芥川龙之介《罗生门》讲义(四)[转载]
一、正文
[日] 川合康三 · 著
§『羅生門』(四)
下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れているのである。
髮を抜く理由がわかれば、それによってよいことかわるいことか判断できる。
しかし理由以前にこのような行為自体を下人は悪とみなす。なぜか。死者の冒瀆であるのだから。
そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄(ひじりづか)の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのはいうまでもない。
憎悪が行動となってあらわれる。恐怖はなく憎悪に動かされ、自分は正しい立場にあるゆえ、躊躇することはない。
老婆は、一目下人を見ると、まるで弩(いしゆみ)にでも弾(はじ)かれたように、飛び上った。
老婆の方もまさか人がやってくるとは思わなかったから驚く。
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が屍骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞(ふさ)いで、こう罵(ののし)った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は屍骸の中で、暫(しばらく)、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ扭(ね)じ倒した。丁度、鶏(にわとり)の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
この段落は初めて登場人物の発する言葉が「」で囲われて直接出てくる。またほとんど動きらしい動きがなかった叙述が、ここで激しい格闘、とっくみあいが書かれる。ここまでは作者が時に読者の立場に降りてきたりしながらも登場人物を操って叙述していたのが、発語が記されるのと同時に彼らは勝手に動き出す。
老婆をにわとりにたとえる比喩はのちにも変型してあらわれる。
「何をしていた。いえ。いわぬと、これだぞよ。」
下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘(さや)を払って、白い鋼(はがね)の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球(めだま)が眶(まぶた)の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されているという事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後(あと)に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこういった。
ここにも下人の心理の変化。老婆の生死が自分に握られていると気づく→①憎悪が冷める→②得意と満足 ①②の変化はなぜ起きるか。①憎悪は対象に対する攻撃的な心理。その対象がすでに自分に屈服した状態であるので憎悪は消える。②善の立場から悪を攻撃し、悪を手中に収めたという達成感から。
「老婆は黙っている」のはなぜか。恐怖のため、震えるだけで言葉がでない。
「己(おれ)は検非違使(けびいし)の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄(なわ)をかけて、どうしようというような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
検非違使でない―老婆を安心させる。老婆が逃げようとしたのは自分のしている悪事がとがめられることを恐れてのことだったとわかる。
「旅の者だ」なぜでまかせを言ったか。その土地に住んでいたり、仕事をもっているのでないことで、利害関係がないことを明らかにして老婆を安心させる。
悪を攻撃する目的は遂げた。あとはなぜそのような悪を働いていたかがのこる。それを問いただす。
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。眶(まぶた)の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺(しわ)で、殆(ほとんど)、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏(のどぼとけ)の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉(からす)の啼くような声が、喘(あえ)ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
先にはにわとり、ここで肉食鳥、さらに鴉。
老婆の醜さが容貌、行動、声すべてにおいて描かれる。醜いと思うのはまず下人の感覚を通してのことである。下人は老婆を恐れることも憎むこともなくなったが、その行為に嫌悪をもち、醜悪な人間と思っている。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしょうと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑(ぶべつ)と一しょに、心の中へはいって来た。
語釈:かずら―添え髮、かもじ。
ここにも下人の心の変化。失望→憎悪・侮蔑
「平凡」と思ったのは、何を予想していたのか。なぜ失望したのか。自分が善を燃え上がらせて悪に抗した、向かい合う悪は自分の正義感に対応するほど大きな悪であってほしい。が、小さな利益のための行為にすぎなかった。その相手の答えが平凡で自分がいきり立つほどのことではないと思って失望した。
失望は相手に対する期待の喪失。屍体を蹂躙していたことへの憎しみ、それは理由がわかったから軽蔑もともなう。
すると、その気色(けしき)が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ屍骸の頭から奪(と)った長い抜け毛を持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事をいった。
