俸禄制


五月雨五月病
俸禄制
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俸禄制(horokusei)
2016/03/04
江户时代,家臣从领主(那里)给与藏米(俸禄米)的制度。藏米知行和藏米取合并后的称呼,相对于地方知行的概念。藏米知行是地方知行拟制化的制度,以保留知行村为名义,同时以藩公定的年贡率将藩收纳的物成米(年贡米)从藩库领取。藏米取有切米取、扶持取、给金取等形式。本来两者是分开的,但在物成渡(完成年贡)这点上是共通的,所以合并叫做俸禄制。(山川 日本史小词典(修订新版),2016年,山川出版社)
俸禄制(ほうろくせい)
2016/03/04
江戸時代,家臣が領主から蔵米(俸禄米)を給与された制度。蔵米知行と蔵米取をあわせた呼称|こしょうで,地方(じかた)知行に対する概念。蔵米知行は地方知行が擬制化したもので,知行村を名目的には残しながら藩公定の年貢率で藩が収納した物成(ものなり)米を藩庫|こからうけとる。蔵米取には切米取(きりまいとり)・扶持取(ふちとり)・給金取などの形態があった。本来両者は別個だが,物成渡という点で共通するので,あわせて俸禄制とよぶ。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
〇〇
えど‐じだい【江戸時代】
徳川氏が政権を握り、幕府を江戸に置いていた時代。慶長八年(一六〇三)、徳川家康が江戸に幕府を開いた時から、慶応三年(一八六七)、徳川慶喜が大政を奉還するまでの約二六〇年間をいう。武士が社会の指導者としての地位を確立し、庶民生活も大きく向上した。鎖国政策で外国との接触は少なかったが、この時代における文化の蓄積は、近代における欧米文化の受容に大きな役割を果たした。徳川時代。
とくがわ‐いえやす【徳川家康】
江戸幕府初代将軍。岡崎城主松平広忠の長男。幼名竹千代、のち元信、元康、家康と改めた。院号安国院。はじめ、今川義元、ついで織田信長と結び、武田氏を滅ぼす。豊臣秀吉と和睦して天下統一に協力。天正一八年(一五九〇)江戸に入府。関ケ原の戦勝後、慶長八年(一六〇三)征夷大将軍となる。同一〇年秀忠に将軍職を譲り、大御所として駿府で幕府の土台固めにつくした。豊臣氏を滅亡させた大坂夏の陣にも出陣。死去の翌年東照大権現の神号勅許をうけ、久能山から日光山に改葬された。天文一一~元和二年(一五四二−一六一六)

松平広忠 「 松平広忠 」(まつだいらひろただ)は、徳川家康の父。 10歳のとき、父である「松平清康」(まつだいらきよやす)が家臣に殺されます。 松平広忠は、松平清康と不仲だった叔父の「松平信定」(まつだいらのぶさだ)に追われて 岡崎城 ( 愛知県 岡崎市 )から逃亡。
【刀剣ワールド】徳川家康の家系図・年表
www.touken-world.jp/tips/82282/
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いまがわ‐よしもと【今川義元】
戦国大名。氏親の子。軍役を整備し、政治・経済に意を用いて、駿河、遠江、三河に勢力を広げる。京都進出(一説には西三河平定)をはかって(推测)軍事行動を起こしたが、織田信長に奇襲され桶狭間おけはざまで敗死。永正一六~永祿三年(一五一九−六〇)
おだ‐のぶなが【織田信長】
戦国大名。幼名吉法師または三郎。信秀の子。美濃の斎藤道三どうさんの娘と結婚。永祿三年(一五六〇)今川義元を桶狭間おけはざまに破り、斎藤氏をも滅ぼして勢力を拡張。足利義昭を立てて上洛し室町幕府を再興させる。のち義昭を退け、安土城を築いて国内の征討にあたる(正值)一方、関所を廃し、楽市、楽座を行なうなど統一政権樹立の基礎を固めたが、雄図半ば、京都本能寺で明智光秀に襲われ自刃。天文三~天正一〇年(一五三四−八二)
