竹的动向开始向四六和藤次郎陈述意见,随后小团体开始在各处侃侃而谈,并开始出现了一些争论的迹象。


普段は他者の話を聞くことを優先し、強く己の意見を主張しない四六も同年代の論客を相手に積極的な議論を繰り広げている。


通常情况下,四六更注重倾听他人的话语,不强调自己的观点,但面对同龄的辩论者时,会积极参与讨论。


やや年長である信之と、子供から大人へと向かいつつある四六、そんな兄貴分たちを慕う藤次郎とそれぞれに立場は違うものの、静子領以外では絶対に接することの出来なかった影響を受け合っていた。


稍微年长的信之和正在过渡从孩童到成年人的四六,以及仰慕他们的藤次郎,尽管他们的立场各不相同,但在静子领内无可避免地相互影响。


「全ては静子様の掌(たなごころ)の内、ですかな?」


"一切都在静子大人的掌心之中,不是吗?"


そんな三人の様子を微笑ましく見守っている静子に、景勝が声を掛ける。狙っていたかと問われれば、そうなれば良いなぐらいに考えていた静子としては苦笑するしかない。


景胜向微笑着观看着那三个人的静子说话,如果被问到是否有目的,作为只是想要这样做的静子只能苦笑。


今までの四六は己の殻に閉じこもりがちであり、お世辞にも人付き合いが良いとは言えなかった。


迄今为止,他总是闭门不出,在自己的壳里蜷缩着,很难说他善于交际。


普通の子供であれば特段問題ない性向だが、静子の後継者たらんとするならばそれでは困る。為政者とは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っている相手とも笑顔で交渉できねばならず、己の周囲を気に入った人間だけで固めれば遠からず領地運営に行き詰まる。


普通的孩子没有问题,但如果想成为静子的继承者,这将是一个问题。治理者必须能够与讨厌他们的人进行谈判,并且不能仅仅围绕着自己喜欢的人来管理领地,否则领地管理将陷入困境。


とは言え持って生まれた性格は、口で言って聞かせたところで直るものでもない。どうしたものかと思案していたところに藤次郎が現れた。


然而,天生的个性并不能仅仅通过口头劝说去改变。当我正在苦思冥想时,藤次郎出现了。


藤次郎は好奇心が強く、四六が少々邪険にあしらったところで気にもかけない図太い神経の持ち主であった。彼が四六に付いて回るようになって以来、四六は目に見えて活動的になっていった。


藤次郎好奇心强,对四六稍有不悦也不在意,是个神经特别厚的人。自从他跟随四六以来,四六显然变得更加活跃了。


「もっと時間が掛かると思っていたんですけどね」


“我以为会花更多时间呢。”


「四六殿は遠慮がちな処がございますからな。しかし藤次郎殿はそんな四六殿のことなどお構いなしに迫ってきますゆえ、四六殿も距離を取りかねて遠慮など吹き飛んでしまったのでしょう」


“因为四六殿比较拘谨,但是藤次郎殿却毫不顾及四六殿的感受而靠近,因此四六殿也无法保持距离和拘谨的心态。”


藤次郎の『何故? どうして?』攻撃から逃げ回る四六の姿をみたことを思い出したのか、景勝は口元を手で隠しつつも笑みを浮かべる。静子を含めた関係者は二人の関係を微笑ましく思っているが、伊達家の家臣たちは生きた心地のしない毎日であろう。


想起了景胜看到四六逃脱藤次郎的“为什么?怎么办?”攻击的情景,他虽然用手遮住口,却露出了微笑。除静子等相关人员外,伊达家的家臣们可能过着每一天都感觉不到活着的日子。


「『男子、三日会わざれば刮目して見よ』とはこのことでしょうね。子供たちの成長は実に早い」


“‘男子,三日不见,便把眼前人光芒看’,这就是这种情况吧。孩子们的成长真的很快。”


「静子様なれば教え導くことも出来たのでは?」


「如果是静子大人的话,也能够教导他人吧?」


「言って聞かせるのは簡単です。しかし、それでは真に身につきません。正解を知っている者が教えるのではなく、間違いながらも正解に己の力で辿り着くことが肝要かと考えます。我らは彼らを教え導くのではなく、気づきの切っ掛けを与え続けて正解に至るのを待つことこそが大事かと。とは言え、それが中々難しいのですがね」


“告诉他人是容易的,但这样并不能真正掌握。我认为重要的是通过自身的力量,即使中途犯错,也能探索到正确的答案,而不是从知道正确答案的人那里学习。我们不是来教导他人,而是给予他们发现问题的启示,等待他们找到正确答案。然而,这往往比较困难。”


景勝は静子の言葉に目から鱗が落ちる思いであった。自分が静子領で得た様々な知識や知見を家臣たちに教える際に痛感したのだが、最初から答えを教えてしまう方が遥かに楽なのだ。