「なるほどな、死人(しびと)の髪の毛を抜くという事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、その位な事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸(しすん)ばかりずつに切って干したのを、干魚(ほしうお)だというて、太刀帯(たてわき)の陣へ売りに往(ゆく)んだわ。疫病(えやみ)にかかって死ななんだら、今でも売りに往(い)んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいというて、太刀帯どもが、欠かさず菜料(さいりょう)に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
生きるためには何をしてもいい。
ひきがえるに比喩。
下人は、太刀を鞘(さや)におさめて、その太刀の柄(つか)を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰(にきび)を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中(うち)に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などという事は、殆(ほとんど)、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
勇気が生まれる。老婆を捕らえた時の勇気とは反対の勇気。正義の勇気と邪悪の勇気という心境の変化。行動への意思。老婆の話を聞いて「勇気」がわいたのはなぜか。
「きっと、そうか。」
老婆の話が完(おわ)ると、下人は嘲(あざけ)るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰(にきび)から離して、老婆の襟上(えりがみ)をつかみながら、噛みつくようにこういった。
「では、己(おれ)が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
立場が逆転。自分が生きるためには何をしてもいいという老婆の論理を奪う。
下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅(わずか)に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色(ひわだいろ)の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
夜の底 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
夜の深い闇をいう。「夜の底へ姿を消す」
暫(しばらく)、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。
下人の行方(ゆくえ)は、誰も知らない。
黑洞々 洞洞 黒いさま 黑洞洞は漢語。
最後は老婆の視点に変わる。
夜は行き場を失った老婆の未来を示す。
(大正四年九月)
最後の結びの一文はたびたび変更されている。上述『帝国文学』の初出では「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」 になっており、短編集では「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」 となっている。現在では、「下人の行方は、誰も知らない」 となっている。
前の二つでは下人が老婆に出会い、服をはぎ取ったのをきっかけに強盗になったことを明らかにする。後ろの一つではぼかす。前の二つに満足しなかったために変更した。前二つよりよい。が、最後の一句はなくてよいのではないか。
『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容(蛇を売る女の話)を一部に交える形
[古文・原文]
巻第29第18話 羅城門登上層見死人盗人語第十八
羅城門 上層に登り死人を見る盗人の語
.今は昔、摂津の国の辺りより盗みせむがために、京に上りける男(おのこ)の、日のいまだ暮れざりければ、羅城門の下に立ち隠れて立てりけるに、朱雀(すざく)の方に人しげく行きければ、人の静まるまでと思ひて、門の下に待ち立てりけるに、山城の方より人どものあまた来たる音のしければ、それに見えじと思ひて、門の上層(うわこし)に、やはら(そろそろと)かきつき(抱きついて)登りたりけるに、見れば火ほのかにともしたり。
盗人(ぬすびと)、怪しと思ひて、連子(れんじ)よりのぞきければ、若き女の死にて臥したるあり。その枕上(まくらがみ)に火をともして、年いみじく老いたる嫗(おうな)の白髪白きが、その死人の枕上に居て、死人の髪をかなぐり(引っ張って)抜き取るなりけり。
盗人これを見るに、心も得ねば(わけがわからず)、これはもし鬼にやあらむと思ひて恐ろしけれども、もし死人にてもぞある、おどして試みむと思ひて、やはら戸を開けて刀を抜きて、「おのれは、おのれは」と言ひて、走り寄りければ、嫗、手まどひをして、手をすりてまどへば、盗人、「こは何ぞの嫗の、かくはし居たるぞ」と問ひければ、嫗、「おのれが主(あるじ)にておはしましつる人の失せ給へるを、あつかふ人のなければ(処理する人もいないので)、かくて置き奉りたるなり。その御髪の丈に余りて長ければ、それを抜き取りて鬘(かづら)にせむとて抜くなり。助け給へ」と言ひければ、盗人、死人の着たる衣(きぬ)と嫗の着たる衣と、抜き取りてある髪とを奪ひ取りて、下り走りて逃げて去(い)にけり。
さて、その上の層には、死人の骸(かばね)ぞ多かりける。死にたる人の葬(ほうむり)などえせざるをば、この門の上にぞ置きける。
このことは、その盗人の人に語りけるを聞き継ぎて、かく語り伝へたるとや。

今昔物語は平板。羅生門は屈折。下人の変化が中心。テーマがあらわれる。自分が生きるためには何をしても許される。「罪と罰」が連想。
二、中文翻译:
§《罗生门》(四)
家将当然不知道老婆婆为什么要拔死人的头发。因此,从合理的角度来说,我不知道应该将其归纳为善恶中的哪一种。但对下人来说,在这雨夜,在这罗生门上拔死人的头发,就已经是不可饶恕的恶行了。当然,家将早就忘了自己刚才还想当强盗的事。
拔发的理由的话,那就来判断是否干可以好。
但在理由之前,这种行为本身被下人视为恶。为什么呢?因为这是对死者的亵渎。
于是,下人两脚一用力,突然从梯子上跳了上去。然后手握圣柄大刀,大步走到老婆婆面前。老婆婆当然很吃惊。
憎恶变成行动表现出来。没有恐惧,而是被憎恶所驱动,因为自己处于正确的立场,所以不会犹豫。
老婆婆看了下人一眼,就像被弩射中一样跳了起来。
老婆婆也没想到会有人来,吓了一跳。
“你要去哪里?”