むろまち‐ばくふ【室町幕府】
足利氏が京都に開いた幕府。永和四=天授四年(一三七八)足利義満が京都室町の新第を幕府としたので足利政権をこの名でよぶ。足利幕府とも。尊氏が建武式目を制定し、京都に幕府を創始した建武三=延元元年(一三三六)から、一五代将軍義昭が織田信長のために京都から追放された天正元年(一五七三)までの二三八年間をいう。幕府の制度は、はじめは鎌倉幕府の制度をほぼ継承したが、やがて形式的には将軍独裁の色彩をもつ制度が多くなった。地方では、関東に鎌倉府が置かれて関東八か国に甲斐・伊豆を加えた一〇か国を管理し、他には九州と陸奥に探題、諸国に守護を置いた。有力守護の連合政権的な性格を持つ幕府は、守護が次第に勢力を持って分立するようになると弱体化し、やがて応仁の乱以後には群雄割拠の戦国時代となった。
せき‐しょ【関所】
〘名〙
①交通の要所や国境に設けて、通行人や通過物を検査し、また、脱出や他からの侵入に備えた所。古くは大化二年(六四六)に軍事目的で制度化されたが、令制の崩壊とともに有名無実化した。中世には性質も一変して、関銭の徴収を目的とするものとなり、特に室町幕府や朝廷・大寺社荘園領主などが関所を濫設したが、戦国時代には再び監視目的のものに復し、大名領国内の関所は撤廃される方向にすすんだ。江戸時代には幕府・諸藩が治安維持のため交通の要地に設置した。幕府のものは、東海道の箱根・今切(新居)をはじめ全国五十余か所におよび、「入り鉄砲と出女」を特に取り締まったが、関所手形がなく脇道を忍びゆくものは、関所破りとして磔はりつけの刑に処せられた。また、諸藩のものは、藩の隣郷に通ずる往還口に置かれて口留番所などと呼び、物資の搬出を監視するのを主な任務とした。明治二年(一八六九)廃止。
関所①〈広重画 木曾街道 福島〉
*高野山文書−元亨二年(1322)七月一三日・大塔料所文書御影堂奉納目録
「淀関所南都相論之時安堵。院宣四通」
*浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)一
「今でも大名衆の、妾ども、御関所セキショのあらために見るに、其時よりは、風俗がよいと申て」
②人が監視していたり、条件が厳しかったりして通りにくい場所。
らく‐いち【楽市】
〘名〙 戦国大名たちが自領の都市の繁栄をはかるために、これまで特権商人に独占されていた座や市の制度を停廃して、商人が自由に出入し、自由に営業できる仕組みに改めたこと。また、その市場をいう。
らく‐ざ【楽座】
〘名〙 近世初頭、市場で特定商品の生産・販売の独占権を持っていた商工業者の組合である座を廃止し、他の商人にも自由な営業ができるようにしたこと。また、戦国大名によるその政策。
あけち‐みつひで【明智光秀】
安土桃山時代の武将。日向守。通称十兵衛。のち惟任これとうと改名。織田信長に仕え、戦功により近江坂本城主となる。天正一〇年(一五八二)信長を本能寺に襲い自害させたが、一一日後、山城山崎で羽柴秀吉と戦って敗れ、小栗栖おぐるすで土民に殺された。享祿元~天正一〇年(一五二八−八二)
とよとみ‐ひでよし【豊臣秀吉】
安土桃山時代の武将。幼名日吉丸、初名木下藤吉郎。尾張国(愛知県)の人。初め松下之綱に仕えたが、のち織田信長のもとで戦功をたて、重用されて、苗字を羽柴に改める。中国経略の途中、本能寺の変を聞き、山崎の戦いで明智光秀を討った。のち、徳川家康と和し、四国、九州、後北条、奥羽を平定して天下統一を達成。天正一三年(一五八五)関白、翌年太政大臣となり、豊臣と改姓。太閤検地を行なって兵農分離をはかり、またキリスト教徒の弾圧など、統一事業を推進。晩年は再度朝鮮に出兵した。天文五~慶長三年(一五三六−九八)
