欢迎光临散文网 会员登陆 & 注册

9-1 平庸人生

2023-09-04 18:50 作者:水溶C柚子  | 我要投稿

9-1 平庸人生
この国はなぜ寂しいのかー「ものさし」を失った日本人
这个国家为什么孤独——失去“尺度”的日本人
多くの人は、個性の持ち主にあこがれて、できれば、見習いたいものだと思いながら、実は一方で「人並み」であることをひそかに求めてもいる。「人」から外れていたり、おくれていたりすることは、彼らを極度に不安にする。「同じ」思いを抱いていたことを発見することは大きな安心を与えるはずであるから、「同じ」思いの通ずる仲間が見つかると、すぐにでも群れようとする。そういう人間の傾向は、別に日本人にだけ備わったものというわけでもなく、ほとんど本能的なものとして、多かれ少なかれ誰もが抱えている要素であると言ってよい。
很多人都向往有个性的人,如果可行的话,虽然想模仿,但实际上另一方面也在暗中寻求和大众一样的“普通”。偏离或落后于普通“人”会让他们极度不安。因为发现抱有“相同”的想法应该会给人很大的安心感,所以一旦找到有“相同”想法的伙伴,就会马上聚集在一起。这种为人的倾向,并不是只有日本人才具备的,可以说几乎作为本能的东西,或多或少都是每个人都有的特性。
にもかかわらず、凡庸さは、表向き、なぜこれほど忌み嫌われるのか。それは、おそらく、人間というものの大多数が凡庸な生を生きるほかなく、自分の未来もまたその限界の中にあることをうすうす知っているのだが、そのことをそう決め付けられることは、自分の生を希望のない確定的なイメージに塗り込めてしまうことであり、それは個としての価値を否定されてしまうことにつながると感じられるからである。
尽管如此,表面上的平庸,为什么如此令人讨厌呢。这大概是因为,大多数人都只能活在平庸的生活中,自己的未来也在平凡的界限里,但若这样片面断定的话,就会把自己的生活定义在没有希望的印象中,这是因为感觉到作为个体的价值被否定了。
生きる意欲が現にあるのに、お前の未来はこのとおり当たり前のものでしかないと規定されることは、未来に向かうものとしてある「生の意味」の本質的条件を根こそぎにしてしまう。自らが有限な存在であることを大筋ではわきまえつつ、しかもその範囲に未知の部分を必ずいくらかは残しておく。そこに自らが個であることの確証をかろうじて求めようとするのだ。
明明有生存的欲望,你的未来却被定为这样理所当然的东西,这会将面向未来的“生存的意义”的本质条件连根拔起。虽然基本上知道自己的存在是有限的,但一定要在其范围内留下一些未知的部分。在那里勉强寻求自己是一个个体的确证。


9-1 平庸人生的评论 (共 条)

分享到微博请遵守国家法律