老婆婆被尸体绊倒,慌忙想要逃走,家将拦住她,骂道。尽管如此,老婆婆还是想推开下人。家将又不去,推了回去。两人在尸骸中暂时沉默地扭打在一起。但是胜败,从一开始就知道了。仆人终于老婆子的手臂抓住按倒在地扭(啊)打倒了。就像鸡腿一样,只有皮包骨头的胳膊。
这个段落第一次把登场人物说的话用“”圈起来直接出现。另外,几乎没有像样动作的叙述,在这里写到了激烈的搏斗和打斗。到这里为止,作者有时会站在读者的立场上,操纵登场人物进行叙述,但在发语被记录的同时,他们就会擅自行动起来。
把老婆婆比喻成鸡的比喻后来也变型出现。
“你在干什么?不,不说,就是这个。”
家将一把推开老太婆,猛地推开刀鞘,将白钢的颜色推到她面前。但是,老婆婆没有说话。她双手不停地颤抖,肩膀不停地喘着气,眼睛睁得像哑巴一样固执地不说话,眼睛几乎要从眼皮底下眨出来。看到这里,家将才明白这老太婆的生死完全受自己的意志支配。这样的意识,使至今还在猛烈燃烧的憎恶之心,不知何时冷却了。剩下的,只有做了某项工作,圆满完成时的安详的得意和满足。于是,下人俯视着老太婆,声音稍稍柔和地说。
这也是下人心理的变化。发现老婆婆的生死掌握在自己手中→①憎恶情绪冷却→②得意和满足①②的变化为什么会发生呢?①憎恶是对对象的攻击性心理。因为对象已经屈服于自己,所以憎恶就会消失。②从善的立场攻击恶,从将恶收入囊中的成就感。
“老婆婆不说话”是为什么呢?因为恐惧,只会颤抖,说不出话来。
“我不是衙门里的官差,只是刚刚从这门底下经过的一个旅人,所以没有必要用绳子绑住你。只要告诉我现在在这扇门上做了什么就可以了。”
不是衙门使臣—让老婆婆放心。老婆婆之所以想要逃跑,是因为她害怕自己做的坏事会被责备。
“我是旅行者”,为什么要胡说八道呢?表明自己不是住在那片土地上,也不是在那片土地上工作,所以没有利害关系,让老婆婆安心。
打击邪恶的目的达到了。剩下的就是为什么要做这样的坏事了。我追问那个。
老婆婆把原本睁大的眼睛睁得更大了,目不转睛地盯着下人的脸。她的眼眶红红的,用食肉鸟般的锐利眼神看着他。然后,他那皱巴巴的、几乎和鼻子连在一起的嘴唇,像在咬什么东西似的动了动。纤细的喉咙里,可以看到尖尖的喉结在动。这时,从他的喉咙里喘息着乌鸦的啼鸣声,传到家将的耳朵里。
前面是鸡,这里是食肉鸟,还有乌鸦。
老婆婆的丑陋在她的容貌、行动、声音上都得到了刻画。觉得丑首先是通过下人的感觉。家将对老婆婆既不害怕也不憎恨,但对她的行为很厌恶,认为她是丑恶的人。
“我想把这个头发拔出来,把这个头发拔出来,变成假发。”
老婆婆的回答出乎意料地平凡,家将很失望。在失望的同时,先前的憎恶和冰冷的轻蔑一起涌进了心中。
美国:光线——附带发,也许。
这也是下人的心理变化。失望→憎恶、侮蔑
觉得“平凡”,是在预想什么呢?为什么会失望呢?希望自己燃烧着善与恶对抗,面对的恶是与自己的正义感对应的大的恶。但这不过是为了蝇头小利的行为。他觉得对方的回答很普通,不值得自己生气,感到很失望。
失望是对对方失去期待。对蹂躏尸体的憎恨,也伴随着知道理由的轻蔑。
于是,他的脸色(景色)也被对方察觉了吧。老婆婆一手拿着从尸体头上夺来的长头发,用蟾蜍自言自语般的声音,结结巴巴地说。
“原来如此,拔死人的头发,也许是一件多么不好的事情。可是,这里的死人,都是些可以做那种事的人。我刚才拔下头发的那个女人,把蛇切成四寸大小的一段晒干,说是干鱼,正往太刀带的阵营去卖呢。如果她得了疫病死了的话,到现在还会去卖的吧,而且,据说她卖的干鱼味道很好,带子们都买她做菜。我不认为这个女人做了什么坏事,否则她就会饿死,这也是没办法的事,那么,我现在所做的事也不认为是坏事。如果不这样做的话,就会饿死,这是没有办法的事,所以,这个女人很清楚这种没有办法的事,大概也会原谅我的事吧。”
老婆婆大致说了这样的话。
为了活着,做什么都可以。
比喻青蛙。
家将收刀入鞘,左手按住刀柄,冷冷地听着这番话。他听着,右手摸摸脸上的肿疮。但是,听着听着,下人的心里生出了某种勇气。那就是刚才在门下时,这个男人所欠缺的勇气。而且,和刚才爬上这扇门,抓住老婆婆时的勇气完全相反。家将不是没有犹豫过是饿死还是做贼。以他当时的心情来说,饿死这种事,几乎连想都不敢想,被赶出了意识之外。
产生勇气。与抓住老婆婆时的勇气相反的勇气。正义的勇气和邪恶的勇气的心境的变化。对行动的意愿。听了老婆婆的话,为什么会产生“勇气”呢?