景胜被静子的话震撼到了,感觉自己眼中的鳞片落了下来。他深刻地意识到,在向家臣们传授他在静子领学到的各种知识和见解时,直接告诉他们答案比让他们自己探索要容易得多。


しかし、上の者が答えを与えている内は、なかなか家臣達の身につかないのである。飢えた人に対して直接魚を与えるのと、魚の取り方を教えるのとの差が判り易いだろうか。


然而,只要上级能够直接给出答案,家臣们就不会真正理解问题。这就像直接给饥饿的人鱼和教他如何捕鱼之间的区别一样明显吧。


与えられた魚は食べてしまえば終わりだが、魚の取り方を学んだ人は飢えを己で克服できる能力が身に付くのだ。


给你一条鱼,吃掉就结束了;但学会捕鱼的人能够掌握自我克服饥饿的能力。


「ここで得られた経験は、やがて四六の血肉となることでしょう。親と言う文字は木の上に立って見ると書きます。待つこと、見守ることの難しさ、もどかしさに耐えることも親としての修行ですね」


“在这里获得的经验,将成为你日后不可或缺的人生经验。‘父母’这个字,是站在树上向下看时写成的。等待、看守孩子的艰难和无奈也是作为父母的修行。”


「いやはや感服致しました。なんとしても越後に学校を開きたくなり申した。私が幼い頃に学友と共に学校で学ぶ機会があれば、と思わずには居られませぬ」


"哎呀,我很佩服。无论如何,我想要在越后开办学校。如果我小时候有机会和学友一起在学校学习,我一定不会觉得不满意。"


景勝が本気で口惜しそうに語るのを、静子は穏やかに頷きながら聞いていた。


景胜沉思着说出口时,静子和蔼地点头听着,没有表现出任何失落的情绪。


九月も中旬を過ぎた頃になると、各地の戦況が動き始めた。まずは西国攻めを行っていた秀吉が鳥取城を攻め落とした。


九月中旬左右,各地的战局开始活跃起来。首先攻打西国的秀吉攻下了鸟取城。


それも史実にあったような凄惨な『鳥取の飢(かつ)え殺し』ではなく、兵糧攻めと並行して行った秀吉の策により、相手の士気が崩壊したがための開城であった。


这不是像历史上发生的可怕的“鸟取的饥荒杀戮”那样残忍的开城,而是由秀吉进行的粮草围攻策略,导致敌方士气崩溃的结果。


鳥取城は前城主の失策により長期籠城に耐える備蓄が無く、その上で秀吉が周囲の村々を襲ったがため、逃亡した民たちを内部に抱えざるを得なかった。


鸟取城由于前城主的错误而没有耐受长期围城的储备,加上秀吉攻击了周围的村庄,不得不容纳逃亡的居民。


元より少ない食糧備蓄に対して、予定より増えた人口によって城内の食糧は瞬く間に消費されてしまう。更に秀吉は辺り一帯の食糧を買い占めてしまったため、鳥取城主となった吉川(きっかわ)経家(つねいえ)は食糧を調達することすら出来なくなった。


由于储备的粮食本来就很少,又加上人口数量超过预期,城内的粮食很快就被消耗殆尽。此外,由于秀吉将周边的粮食都买走了,成为鸟取城主的吉川经家甚至连采购粮食的能力都没有了。


それでも吉川が籠城を続けたのは、鳥取城が天然の要塞であり、そう易々とは攻略できないこと。また冬が間近に迫っており、雪が降り始めれば秀吉軍とて撤退せざるを得ないと踏んでいたからだ。


然而,吉川继续坚守因为鸟取城是一个天然的要塞,攻占它并不容易。此外,冬天已经接近,一旦雪开始下降,秀吉的军队也不得不撤退。


それゆえ鳥取城内では、皆が水のように薄い粥で耐え忍び、家畜や軍馬などは言うに及ばず木の皮や草の根まで口にして糊口をしのいでいた。


因此,在鳥取城内,人们像喝水一样,用稀薄的粥苦苦忍受,并且不仅牲畜和军马,包括树皮和草根等也成为他们维持生计的食物。


これに対する秀吉は、食糧及び物資の買い付けで多くの出費をしており、静子からの追加支援を受けて多少の余裕はできたものの、今一つ攻め手に欠いているといった状況であった。


对此,秀吉为了购买粮食和物资已经花费了大量资金,虽然静子提供了额外的支援,稍微有了一些余裕,但仍然存在攻击上的不足。


秀吉としては降伏を呼び掛けて無血開城することが最上であり、難攻不落の鳥取城へ力攻めを行って徒(いたずら)に兵を消耗する愚を避けたいという思いがある。


丰臣秀吉认为呼吁投降并实现无血开城是最高的目标,他希望避免没有意义地耗费士兵力量,因此不愿进行对难以攻陷的鸟取城的强攻。


こうして吉川と秀吉の奇妙な我慢比べが膠着状態に陥ったころ、ふいに秀吉に天啓が舞い降りた。


当吉川和秀吉怪异的忍耐比赛陷入僵局时,突然有天启降临给了秀吉启示。


それは静子からの追加支援物資の中にあった望遠鏡を手にした際の事である。


那是当我拿起静子提供的额外支援物资中的望远镜时的事情。


(これがあれば城内の様子を具(つぶさ)に観察できるのでは? そうならば人心を惑わすことも容易い!)


