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松隆子近期采访-关于出道三十周年,舞台剧等(自存)

2023-03-24 21:06 作者:iye___  | 我要投稿

—今年是出道30周年了,坦率来讲心情如何呢?

 30年……ですね。いやぁホントにお仕事をくださる方がいてくれたおかげで、今日までこられたなぁと思います。私の場合は出所がはっきりしすぎていて、「で、だからなんなの?」っていうところからのスタートだったので。そうした(役者の家系という)背景があってのチャンスもあれば、それとは関係のない方たちと出会えたこともよかったし。今回の松尾さんみたいに、あきらめずに声をかけてくださる方々がいてくれたおかげで、つながってきたのだろうと思います。

松:30年了呢。我想多亏有人给我工作,我才能走到今天。对于我来说,自己有着这样的家庭背景,而且是从“做这个怎样呢?”这样开始的。因为有这样(演员的家族)的背景所以有了机会,也很高兴能遇到各种各样的人。像这次松尾先生这样的人,不放弃地和我交谈,我们才能联系起来吧。


ーー自从十几岁出道以来,印象中你的职业生涯一帆风顺,你是怎么想的呢。

 ある意味、選択した状況に思いがけず流され始めたことで、環境が変わっていったところがあったと思います。最初は、舞台でちゃんと立てる人になりたいなぁと思ってお芝居を始めたのですが、18歳の時、映像をやるか、舞台をやるかを選択する局面があったんです。

私は、初めて連続ドラマに出たのが「ロングバケーション」というドラマだったのですが、その時にちょうど舞台のチャンスもあって、私は当然舞台をやるつもりでいたんですね。けれどなぜか……父が言ったか、母が言ったのか定かに覚えていないのですが、「(ドラマは)今だけのチャンスかもしれない」みたいなことを親に言われたんです。

で、「ああ、そうなの?」と思って、テレビの流儀も知らないまま、「まぁでも、お芝居をする場所かぁ」ぐらいの感覚で出させていただいて。当時の私は、“月9”の読み方すら知らず、「げっく?」なんて言っていたし(笑)、実際、ドラマの現場は舞台以上に未知の世界でした。

でも、その現場でいろいろ教えていただけたのは、ホントに恵まれていたなと思うんです。もしあの時、タイミングが違ったら、また別の進み方をしたかもしれないし、出会った人も変わってきたかもしれない。今となっては、ああ、それでよかったのかなと思えるポイントですね。

松:在某种意义上,因为一个意想不到的选择,所处的环境也发生了变化。起初,我想成为一个能够在舞台上表演的人,所以我开始演戏,也就是我18岁的时候,我面临着一个选择,是出演电视剧还是舞台剧。

我第一次出演连续剧是《悠长假期》,那个时候正好也有上舞台的机会,我当然也有上舞台的打算。但不知为何... ... 我已经记不清是父亲说的,还是母亲说的了,说“(电视剧)也许只是现在才会有的机会”之类的话。

然后,我想“哦,是吗?”,我不知道拍摄电视剧的风格,“嗯,但是还是一个演戏的地方吧”这种感觉。当时的我,连“月9”的读法都不知道(笑) ,实际上,电视剧的拍摄现场是比舞台剧更加未知的世界。

但是,能在那样的现场得到各种各样的指导,我觉得真的很幸运。如果当时时机不对,我可能会向另外的方向前进,遇到的人也可能会有所改变。事到如今,这一点让人觉得,啊,这样真的挺好的。


--在你心中,舞台和影像是完全不同的感觉吗?

 取り組む姿勢はあまり変わらないです。舞台の「今度こそ一番よくなるように」という気持ちは、映像の「今日も一回一回終わらせてOKをもらうぞ」という気持ちと同じで、どちらも一生懸命やるだけなので。そのコツコツ進んでいく感じは一緒な気がします。

ただ、決定的に違うのは、舞台(での自分)というのは毎日違って、できなかったり、今日できても次の日できるとは限らなかったりすることです。

映像は、監督の「オッケー」をもらえたら、あとはもう監督にお任せし、それを重ねていくものなので。自分がどう思っても撮り直せないと思うぶん、「あのシーン、どうだったかな……」と(不安に)思うと、それが映ってしまうような怖さもあります。