すんぷ【駿府】
(古代、駿河国の国府の所在地であったところから呼ばれた) 静岡市の旧称。駿河府中の略。鎌倉時代以後は東海道の宿駅となり、南北朝時代以降は今川氏の城下町として繁栄。江戸初期、徳川家康の晩年の居住地となり、寛永九年(一六三二)以後は幕府の直轄地となる。明治二年(一八六九)静岡と改称。府中。府内。駿河の府中。駿河の府。
とくがわ‐よしのぶ【徳川慶喜】
江戸幕府第一五代将軍。水戸藩主斉昭の七男。幼名七郎麿、諱昭致。弘化四年(一八四七)一橋家を継ぐ。文久二年(一八六二)将軍後見職となり、慶応二年(一八六六)将軍となる。幕府の勢威回復につとめたが果たさず、翌三年大政奉還。明治三五年(一九〇二)公爵。天保八~大正二年(一八三七−一九一三)
めいもく‐てき【名目的】
〘形動〙 実質がそぐわないで表面上の体裁や理由だけは備わっているさま。また、名目を重んじるさま。
ねん‐ぐ【年貢】
〘名〙
①田畑の耕作者がその領主に対して生産物の一部を貢納すること。またその物。正税であり、雑税である公事くじとは区別される。平安・鎌倉時代には所当しょとう・乃貢のうぐ・乃米のうまい・土貢とこうなどとよばれることが多く、田の年貢は米で、畑の年貢は麦・蕎麦・大豆などで納められた。室町時代に入って年貢の呼称が広く定着し銭納される場合もあった。江戸時代には年貢とも物成ものなりともいい、田は米で、畑は米以外の現物か代金納が原則となった。《季・冬》
もの‐なり【物成】
〘名〙
①土地から産出するもの。田畑からの収穫。
*俳諧・犬子集(1633)九
「物なりはよき丹波路の秋ならし いつみるもただ栗の大きさ〈慶友〉」
②近世の農民の負担した年々の租税のひとつ。本年貢をさす呼称として用いられ、雑税である小物成に対し、本途物成などと称した。取箇とりか。成箇なりか。
*多聞院日記−天正一八年(1590)一二月一五日
「当年は米にて物成六部の通に被㆑渡㆓置之㆒」
③領主や家臣の采地から上がる、一年間の年貢米収入高。年貢米を取り立てる総量。取箇とりか。成箇なりか。
さい‐ち【采地】
〘名〙 領地。知行所。采邑さいゆう。食邑。


https://japaneseclass.jp/trends/about/%E4%BF%B8%E7%A6%84%E5%88%B6
家中渡米
わたり‐まい【渡米】
〘名〙 取引で、受け渡しの日に、売方から買方に渡す米。
払米高
はらい‐まいはらひ‥【払米】
〘名〙 江戸時代、お蔵米の払い下げをうけること。また、その米。
払(拂)米代金
だい‐きん【代金】
〘名〙 品物または労力の対価として、買主が売主や労力の提供者に支払う金銭。代価。代銭。あたい。しろ。
小物成金
もの‐なり【物成】〘名〙
領主や家臣の采地から上がる、一年間の年貢米収入高。年貢米を取り立てる総量。取箇とりか。成箇なりか。
さい‐ち【采地】
〘名〙 領地。知行所。采邑さいゆう。食邑。
ねんぐ‐まい【年貢米】
〘名〙 年貢として納める米。ねんぐごめ。《季・冬》
とり‐か【取箇】
〘名〙 (収穫物のうち幕府または領主の取分、取前の意) 江戸時代、田畑に課した年貢のこと。成箇なりか。物成ものなり。取り。
とり‐ぶん【取分】
〘名〙 自分の取るべき分。分配の割り前。とりまえ。わけまえ。
とり‐まえ‥まへ【取前】
〘名〙 自分のとりぶん。分け前。また、俸祿。
なり‐か【成箇】
〘名〙 (「箇」は数で、出来高の意) 江戸時代、田畑の農作物や宅地に課した租税。取箇とりか。物成ものなり。
か【箇・個・个】
〘接尾〙