(如果有这个,就能对城内情况进行详尽的观察了吧?那么迷惑人心也就更容易了!)


一計を思いついた秀吉は、早速物見に望遠鏡を持たせて城内の様子を探らせた。人類の視力では及ばない遠距離を拡大して見ることの出来る望遠鏡は、実に様々な情報を秀吉に与えてくれた。


秀吉想出了一个计策,立刻让人拿望远镜去巡视内城。望远镜可以将人的视线无法及及的远处显微,给秀吉提供了许多有价值的信息。


曰く、城内の兵士たちは戦闘時以外では壁などにもたれかかり、力なく手足を投げだしている。既に家畜や軍馬、栽培していた作物等もあらかた食いつくしてしまい、皆が飢えに苦しみ、弱った女子供や老人が倒れて横たわっている。


据说,城内的士兵在非战斗时都靠在墙上,无力地伸展手脚。他们已经吃光了畜牧品、军马和种植作物等,每个人都饱受饥饿之苦,弱小的妇孺和老人倒在地上。


それでも彼らが籠城に耐えているのは、悪名高き織田軍に下れば死が待っていると信じていたからであり、吉川らが繰り返し雪が降るまでの辛抱だと激励し続けたからであった。


然而,他们能够忍受围城的原因是因为他们相信如果投降到臭名昭著的織田军队中,死亡等待着他们,吉川一直鼓舞他们耐心等待直到下雪。


こうした状況を把握した秀吉は、散発的な攻撃を繰り返しつつも兵糧攻めを続けた。そして女子供や老人などの弱いものから餓死者が出始めた頃、秀吉の巧妙な駆け引きが始まった。


当秀吉意识到这种情况时,他继续进行零星的攻击,并继续进行饥饿封锁。然后在妇女、儿童和老人等弱势群体开始出现饿死者时,秀吉开始了他巧妙的交涉。


秋空が夕暮れに染まる黄昏時(たそがれどき)、極限の飢えから泣くことも出来なくなった子供と共に横たわる女の傍に城外から布袋が投げ込まれた。


在夕阳染红的秋天黄昏里,一名女子躺在一位已因极度饥饿而不能哭泣的孩子身旁,城外有人把布袋抛了进来。


既に反応する力もない女であったが、布袋から漂ってくる甘い匂いに女が力を振り絞ってそれを引き寄せる。震える手で紐で縛られた口をほどき、中身を探ると竹の皮に包まれた薄い褐色の粘液が出てくる。


她已经是一位失去反应力的女人,但是从布袋漂出来的甜香使女人用尽了最后一点力气将它吸引过来。她颤抖的手解开了绑在嘴上的绳子,摸索着寻找里面的东西,竹皮里包着一种薄薄的褐色粘液。


女は夢中で甘い香りを発する粘液に指を付け、それをカラカラに渇いた口へと導いた。甘い。飢えた体に沁み渡る甘さであった。それは所謂(いわゆる)水あめであり、久方ぶりに与えられた糖分に朦朧(もうろう)とした女の意識がはっきりと冴え渡った。


女人将手指放入充满甜香味的黏液中,并将其引入干燥的口中。甜美,它是一种渗入饥饿身体的甜味。这就是所谓的糖浆,这是女人在很长一段时间后得到的糖份,她的意识被这种朦胧的甜味彻底清醒了。


女は本能的に食糧を奪われないように物陰に隠れ、愛しい我が子の口へと水あめを与えてやった。そうして僅かばかりの甘露を食べ終えた母子は、布袋の中に書状が入っていることに気が付いた。


女性本能地躲在阴暗处,不让食物被抢走,给心爱的孩子喂了些糖浆。母子俩吃完了微薄的甘露后,发现布袋里有一封信。


それは学のない者にも読めるよう、ひらがなのみで表記された手紙であった。曰く、今や死を待つばかりの女子供を哀れに思われた秀吉公からの温情である。


这是一封用平假名书写的信,即使是没有学问的人也可以阅读。据说,这是丰臣秀吉公送给一名即将面临死亡的女性和孩子的慈悲之举。


武器を捨て、秀吉軍に下るのであればそれらの者は助けることを約束する。夜間に城門を開いて抜け出すようにと指示する内容だった。


如果放下武器下令帮助丰臣秀吉的军队,我们会保护他们。这是一份指示在夜间开门逃离城市的指示。


こうした布袋は城内の数か所に投げ込まれた。それは秀吉が望遠鏡で観察を続けたことにより、城門を守る兵士の家族と思わしきものへと渡るよう投げ込まれたのだ。


这些布袋被投掷到城内的几个地方。由于秀吉在望远镜中持续观察,因此它们被扔到了守卫城门的士兵家人那里。


女は配給された僅かばかりの食料を手に、女と子供の許へと食料を分け与えるため帰ってきた夫に書を渡して訴えた。このままでは遠からず餓死してしまうこと、どうせ死ぬのであれば一か八かで秀吉軍に下る方が賢いのではないかと。