“一定是这样啊。”
老婆婆说完后,下人用嘲讽的声音问道。他向前走了一步,突然右手离开脸上的粉刺,抓住老太婆的大襟,狠狠地说。
“那么,你就不要怨恨我要把你剥了吧。如果我不这么做,你也会饿死的。”
立场逆转。剥夺了老婆婆为了自己的生存什么都可以做的理论。
家将迅速剥下老婆婆的衣服。然后,把想要抱住脚的老婆婆粗暴地踢倒在尸体上。离梯口只有短短的五步。家将把剥落的桧皮色和服夹在腋下,转眼间从陡峭的梯子上往下爬。
“穿过国境线上长长的隧道,便是雪国。夜幕下一片白茫茫。”
指的是夜晚深深的黑暗。“消失在夜幕下。”
过了一会儿,一个像死了一样倒在地上的老婆婆从死尸中扶起了赤裸的身体。老婆婆发出似呢喃又似呻吟的声音,借着还在燃烧的火光,爬到梯口。然后,从那里倒着一头短白发,往门下看。外面只有漆黑的黑夜。
谁也不知道下人的下落。
黑洞黑洞洞洞洞黑大人是汉语。
最后变成老婆婆的视角。
夜晚为无处可去的老婆婆指明了未来。
(大正四年九月)
最后的结束语经常变更。上述《帝国文学》中第一次提到:“家将已经冒着雨,急急到京都街头去抢劫。”短篇中写道:“家将已经冒雨赶去京都街头抢劫了。”写着。现在则是“谁也不知道家将的去向”。
在前两个故事中,揭示了下人遇到老太婆,把老太婆的衣服扒了下来,从而变成了强盗。后面一个就模糊了。因为对前两项不满意而更改了。比前两个好。但是,没有最后一句不是也可以吗?
以《今昔物语集》的《罗城门登上层见死人盗人语第十八》为基础,穿插了《太刀带阵卖鱼姬语第三十一》的内容(卖蛇女故事)。
[古文·原文]
卷第29第18话罗城门登上层见死人盗人语第十八话
罗登城门上层见死人贼语
。以前,有个男人从摄津国附近上京去偷东西,天还没黑,他就躲在罗城门下,朱雀那边人来人往,他想等到人静下来为止。他在山下等着,听到山城那边来了很多人的声音,他想应该是看见了,就抱着他们爬上了门的上层,只见门上微微地亮着火。。
盗贼觉得奇怪,连子一看,只见一个年轻女子卧病在床。在其枕上点着火,年老妪的白发,在死人的枕上,把死人的头发揪下来。
盗贼见此,心里也不明白,以为是鬼,心里害怕,但又以为是死人,想吓唬一下,于是打开门,拔出刀,说:“我是,我是”。跑过去,妪,手擦窗,手擦窗,盗贼问:“妪,何妪之妪,居此也”,妪,“己主之人之失,若无之人处理。”因为没有人做,所以就把他放在那里,如果他的头发太长,就把假发拔出来。

今昔物语平淡无奇。罗生门是曲折的。以下人的变化为中心。出现主题。为了自己的生存,做什么都可以。联想到“罪与罚”。