①「箇所」 「箇条」 「箇年・ケ年」 「箇月・か月」 「箇日」などの形で漢語の数詞につけて、物事を数えるのに用いる。「ケ」 「カ」は小さく「ヶ」 「ヵ」のように書くこともある。「ケ」は一般には片仮名と理解されているが、じつは漢字「个」の変形。「个」は「箇」の略字で、中国では古くから用いられた。「個」は中国では「箇」と同音・同義。前に来る数字のうち「四」は現代では「よん」と言うが、古くは「し」と言った。「七」は古くは「しち」とのみ言ったが、現代では「しち」 「なな」の両方の言い方をする。
②数字で帯分数の呼び方。
差引
さし‐ひき【差引・指引】〘名〙
金銭の過不足の計算をすること。収支の計算をすること。損得の勘定をすること。また、その結果。
俸禄制は、土地以外のものを基本とする給付形態で、俸禄には切米取・扶持米取・現米取・給金取などの区別があり、いずれも米・金などの手取り額表示であらわされ、蔵米取とも称されます。
地方知行制と俸禄制度の違いを教えてください - 地方…
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11129861201
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http://www.s-kawano.net/s-kawano/2019/06/post-286.html



フィート(英尺)
フィート
〘名〙 (英feet foot の複数形) ヤードポンド法における長さの単位。一フィートは三分の一ヤードで一二インチ、約三〇・四八センチメートル。記号 ft
ガロン(加仑)
ガロン
〘名〙 (英gallon) 液体の体積の単位。
①ヤード−ポンド法の単位。
㋑イギリスで四・五四五九六三一リットル。
㋺アメリカ合衆国で三・七八五三二九リットル。
②日本の計量法で、三・七八五四三リットル。

カラット(克拉)
カラット
〘名〙 (英carat, karat オランダkaraat)
①宝石の重さの単位。旧カラットは二〇五ミリグラム。現行のメートル−カラットでは、二〇〇ミリグラム。略号 K または ct
②金合金の純度を表わす単位。純金を二四カラット(二四金)という。一八カラットといえば、二四分の一八の金を含むこと。略号は、K, Kt などを用いる。金位。
オンス(盎司)
オンス
〘名〙 (オランダons 英ounce) ヤード−ポンド法による質量の単位。記号 oz.
㋑常用オンス。記号 oz avdp. 一般に用いられる。十六分の一ポンドで、約二八・三五グラムにあたる。〔工学字彙(1886)〕
㋺トロイオンス。記号 oz t. 貴金属や宝石の計量に用いられる。二〇ペニーウエイトで、約三一・一〇グラムにあたる。
㋩薬用オンス。記号 oz ap., ? 薬品の計量に用いられる。八薬用ドラクムで、約三一・一〇グラムにあたる。
ポンド(英镑)
ポンド
〘名〙 (オランダpond 英pound)⦅パウンド⦆
①ヤード−ポンド法による重さの単位。一ポンドは一六オンス、約四五三・五九グラム。記号 lb(s) 封度。听。
②貴金属・薬剤などの計量単位。一ポンドは一二金量オンス、約三七三・二グラム。封度。听。
③イギリスの貨幣単位。一ポンドは一〇〇ペンス。記号 £ または L 磅。正称はポンド−スターリング。また、イギリスの通貨やその力などを比喩的にいうこともある。
トン(吨)
トン【屯・噸・瓲】
〘名〙 (英ton)
①重量の単位。記号 t
㋑メートル法による重量単位。一トンは一〇〇〇キログラム。仏トン。メートルトン。
㋺ヤード−ポンド法によるイギリスの重量単位。一トンは二二四〇ポンド、約一〇一六キログラム。英トン。ロングトン。大トン。グロストン。
*玉石志林(1861−64)二
「英一頓は我二百五十一貫九百二十二銭八分余に当る」
㋩ヤード−ポンド法によるアメリカの重量単位。一トンは二〇〇〇ポンド、約九〇七キログラム。米トン。ショートトン。小トン。ネットトン。