女人手拿着分配来的少许食物,递给回来将食物分给妻子和孩子的丈夫一封信求助。信中表达了这样的想法:如果一直这样下去不久就会饿死,如果注定要死,不如冒险下山去投降秀吉军更明智。


夫は同じく飢えに苦しむ仲間を裏切ることに躊躇(ちゅうちょ)していたが、先の見えない状況と一人で食べるいつもより量の多い食事と、竹の皮に未だ染みついている水あめの甘い香りが背中を押した。


丈夫犹豫是否背叛同样饥饿的伙伴,但是看不到前景的境况、比平常多吃的食物、竹皮上未褪去的甜水蜜香气,都促使他前进。


そして夫は決断する。城門を守る兵士たちに布袋のことを打ち明け、皆で共謀してこの死地より脱するべく行動した。その結果、いくつかの城門が夜中に開け放たれ、それを守っていた兵士たちが家族ともどもごっそりと居なくなった。


然后丈夫做出了决定。他告诉门口守卫者布袋的事情,并与众人密谋行动,脱离这个死地。最终,一些城门在夜间被敞开,守卫者们和他们的家人全部离开了。


しかし、全ての兵士たちが裏切ったわけではなく、一部の忠義心に溢れるものは布袋をそのまま城主の許へと届けたのだ。


然而,并非所有士兵都背叛了,一些充满忠诚之心的人将布袋直接送到了城主那里。


「羽柴筑前守(ちくぜんのかみ)め! ついに兵どもの切り崩しにかかりおったか……」


"羽柴筑前守大人!终于开始攻破敌军阵营了啊……"


長きに亘る籠城のため、すっかり幽鬼のような様相になり果てた吉川は口惜し気に呟く。開け放たれた城門は、すぐに閉じられたことにより大規模な脱走及び、秀吉軍の侵入を許すことは無かった。


长时间的围城使得形容吉川成了幽鬼一般的样子,他遗憾地嘀咕着。虽然城门曾经被打开,但立即被关闭,这使得大规模的逃亡和秀吉军队的入侵没有得以发生。


しかし、昨日まで一緒に戦っていた兵士たちが纏まって消えればどうしても噂になってしまう。投げ捨てられた武器防具に、布袋に残された書状が衆目に晒され、投降が可能であることが知れ渡ってしまった。


然而,如果昨天一起战斗的士兵突然消失了,肯定会引起谣言。他们扔下的武器和盔甲,留下的书信也会被公开展示,造成投降的影响。


飢餓にあえぐ家臣達や受け入れた民たちからは、秀吉軍へと下って欲しいとの嘆願が届けられている。それでも吉川は雪を待て、奴らも必死なのだ。今が辛抱どころだと訴え続けた。


饥饿中的臣民和受收容的人们正在恳求加入秀吉军队。但吉川仍在等待雪的到来,他们也在拼命等。他不停地呼吁现在是忍耐的时候。


降雪に一縷(いちる)の望みを託し耐えるよう、反発する家臣や領民たちに時には武力で脅してまで説得し続ける。その極限状態に於いて、秀吉の更なる計略が発動した。


抱着一线希望迎接降雪,时而动用武力威胁反抗的家臣和领民,不断进行劝说。在极限状态下,秀吉的更多策略被启动。


「殿! 敵軍が……羽柴軍が!」


「殿!敌军……羽柴军来了!」 -> "大人!敌军......羽柴军来了!"


「敵がどうした!?」


敌人怎么了!?


「ほ……保存食を作っておりまする!!」


“正在制作保存食品!”