その意味では、映像はよりスピードが速い俊敏なイメージで、舞台はより持続力が鍛えられるものという気がします。

松:对待这两者的态度没有太大变化。舞台上是“这次一定要做到最好”的心情,和影像中“今天也要一次一次好好地得到 ok 哦”的心情一样,都只是拼命努力而已。那种孜孜不倦前进的感觉是一样的。但是,决定性的不同之处在于,舞台(中的自己)每天都不一样,有时候做不到,有时候即使今天做到了,第二天也不一定能做到。但影像的话,只要得到导演的“ok”,剩下的就交给导演了,然后再重复下去。无论自己怎么想都无法重新拍摄,所以会不安地想“那个场景会怎么样啊... ...” ,就会有这样的恐惧感。从这个意义上说,影像给人一种速度更快的印象,而舞台更能锻炼持续力。


-- 后来随着电视剧的工作量越来越大,你对舞台剧的感觉有什么变化吗?

 舞台に関しても、「ロンバケ」の少しあとに、改めて舞台のお芝居の勉強をちゃんとしたいな、修行をしたいなと思う機会が自分に訪れたんです。それで、20代の頃は、年に1本は舞台をやりたいというふうに、仕事の配分を決めようとしていました。

けれど、30代、40代と経験を重ねるにつれて、そうそう計画通りにうまくいくものではないかもなぁと思い始めて。それよりも、出会いのタイミングと、「やりたいな」「これはやるべきかな」という自分の思いに正直でいたほうがいいと思うようになったんです。
だから今は、あまり配分も考えず、巡りあわせに身をゆだねていて、その流れの中で松尾さんとのコントも始まったという感じです。

松:关于舞台剧,在《悠长假期》之后不久,我又有了一个好好学习舞台剧、想修行的机会。因此,在我20多岁的时候,我试图决定工作的分配,像是我想每年做一个舞台剧。

但是,随着30多岁、40多岁经验不断积累,我开始觉得事情可能不会像计划的那样顺利。相比之下,我开始觉得相遇的时机,以及诚实地对待自己“我想做”、“这个是不是应该做”的想法会更好。

所以现在,我没有考虑太多的工作分配,只是顺其自然,在这个过程中,我和松尾先生的短剧也开始了。

——4月14日开始,因疫情而中断的松本白鹦主演的舞台剧《我,堂吉诃德》的最终公演将重新开始。

 私はこれまで、再演を重ねた経験自体がそれほど多くないんです。そんな中で「ラ・マンチャ」は、私にとても多くの経験をさせてくれた作品です。それに、同じ役でも同じようにやるんじゃなくて、やっぱり毎回違う。同じことをやるように見えて、毎回新しいことに挑戦できる、舞台って不思議な世界だなと思います。

松:至今为止,我反复重演的经验本身并不多。《我,堂吉诃德》是一部给了我很多这样经验地作品,即使是同样的角色每次演起来都不一样,果然每次都不一样。看起来像是在做同样的事情,但每次都能挑战新的事情,我觉得舞台是个不可思议的世界。


——对于重新再开的公演,你有和父亲说些什么吗。

 いえ、特に話してはいないです。父は年齢も年齢ですし、身体的なケアなど、いろんなことを心配する必要はあるんですけど、そうやって心配をしていて、今まで何度となく(手を前に伸ばす身振りで)「お~い!(待ってくれ~)」って置いていかれたことがあるので(笑)。
それよりも今は自分の心配をして、とにかく今回が一番よくなるように、自分の精一杯をぶつけたいと思っています。

松:不,没说什么特别的话。父亲的年龄也在那里了,身体上的护理等,虽然有担心各种各样的事情的必要,但是这样担心着,到现在为止有好几次【作出把手向前伸的姿势】就这样把它搁置在那里了(笑)。现在比起那些,我更担心自己,总之这次要做到最好,我想竭尽全力。


——最后,能问一下您认为的帅气的大人形象吗?
 どうでしょうね……正しくて完璧な人はカッコいいのかもしれないけど、私は、それだけじゃない隙やユーモアがあるチャーミングな部分を持っている人に惹かれてしまうし、自分もそうありたいなと思うんです。誰に対しても、ユーモアを忘れずに接することができる人が私はカッコいいと思いますね。 

松:是怎样的呢... ... 正确、完美的人或许很帅,但我想我还是会被那些有些小破绽、有幽默感这样魅力的人所吸引,我也希望自己成为那样的人。能够不忘幽默地对待任何人,我觉得这样的人很帅气。

预祝「ラ・マンチャ」公演顺利!


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