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蔵米
[くらまい]
江戸時代,幕府・諸藩が倉庫に貯蔵した米。家臣の俸禄にあてた。切米きりまい。
江戸時代,幕府・諸大名が蔵屋敷を通して貨幣にかえた貢租米。

糠
https://tg-uchi.jp/topics/4474
江戸時代では,将軍・大名が 給地 を持たない家臣に支給した 俸禄 (ほうろく)米。 蔵米 (くらまい)ともいう。 知行 (ちぎょう)地を与えられた者は 知行取 とよばれた。 切米取 への支給は,2月・5月に4分の1ずつ,10月に2分の1と3季に分けて行われるのが 通例 で, 書替奉行 の裏判を受けた 受取手形 を蔵奉行に提示して切米を受け取った。
切米(きりまい)とは? 意味や使い方 - コトバンク
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かきかえ‐ぶぎょうかきかへブギャウ【書替奉行】
〘名〙 江戸幕府の職名。旗本が直接あるいは札差を通じて差し出す切米手形(蔵米請取証)を検査する役。蔵米はこの奉行の奥印ある切米手形に対して蔵奉行から支給された。切米手形改役。
うら‐はん【裏判】
〘名〙
①文書の紙背に書く花押かおう。文面のあとに月日、名を記し、署名部分の紙背に花押を書く。主として中世に行なわれ、文書の差出先に対する丁重さと自分の謙遜を表わす書札礼。
うけとり‐てがた【受取手形・請取手形】
〘名〙
①金銭、物品などを受け取ったことを認める証書。受取証文。
*仮名草子・棠陰比事物語(1624−44)五
「八十貫の、請取ウケトリ手がたなど」
②江戸時代、切米きりまいまたは借米を受け取る際に用いた手形。
③簿記で、商品の販売によって生じた約束手形や為替手形などの手形上の債権をいう。↔支払手形
くら‐ぶぎょう‥ブギャウ【蔵奉行・倉奉行】
〘名〙
①蔵を管理する役職名。
*足利本論語抄(16C)堯曰第二十
「有司とは仕㆑官者を云也。此は倉奉行を云也」
②江戸時代、幕府の年貢米収納蔵の管理と米の出納をつかさどる職名。城米廩奉行。蔵の奉行役。

http://www.ihmlab.net/tweet/column/12215/
家中
か‐ちゅう【家中】
〘名〙
①家の中。家の内部。
*明月記−治承四年(1180)二月一四日
「明月無㆓片雲㆒、庭梅盛開、芬芳四散、家中無㆑人」
②家の中全体。また、家全体の者。いえじゅう。
*江談抄(1111頃)三
「公忠弁俄頓滅、歴㆓両三日㆒蘇生、告㆓家中㆒云」
③戦国時代以来、大名の家臣団の総称。藩士。転じて、同じ藩の家来。
上士
じょう‐しジャウ‥【上士・上子】
〘名〙
①教養、品性の高い人。
*拾玉得花(1428)
「上三花を面白やと見んは、上子ジャウシの見風也」
〔老子−四一章〕
②この上もない達人。
*申楽談儀(1430)音曲の事
「音曲の上士と申さんは、五音・四声より、律呂相応たるべし」
③身分の高い武士。↔下士かし。
中堅
ちゅう‐けん【中堅】
〘名〙
①多くの部隊の中ほどに位置し、大将が直接統率する、最も精鋭で守りの堅い軍。中軍。
*日本外史(1827)六
「義貞常掄㆓精強七千㆒。為㆓中堅㆒」
〔後漢書−光武紀上〕
②社会または団体の中心となって活動する人。また、地位や規模はそれほど上位ではないが、中心の働き手となったり、確実な業績をあげたりしている人や団体。
軽輩
けい‐はい【軽輩】
〘名〙
①言動の軽々しい者。〔布令必用新撰字引(1869)〕
②身分の低い人。身分のいやしい者。
切石
きり‐いし【切石】
〘名〙
①用途に従って種々の形に切った石材。また、単に割って角立った石をもいう。
*太平記(14C後)三八
「瑪瑙の如くなる切石を広さ二丈許に平に畳連つらねて」