伝令を通じて側近から齎された報告に、吉川は文字通り膝から崩れ落ちた。


通过信使传达的近臣的报告,吉川从字面上膝盖软了下来。


それは異常な光景であった。いくさの最前線に於いて不似合いな大鍋が幾つも並べられ、かぐわしい香りを放つ汁物が煮られている。


那是一个异常的景象。在战争最前线,有很多不合适的大锅摆放着,煮着散发着美味香气的汤菜。


その隣では腸(はらわた)を取って開きにされた小魚が大量に干されており、蒸されたサツマイモが筵(むしろ)の上に広げられて乾かされていた。


旁边有许多剖开并晒干了肠子的小鱼,同时在草席上晾晒着烤过的红薯。


とどめとばかりに付近で作られていた保存食である佃煮(つくだに)を、巨大な鍋で煮詰め始めたのだ。


就在附近制作的备用食品佃煮,被当做最后的救命稻草,开始在巨大的锅里慢慢熬制。


佃煮とは摂津国(せっつのくに)佃村付近で作られている伝統的な保存食である。不漁の時に備えて作られた小魚の煮物であり、塩や醤油で辛く煮締めてあるものだ。


佃煮是摄津国(せっつのくに)佃村附近制作的传统保存食品。它是为了应对不景气的时期而制作的小鱼煮菜,使用盐和酱油煮成味道较辣的佃煮。


ここで秀吉は他国に比べて遥かに砂糖を入手しやすい織田領の特異性を活かし、大量の砂糖と醤油を使って甘辛い佃煮を作らせた。


在这里,丰臣秀吉利用織田領特有的便捷获取大量砂糖和酱油的能力,制作了以甜味和咸味为主的佃煮。


ただでさえ飢餓で苦しんでいる最中に、敵軍は大量の食糧を加工して越冬の準備をしている光景は鳥取城内全ての人々の心を折った。


在已经因饥荒而痛苦的时候,敌军加工大量粮食为冬季准备的景象,使得鸟取城内所有人的心都被打败了。


風に乗って城内へと届けられる甘く香ばしい匂いに兵士たちはついに武器を捨てて泣き出してしまう。


随着风传入城内的甜美香气,士兵们终于放下武器哭泣起来。


その状況を見ていた吉川はとうとう秀吉軍に下る決断をすることとなった。


看着那种情况,吉川最终决定归顺秀吉军。


吉川は自分を筆頭に、有力者たちの切腹を条件として兵士及び民衆の助命を秀吉に嘆願した。これに対して秀吉は、極限状態にあっても城内をまとめ上げ続けた吉川を自分の幕僚に迎えようと考え、旧山名氏家臣達の切腹のみで良いとした。


吉川曾策求助秀吉,以他和其他有力者的切腹为条件,希望能够得到士兵和民众的宽恕。秀吉非常珍视吉川的能力,即便在极度危急的情况下他仍然能够维持城内的秩序,并考虑将他招入自己的幕僚团队,只要旧山名氏的家臣切腹就够了。


史実に於いては人が人を喰らう生き地獄となり果てた鳥取城であったが、今回は餓死者こそ出したものの損害が軽微であり、吉川も己を高く評価してくれる秀吉に絆(ほだ)され彼に仕えることとなる。


在历史上,鸟取城成为了人人相食的地狱,但这次损害虽然轻微,却出现了饿死者,吉川被丰臣秀吉高度评价,受其信赖,决定侍奉他。


こうして鳥取城は開城し、飢餓の極みにあった人々は秀吉軍から食料の供出を受けることとなった。


这样鸟取城被开城,饥荒中的人们得以从秀吉军队那里获得食物供应。


史実であればいきなり米粥を与えたことにより、極度の飢餓から過度の栄養摂取によるリフィーディング症候群によりショック死してしまったという痛ましい事件が起こったのだが、静子の手によって人体の働きを学んでいた金瘡医(きんそうい)(本来は刀傷などを治療する外科医を指すが、織田軍に於いては従軍する軍医を指す)の指示により重湯(おもゆ)が与えられ惨劇は未然に防がれた。


事实上,之前曾发生一件令人痛心的事件。由于直接喂食米粥,造成极度饥饿的人体过度吸收营养,引发重新进食综合征并导致休克死亡。但是,在静子的指导下,通过学习人体机能的金瘡医的指示,患者得到了重汤的喂养,这样的惨剧才被避免了。


この温情措置によって秀吉軍の評判は良くなり、近隣の有力者たちも協力的になった。逆に毛利は鳥取城陥落の報に恐慌状態となる。


由于这一温情措施,秀吉军声望得到提高,周围的有势力者也变得更加合作。相反,毛利则因鸟取城失陷的报告而陷入恐慌状态。


長期戦を考えていたところへ、呆気なく鳥取城が陥落し、更には周辺の有力者たちも織田側に付く動きを見せている。今回の敗北によって毛利は、対織田戦略を根本から見直す必要に迫られることとなった。


长期以来一直考虑作战的毛利军,在鸟取城毫无防备的情况下被攻陷,周围的有势力者也开始向織田方面倾斜。这次的失败迫使毛利重新审视对織田的战略。


一方、東国では織田軍優勢のまま状況が推移していた。信忠は勝山城及び勝山湊を完全に要塞拠点として整備し、伊豆以東の制海権を完全に掌握する。


与此同时,东国方面,織田军仍然保持着优势,信忠则彻底将胜山城和胜山湊打造成要塞基地,完全掌控了伊豆以东地区的制海权。


この武功を以て、信忠は再び東国征伐軍の総大将へと返り咲いた。


以此武功,信忠再度成为东国征讨军的总大将。


制海権を掌握したことにより、信忠は伊豆半島最南端に位置する下田城を攻めさせた。下田城には北条五大老の一人であり、伊豆水軍を率いる清水(しみず)康英(やすひで)が詰めていた。


