花火:季節のことば
花火:季節のことば
烟火:季节的语言
夏を代表する風物詩といえば、花火をあげる人が多いのではないだろうか。歳時記でも夏に入れているものが最近では多い。しかし伝統的には花火は秋のものとされていた。盂蘭盆の景物とされていたからである。ところが新暦になり、お盆が夏の盛りのものと感じられるようになるとともに、納涼と強く結びつき、ますます夏のものとされるようになったのである。
说到能代表夏天的事物的话,很多人会认为是烟火。在岁时记中关于夏天的事物最近有很多。然而,传统上烟火被划分为秋天的东西。因为它被当成盂兰盆节的景观。然而,到了阳历,盂兰盆节在感受到盛夏的同时,与纳凉紧密相连,因此越来越被认为是夏天的东西。
花火の起源をたどることは、火薬の歴史をたどることでもある。花火に欠かせないものは黒色火薬で、その75パーセントは硝石(硝酸カリウム)である。現在でも中国は硝石の世界的な産地だが、火薬も中国で発明されたと考えられている。しかし当初は軍事用の烽火に使われる程度だったようだ。それが13世紀頃に非常に発達し、火器にも利用されるようになる。モンゴル軍の使っていたそれが、日本人がはじめて遭遇した火薬である。しかし日本人が本格的に火薬を受容することになったのは、それから270年後、ポルトガル船が鉄砲とともにもたらした火薬との出会いがきっかけになった。
追寻烟花的起源,也是追寻火药的历史。烟花中不可缺少的是黑火药,其中75%是硝石(硝酸钾)。现在中国还是硝石的世界上的主产地,火药也被认为是在中国发明的。但是当初好像只是用于军事用的烽火。它在13世纪左右非常发达,也被用于火器。蒙古军使用的那个火器,就是日本人第一次遭遇的火药。但是日本人真正接受使用火药的契机是在270年后,葡萄牙船将火炮一起带来的同火药的邂逅。
江戸時代初期までは、火薬は重要な戦略物資だったので、市中に出回ることはあまりなかった。平和な時代になり、少しずつそれが出回るようになると、まず線香花火のような小型の花火が作られたようだ。誰がいつ発明したのかはわかっていないが、「手牡丹」という美しい名を付けられ、線香花火はずいぶん古い時代から庶民に愛好されていたようだ。
在江户时代初期以前,火药属于重要的战略物资,很少出现在市场上。到了和平年代,火药逐渐地出现在市场上了。最开始是制造了像线香烟火一样的小烟花。虽不知是谁在什么时候发明的,不过起了一个“手牡丹”的美丽名字。线香烟火就从很早以前被老百姓们所喜爱了。
当時の花火は、動きはあっても色は薄いオレンジ色の単色で、光の濃淡と飛び散る火の粉だけの墨絵のようなものだった。今日のような色がつくようになったのは、明治になってマッチの原料である塩素酸カリウムをはじめ、アルミニウム、マグネシウムなどが輸入されるようになってから。現在日本の花火は世界最高水準にあるといわれるが、種類も多彩で大きく分けると、「柳」、「蝶」、「牡丹」、「菊」などで、中でも全部で4つの花が開く「三重芯変化菊」は最も精巧なものである。
当时的烟花,虽然有动作,但颜色却是浅橙色的单一色,就像是只有光的浓淡和飞散的火星的水墨画。像现在这样的着色是到了明治时代,以火柴的原料的氯酸钾为首,铝、镁等被进口之后,才有了今天这样的颜色。如今的日本烟火表演被称为世界最高水平,其种类和颜色主要分为“柳”“蝶”“牡丹”“菊”等,其中全部四朵花绽放的“三重花芯变化菊”是最为精巧的作品。