②特に、一定の形に加工した石積み用の石材。二面切り、江戸切り、谷切り、亀甲切りなどがある。
③敷き石。石畳。
扶持米
ふち‐まい【扶持米】
〘名〙 主君から家臣に給与した俸祿の米。中世、土地の給与に代わって米を給与することが起こり、近世に一般化した。幕府の場合は下級の旗本・御家人、諸藩の場合も下級藩士に多く、一人一日五合(約〇・九リットル)を標準に一年間分を支給するのを一人扶持と呼んだ。扶持方米。扶持。
りん‐まい【廩米・稟米】
〘名〙
①米倉に蓄えてある米。特に江戸時代、幕府や諸侯の蔵に蓄えた米。くらまい。
*渋江抽斎(1916)〈森鴎外〉四七
「直ちに廩米リンマイ二万五千俵を発して、本所の窮民を賑すことを令した」
〔韓愈−処州孔子廟碑〕
②扶持ふちとして給する米。扶持米。廩米
蔵米知行(くらまいちぎょう)とは、蔵米給与(くらまいきゅうよ)とも呼ばれ、江戸幕府や藩が家臣に対して、俸禄として知行地の代わりに蔵米(幕府の場合は特に廩米とも)を支給すること。
蔵米知行 - Wikiwand
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蔵米知行
[くらまいちぎょう]
江戸時代,幕臣や藩士に知行を土地ではなく米で与えること。多くの藩では一七世紀に地方じかた知行制から切り換えられた。地方
じかた‐ちぎょうヂかたチギャウ【地方知行】
〘名〙 江戸時代、家臣、諸士に俸祿として与えられた一定地域の領主権。また、その土地。

くらまい‐とり【蔵米取】
〘名〙 江戸時代、幕府、諸藩の米蔵から俸祿米を支給される下級武士。多く春、秋、冬の三季に給米されたので、切米取とも蔵前者ともいった。また、領主から知行を分給される旗本、給人を知行取、地方取というのに対して扶持人ともいった。
きりまい‐とり【切米取】
〘名〙
①(切米②から) 幕府あるいは大名の家臣のうち、知行所を与えられず、扶持米を支給される家臣。蔵米くらまい取り。
きゅうきん‐とりキフキン‥【給金取】
〘名〙 給金を得て生計をたてる人。給料取り。
扶持取
支給をうける 武士 を切 米取 ( 蔵米取 )という。 幕府の場合,蔵米取は春(2月)・夏(5月)・冬(10月)の年3回扶持米をうけた。 そのうち春・夏の分を御貸し米,冬の分を御切米と呼んだ。 もと蔵米取は 軽輩 の御家人に限り,ほかは 知行地 を与えられる知行取であったが,江戸中期ころから知行取も名目化し蔵米取に移行した。
切米(きりまい)とは? 意味や使い方 - コトバンク
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現金取
現米取も名称のとおり、現物の米で俸禄が支給された御家人だ。 「八丁堀の旦那」の異称でも知られる江戸町奉行所の同心は御家人だが、その俸禄は三十俵二人扶持である。 切米三十俵のほか、扶養手当にあたる扶持米が別に二人扶持支給された。 幕府の場合、切米一俵は三斗五升入りで三十俵なら十石五斗。 この俸禄米を年三回に分けて支給された。 二月と五月に4分の1ずつ、十月に2分の1という割合である。 扶持米は一日分が米五合とされ、1年360日分として年に一石八斗(一人扶持)となる計算だった。
どり【取】
〘語素〙
①米の量をいう語に付けて用いる。
㋑それを知行として受け取る武士を呼ぶのに用いる。「五百石取」 「千石取」など。
㋺量をいう語に付いて、その量をもって作る供そなえ餠の大小を呼ぶのに用いる。「二合取り」 「一升取り」など。
②金額を表わす語に付けて用いる。
㋑買うのにそれだけの金がいる品をいうのに用いる。駄菓子の類にいうことが多い。
*滑稽本・東海道中膝栗毛(1802−09)二
「あべ川の五文どりか」
㋺それだけの揚代をとる下級の遊女を呼ぶのに用いる。