掌握制海权后,信忠命攻打位于伊豆半岛南端的下田城。下田城中有北条五大老之一、领导伊豆水军的清水康英。


清水氏は北条氏康の傅役(もりやく)(跡継ぎにつく教育係)の家系であり、康英は氏康の乳兄弟でもある。


清水氏是北条氏康的家族中的家庭教师,负责教育继承人。康英也是氏康的乳兄弟。


史実に於いては秀吉が小田原攻めを行った際に、下田城には僅か六百の兵しかいなかったとされる。これは海路的に下田城が素通りされる可能性が高く、そこに多くの兵を配置するのは無駄だと言うのが理由だという説がある。


据史实,在秀吉进行小田原攻打时,据说下田城只有六百名士兵。有一种说法是海上方面很有可能会绕过下田城,所以在那里配置大量兵力是无用的。


また一方で主君たる氏政より「秀吉の水軍については、全て下田城の康英に任せるゆえ口出し無用」との手紙が残っており、氏政からの信頼が厚かったことが窺える。


另一方面,还留存着一封信,来自君主氏政的内容是:“关于秀吉的水军,一切都交给下田城的康英处理,口出无用。”可以看出,氏政对康英非常信任。


実際に清水は六百という寡兵でありながら、一万近い秀吉の水軍を相手に一か月近く耐え抜いたのだ。


实际上,清水只有六百名兵士,却坚持抵抗了接近一万人的秀吉水军近一个月之久。


そして信忠も間者たちから齎された情報により、氏康の信任厚い清水を警戒して先に攻め落とすよう指示する。それでも流石は清水と言うべきか、史実とは兵装も近代化して桁違いの火力を誇る信忠軍相手に善戦して見せた。


然后,根据间谍提供的情报,信忠指示先攻占信任深厚的清水,并对其保持警惕。即使对抗着装备现代化、火力超群的信忠军,清水展现了出色的战斗表现。


伊豆水軍は信忠の到着を待たずに、既に九鬼水軍の手によって壊滅していた。それにも拘わらず清水は地の利を活かし、寡兵を巧みに運用することによって信忠軍を苦しめた。


伊豆水军尚未等到信忠到来,已经被九鬼水军击溃。尽管如此,清水还是利用地形和灵活运用少量兵力给信忠军造成了麻烦。


清水は最後の一兵になるまで抵抗を続け、戦場にて討ち死にすることとなる。信忠は清水の忠勇ぶりを「敵ながら天晴。清水上野(こうずけ)介(のすけ)の働きは比類なし」と褒め称えた。


清水会一直坚持抵抗,直到成为最后的一名骑兵并在战场上牺牲。信忠称赞清水上野介的勇敢表现:“即使是敌人也得称赞。清水上野介的贡献无与伦比。”


里見と佐竹が籠城する佐貫城では、才蔵が率いる軍と睨み合いをしつつも、裏では和睦に向けて動き始めていた。


在里见和佐竹籠城的佐仓城中,虽然才藏率领的军队正在对峙,但在背后已经开始朝着和平妥协的方向行动。


これまでのいくさで両家は嫌と言うほど思い知っていたのだ。このまま籠城を続けたところで、自分たちに勝ち目はない。更には北条からの援軍も望めない。


历次战争都让双方深刻认识到了这一点。坚守下去,自己是没有获胜希望的。再加上无法期望来自北条的援军。


この状況下に追い込んだのが信長や信忠が率いる織田本軍であればまだしも、静子軍の一武将たる才蔵の率いる一部隊に過ぎない勢力に手も足も出ないのだ。


若是把当前的这种局面归咎于信长或信忠率领的織田本军,那还可以理解,但现在与静子军一名武将才蔵率领的部队对峙时,实在无计可施。


国人として、武将としての面子よりも血統を残すことを優先し、両家は恥をしのんで敗北を受け入れた。


作为国人和武将,流传血脉比面子更重要,双方家族都忍受着耻辱接受了失败。


しかし、才蔵軍は積極的に攻め込んでは来ないため、北条家の趨勢(すうせい)を見極めるべく、和睦の使者を遣わしつつも籠城を続けている。


然而,才藏军并未积极进攻,为了观察北条家的趋势,他们继续固守城池,同时派遣和睦使者。


奥州では伊達家が蘆名、最上の両家に対していくさを仕掛けた。蘆名家には織田軍から佐久間父子と林秀貞(ひでさだ)が攻め込み、伊達家は最上家に専念することとなる。


在奥州,伊达家向著蘆名家和最上家发动了战争。織田军攻击了蘆名家,派出了佐久间父子和林秀贞。伊达家则专注于对抗最上家。


当然ながら最上家より嫁いできている義姫は憤慨したが、伊達家内の意見は織田軍に付くことで統一されているため、顧みられることは無かった。


当然,嫁到最上家的义姬感到愤慨,但由于伊达家内的意见已统一为支持织田军,因此没有被考虑。


最上の領土では伊達家の動きに呼応した親伊達派が反乱を起こし、最上は陥落寸前の状態へと追い込まれている。蘆名家については織田軍の侵攻を受けて早々に降伏し、その処遇については伊達家の意向を考慮しつつ、林が対応することとなる。