*浮世草子・好色一代女(1686)二
「先まづ三匁取はさのみいやしからず」
㋩それだけの給料をとる者を呼ぶのに用いる。
はっちょう‐ぼりハッチャウ‥【八丁堀】
一江戸、京橋川の下流の白魚橋から東側の川筋。中ノ橋の下を流れて稲荷橋の近くで江戸湾に注いでいた。また、その沿岸一帯の呼称。江戸の治安にあたった町方与力、同心の組屋敷があった。
二東京都中央区の地名。江戸時代は八丁堀の沿岸一帯を呼んだが、現在は川筋の北側にあたる地域をいう。
ふよう‐てあてフヤウ‥【扶養手当】
〘名〙 公務員の給与の一種。扶養親族のある職員に対して支給される手当。家族手当。
下級武士の「懐事情」は想像以上に厳しかった! 倹約続きの生活で人気だった意外な「内職」とは…
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旗本とは 知行村との複雑関係
旗本とは
1.給与
旗本とは、将軍家直属の家臣。知行高一万石未満の、将軍と謁見できる御目見(おめみえ)以上の身分で、約五〇〇〇家あります。
御目見以下の多くの侍が、幕府から俸禄米を支給されるのに対し、旗本は知行所を与えられています。旗本知行高は一〇〇~五〇〇石、幕府直轄領の四割を占めます。
知行地
ちぎょうち
江戸時代,封建領主が家臣に支配権(徴税・行政・裁判権など)を分与した土地
知行地は御恩として与えられ,支配権に制約が多いが,それを媒介に封建的主従関係が成立。将軍は大名・旗本に,大名は藩士(給人)に知行地を分与し重層的に支配。知行地を得た武士を知行取,米で俸禄を支給される武士を蔵米取 (くらまいとり) という。知行取は上級武士に限られ,旗本・給人などは名目的には知行取でも実質的には蔵米取の者が多かった。
じゅうそう‐てきヂュウソウ‥【重層的】
〘形動〙 いくつもの層が重なっているさま。また、いくつかの要素が組み合わさっているさま。
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読み方:ものなり 1 田畑 からの 収穫。 2 江戸時代 の 年貢 。 本途物成 (ほんとものなり)と 小物成 (こものなり)とがあったが、特に 本途物成 をさす。 3 禄高 の 基礎 となる 年貢米 の 収入 高。
「物成(モノナリ)」の意味や使い方 わかりやすく解説 …
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*た‐はた【田畑・田畠】
〘名〙 田と畑。でんぱた。
*でき‐だか【出来高】
〘名〙
①できあがった量。また、収穫の総量。生産高。とりだか。〔改正増補和英語林集成(1886)〕
②売買取引の成立した株数。
*たく‐ち【宅地】
〘名〙
①家屋の敷地。また、住居に用いられる土地。
*続日本紀−天平一三年(741)九月己未
「班㆓給京都百姓宅地㆒」
*こゝろ(1914)〈夏目漱石〉上
「所々宅地タクチの隅などに、豌豆の蔓を竹にからませたり」
〔枕中書〕
②地目の一つ。建物の敷地として登記された土地。
ほんと‐ものなり【本途物成】
〘名〙 江戸時代、田畑や林野に課される本年貢。単に物成ともいう。山手、川手、野銭などを小物成というのに対する語。成箇なりか。取箇。本途取米。本途。本免。
やま‐の‐て【山手】
〘名〙
①山の方。山に近い方。山をひかえた地域。
*平家(13C前)九
「九郎義経こそ三草の手を責おとひて、すでにみだれ入候なれ。山の手は大事に候。おのおのむかはれ候へ」
②江戸あるいは東京で、やや高台にある住宅地。江戸時代には麹町、四谷、牛込、赤坂、小石川、本郷などをいい、殆ど大名、旗本などの武家屋敷と寺院で占められ、町家は稀だった。明治以降、官吏や地方出身の軍人などが多く居住する地域となる。現在は広く世田谷・杉並区を含める。下町に対していう。