在顶尖领土上,响应伊达家的动向,支持伊达家的人们发动了起义,最上家陷入了近乎沦陷的状态。对于蒲生家,面临織田军的入侵,很快就投降了,并考虑了伊达家的意图,由林来处理。


これらのことで東国は既に信長の手中にあると言っても過言ではない状況となった。東北地方の一部及び、奥州以北が残されているが、それらは伊達家が時間を掛けて併呑するだろう。


这些情况下,可以说东国已经落入信长的手中。虽然东北地区的一部分和奥州以北尚未被占领,但它们将被伊达家所吞并。


日ノ本で信長の手が及ばないのは、中国地方及び九州のみとなった。


日本境内,只有中国区域和九州地区逃脱了信长的控制。


それらにしても毛利は既に虫の息であり、九州は各国人が群雄割拠しているため、信長に抗しうる勢力は存在しない状況だ。政治の中心である京を押さえ、経済の中心も堺から尾張へと移りつつある。


然而,即使这样,毛利已经奄奄一息了,而九州由于各个国家的人群分裂,因此不存在能够对抗信长的力量。京都作为政治中心得到控制,而经济中心也正在从堺城转移到尾张城。


織田家に与(くみ)していない日ノ本の武家たちは、信長こそが天下人であり、天下統一は時間の問題だというのが共通認識となった。


未加入织田家的日本武士们普遍认为,信长是天下人,天下统一只是时间问题。


ことがここに至っては、北条家が勝利すると考えている者はおらず、北条家が滅べば明日は我が身とばかりに保身に走ることとなる。


目前已经到了这一步,没有人认为北条家会获胜,如果北条家覆灭,所有人都会想着自保。


「今更媚(こび)を売ったところで、上様のご機嫌を損ねるだけだと気付かないのかな?」


「现在卖弄媚态又有什么用呢?不知道这只会让上方的高兴心情变差吗?」


静子は真田昌幸から齎された報告書を読みながら首を傾げた。信長が東国征伐の号令を掛けた時点で申し入れていれば、彼も悪いようには扱わなかっただろう。


静子看着由真田昌幸带来的报告单,摇摇头。如果信长在发动东国征讨时听从了提出的建议,他也不会被视为恶人了。


しかし、大勢が決した状況では天下統一後の世で甘い汁を吸わんとしている意図が見え見えであり、受け入れはするものの決して厚遇はされない。


但是,在大局已定的情况下,很明显可以看到他们的意图是在天下统一后轻松获得好处。尽管我们接受他们,但他们绝不会受到特别优待。


(流石にリスクを負わずに勝馬に乗ろうとするのは虫が良すぎるよね。まあ私としては太平の世になって、のんびり過ごせれば言うことないんだけど)


(一心想着不冒风险就想骑上赢马可太不切实际了。虽然如果能度过太平盛世,悠闲自在地过日子那就再好不过了。)


静子は信長が天下統一を成し遂げた暁には、引退してのんびり畑でも耕して過ごしたいと折に触れて口にしている。


静子常常说,等信长实现天下统一后,她想退休在田间悠哉地耕种并度过余生。


しかし、静子以外の誰もがその願いが実現することはないと思っていた。何せ静子は信長すら呆れるほどのワーカホリックであり、常に何かしていなければ気が済まない性分なのは明らかだ。


然而,除了静子之外,没有人认为这个愿望会实现。毕竟,静子是一个工作狂,连信长都感到惊讶,她显然总是需要做些什么才能感到满足。


ゆっくり過ごすと口にしながらも、数か月もすればあくせく働いている姿が目に浮かぶ。静子のこととなれば大抵肯定的に受け止める足満ですら、のんびり過ごす静子の姿を思い描けないでいた。


虽然口中说着悠闲度日,但几个月后却浮现出忙碌工作的身影。即使是对静子一向持肯定态度的足满也无法想象她悠闲自得的样子。


「静子様、足満様がいらっしゃいました」


“静子大人,足满大人来了。”


「ん、問題無いから通して」


"嗯,没问题,通行吧。"


小姓に返事をすると、少しして足満が部屋に入ってきた。


小姓回答后,不久足満便进了房间。


「随分と熱心に見ておるな」


“你很热心地看着呢。”


足満は自分が入室しても報告書から目を上げない静子に苦笑する。


足满苦笑着看着静子,即使他进入房间,她也不会从报告书上抬起头。


「北条に関しては早ければ年内、遅くとも来年には決着を付けたいからね」


“关于北条,我们希望能在年底之前,最迟明年做出决定。”


「遠からず音(ね)を上げるだろうよ。支城は櫛の歯が欠けるように奪われ、海は完全に封鎖されている。東北を平定した勢力もじきに南下して来るだろう」


「不久将会发出声音。支城已经像梳子牙齿一样被夺走,海洋已经被完全封锁。征服了东北的势力很快就会南下。」


「それでも暫くは耐えるだろうね」


"但还是能忍一段时间的吧"


「耐えたところで仕方あるまい。勝てる道筋が無いのだから、後は時間の問題だ。それに静子、お前も裏から手を回しておるだろう?」


"再忍耐又有什么办法呢?既然没有赢的机会,只是时间问题。静子,你也肯定在暗中操作吧?"


足満の問いに静子は初めて報告書から目を離した。揺るがない足満の目を見て静子は嘆息すると、報告書を机の上に置いた。


静子第一次从报告书上抬起视线看着足满。看着足满坚定的眼神,静子叹了口气,把报告书放在桌子上。


「目立たないようにしてたんだけど、やっぱり判る人には判るんだね。柴田様は小細工を好まれないから、こっそりやってたんだけど」


“我一直在保持低调,但那些懂得的人依然能够看出来。柴田先生不喜欢小聪明,所以我一直在秘密进行。”


「柴田は気付くまいよ。織田軍に於いても目端の利く者ならば気付く可能性がある程度だろう。何せ静子のしていることは経済戦争だからな」


"柴田不会意识到的。但是在織田军中,有目光敏锐的人可能会注意到一些线索。毕竟静子现在正在进行经济战争。"


経済戦争とは軍事目的を伴う経済政策を指す用語だ。中世から近世にかけての戦争は、人口調整という側面もあるのだが、経済戦争は国家間の対立を解消すべく行われる。


经济战争是指带有军事目的的经济政策的术语。虽然中世纪到近现代的战争也有人口调整的方面,但经济战争是为了解决国家间的对立而进行的。


直接的に武器を突き合わせるのではなく、敵国の経済力に影響を与えて間接的に継戦能力を奪う戦略となる。


不是直接迎头对抗武器,而是采用间接策略影响敌国经济实力,剥夺其持续战斗能力。


史実に於いて明確な経済戦争とされるのは第二次世界大戦時に、連合国と枢軸国の双方が戦略資源を奪い合う『敵資源の取り込み』という政策を行っている。


在史实中明确被称为经济战的是第二次世界大战期间,联盟国和轴心国双方进行了争夺战略资源的“敌方资源获取”政策。


「とは言え、やっていることは金の流れを操作しているのと、物資を差配できる有力な商人を取り込んでいるだけだけどね」


“虽然说,我们所做的只是操纵黄金流通并吸纳有能力分配物资的强大商人而已。”


「それだけで充分だろう。物と金を絞られたら人は干上がるしかない」


只需要那些已经足够了。如果被剥夺了物质和金钱,人们就只能沦为枯竭的存在。


いくさをするには武器や食料も大事だが、それと同様に金が物を言う。物があっての金ではあるが、あらゆる物と交換可能な金は人を動かす原動力足り得る。


打仗需要武器和食物,但同样重要的是金钱。尽管金钱是通过物品而存在的,但能够与任何物品交换的金钱是推动人们行动的动力。


たとえ国家存亡の危機にあっても、無給で働ける者はそう多くないのが実情だ。


即使在国家存亡危机的情况下,能够无偿工作的人也并不多见。


「それで首尾はどうなのだ?」


“那么,结果怎样?”


「いくさのお陰で物流が滞っているせいか、物資を供給できる我々に下る商人は増えているよ。一部の地元と密着した商人は抵抗しているけれど、物が無いんじゃ影響力も小さくなるばかりだね。年明け辺りには物流を支配できると思う」


「由于战争导致物流受阻,我们能够供应物资的商人越来越多。虽然有部分与当地密切联系的商人正在抵抗,但是如果没有物资,影响力只会越来越小。我认为到明年初我们将能够控制物流。」


足満の質問に答えながら、静子は先ほど目を通していた報告書を彼に手渡した。ざっと目を通した足満は小さく笑みを浮かべて口を開いた。


足满一边回答静子的问题,一边接过她刚才看过的报告书。他匆匆浏览了一遍报告书,然后微笑着开口说话。


「上々だな」


"真不错"


【GPT机翻】战国小町苦劳谭 (戦国小町苦労譚)- 170 [千五百七十七年 九月下旬]的评论 (共 条)

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