かわ‐てかは‥【川手・河手】
〘名〙
①(「手」は雑税の意)
㋑鎌倉・室町時代に、河川の関所を通過する旅客や荷物に課した通行税。川船銭。
*吾妻鏡−建暦二年(1212)九月二一日
「諸国津?、河手?事、可㆑被㆑止由」
㋺中世末から近世にかけ、河川の漁労者に課した小物成(雑税)。
②(「手」は方角の意) 川の方面。
の‐せん【野銭】
〘名〙 江戸時代、農民の原野利用による収益に課せられた税。のぜに。
ほん‐と【本途】
〘名〙
①本来の道。本来の筋道。本来のもの。本当。
ほん‐めん【本免】
〘名〙 (本来の免(租率)の意) =ほんとものなり(本途物成)
こ‐ものなり【小物成】
〘名〙 近世、田畑に対する本年貢を本途物成というのに対して、山年貢、野年貢、草年貢等の雑税をいう。郷帳に記され、金額も定額が多いが、年季を限り、年によって増減のあるものもあった。小年貢。
江戸時代 本途物成 (ほんとものなり)に課した付加税。 米で 納入 された。 鎌倉末期,租税上納の際,収納物の欠損を補うために課せられた 口籾 (くちもみ)の制度が起源。 江戸時代当初は年貢徴収に当たる代官の経費として代官に下付したが,代官の経費はその口米より安いものだったので1725年以後口米は幕府に納入され,代官の経費は幕府からの支給となった。
口米(くちまい)とは? 意味や使い方 - コトバンク
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くち‐もみ【口籾】
〘名〙 中世、租税を上納するときに、あらかじめ(事先)多少の米や籾を本租のほかに付け加えて納めさせたこと。また、その米や籾。
くち‐まい【口米】
〘名〙
①田の面積に応じて、本租のほかに加徴した税米。
*山科家礼記−長祿元年(1457)一二月二五日
「すかのうらより上候年貢〈略〉口米三〈たわら。口米は浦松殿ふん也〉」
②江戸時代の租税の一種。年貢高に応じて一定の比率で徴収する米。代官所に諸経費として支給されていたが、享保年間幕庫に収めることになった。
だい‐かん‥クヮン【代官】
江戸時代、幕府の直轄地(天領)数万石を支配する地方官の職名。勘定奉行に属し、管地の年貢収納と司法検察を主務として管地の民政一般をつかさどった。多くは二〇〇俵級の下級旗本が任命された。
*俳諧・犬子集(1633)一六
「倉にたはらをつみかさね置 代官をうけつぐみこそめでたけれ」
⑥(━する) 江戸時代、大名が年貢収納その他、地方の支配に当たらせた役人。また、その役人として地方を支配すること。
か‐ふ【下付】
〘名〙 政府や役所などから人民に金や物、書類等を授け与えること。
【四五言的个人空间-哔哩哔哩】 https://b23.tv/A3cZdoV
2023/01/20 大寒
*仅供参考
文图bing
http://www.historist.jp/word_j_ho/entry/037280/
俸禄制(ほうろくせい)
https://kotobank.jp/word/相給-23647
相給 あいきゅう
江戸時代,2人以上の地頭 (大名の家臣や旗本) が1村を分割して知行したこと,またはその知行地。地頭の数に応じて両給,三給,五給などともいい,関東地方の旗本領に多い。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000166660
江戸時代の村について「村切り」「分村」「相給村」「飛び地」「本郷・枝郷(親村・小村)」など、いろいろな用語があるが、その違いを現尼崎地域での具体例により知りたい。また、(2) 明治の初めに大字レベルの村名が改称される場合があるが、その理由も知りたい。