欢迎光临散文网 会员登陆 & 注册

日本小6课文:宇航员——我抱有的梦想【久我Masahi的日语课堂】#94

2021-03-07 17:52 作者:久我まさひ  | 我要投稿

宇宙飛行士—僕が抱いた夢(宇航员——我抱有的梦想)

作者:野口 聡一(のぐち そういち)(话说这个作者在去年的红白歌会上出现过)

二〇〇五年七月二十六日、スペースシャトルディスカバリー号打ち上げの瞬間、「これでやっと、僕は、宇宙飛行士になれたんだ。」と思いました。十年近く訓練をした中で、「宇宙に行かなくては、宇宙飛行士ではない。」という気持ちがあったんです。訓練中だった二〇〇三年、コロンビア号が大気圏再突入の際に機体が分解するというとても悲しい事故があり、打ち上げも何回も延期になりました。だからこそ、これでやっと宇宙に行ける、地球の重力を振り切って外に出られるんだ、と感じたんです。(2005年7月26日,航天飞机探索号发射的瞬间,我想道:“这下我终于当上宇航员了。”在近十年的训练中,我有过“不去宇宙,就不是宇航员。”的心情。训练中的2003年,发生了令人非常悲伤的事故,哥伦比亚号重返大气层的时候机体分解,数次延期了发射。正因为如此,我感受到了这下终于可以去宇宙了,能够摆脱地球的重力出去了。)

僕は、四歳から十一歳の頃までを、父の仕事の関係で、兵庫県の太子(たいし)町で過ごしました。当時、学校や家の周りには、自然が沢山ありました。放課後、稲刈りの終わった田んぼや空き地で、木の板をホームベースにして、暗くなるまで野球をやっていました。少年時代の野球は、体力作りの第一歩だった気がします。スポーツは大好きで、その後も、サッカー、陸上部、大学ではアメリカンフットボールをやりました。小学生から大学生まで、ボーイスカウトにも所属していました。根っからのアウトドア系ですね。(我从4岁起到11岁左右的时候,因为父亲工作的关系,在兵库县的太子市生活。当时,学校和家周围自然很多。放学后,我在割完稻子的田中和空地中,用木板当作本垒,一直打棒球打到天黑为止。我觉得少年时代的棒球是培养体力的第一步。我非常喜欢体育,这之后,还踢足球、加入田径部,在大学里打美式橄榄球。从小学到大学,还一直所属于童子军。天生就是户外派。)

小学校一年生の文集には、「ロケットに乗りたい。」と書いていました。それでも、あまり具体的なイメージはありませんでした。おそらく、絵本や漫画などのお話の世界での「宇宙旅行」のようなものを、漠然と思い浮かべていたんでしょうね。勉強は、理科や国語が好きで、中学校に入ってからは、英語が大好きになりました。英語は、狭い学校から解き放ってくれるように思えて、とにかく勉強をしました。(我在小学一年级的文集中写道:“想乘火箭。”但是,没有什么具体的印象。或许,我模糊地想象着类似绘本和漫画等故事世界中的“宇宙旅行”吧。我喜欢学习理科和国语,升入中学后,我最喜欢英语。我认为英语将我从狭小的学校中解放开,总之刻苦学习了英语。)

一九八一年四月、高校に入学してすぐの僕に、人生を変える瞬間が訪れました。スペースシャトルコロンビア号の打ち上げです。宇宙飛行士と言う仕事を、具体的に一つの選択肢として意識したのは、この瞬間からです。ある時、親が、立花隆さんの「宇宙からの帰還」を買ってくれました。この本は、宇宙空間に出た経験のある、アメリカン人宇宙飛行士にインタビューをし、その後の人生観をまとめたものです。宇宙飛行士が、宇宙を体験した後、苦悩したり、宗教家になったり、起業して失敗をしたり。ネガティブな描写も結構あって、バラ色の宇宙飛行士生活が書かれているわけじゃない。高校生の頃にそんな本を読んで、どうして、更に強く宇宙飛行士になろうと思ったのかは、今になって思うと不思議です。おそらく、そういうことも含めて、宇宙飛行士とはダイナミックなものだと思ったのかも知れません。(1981年4月,升入高中后不久,改变我人生的瞬间到来了——航天飞机哥伦比亚号的发射。从这一瞬间开始,我对于宇航员的工作产生了将此作为一种选择的具体的意识。有一次,父母给我买了立花隆的《从宇宙归来》。这本书采访了有到访宇宙经验的美国人宇航员,并总结了此后的人生观。宇航员在体验了宇宙之后,有的苦恼,有的成为了宗教家,有的创业失败。书中有不少消极的描写,并没有写玫瑰色的宇航员生活。高中时读了这样的书,为什么我会更强烈地想成为宇航员呢,事到如今,觉得很不可思议。或许,我当时认为宇航员也是包含着这消极一面的有活力的一种工作吧。)

僕は、最初の進路指導の時、将来就きたい職業欄に「宇宙飛行士」と書きました。それを今でも覚えています。大学を受験しますが、失敗。一年浪人をしました。在学中は、航空宇宙工学科に在籍し、飛行機のエンジンを研究していました。大学院を修了した後、ジェットエンジンを造っている会社に入社。その三年後に、結婚をしました。ここで一旦、宇宙との関係は途切れてしまいます。(我至今还记得最初接受发展方向指导的时候,在将来想要从事的职业栏里写了“宇航员”。我考大学失败。一年后重考。在学中,我在籍于航空宇宙工学科,研究飞机引擎。读完大学研究生后,我进入了制造喷气式发动机的公司。三年后,我结婚了。我暂且与宇宙中断了关系。)

ある時妻が、宇宙飛行士募集の記事を見つけて、教えてくれました。会社は面白い場所でしたし、日々忙しく働いていました。ちょうど、会社の制度を使っての留学を考えていた時期だったので、少し躊躇(ちゅうちょ)しました。しかし、宇宙飛行士の募集は、必要が生じたら行う不定期なもの。この機会を逃せば、次がいつかは分かりません。僕は「いっちょやってみるか。」という気持ちで、挑戦してみることにしました。一次、二次、三次試験を終え、一九九六年五月二十九日の朝、一本の電話がかかってきました。宇宙飛行士の毛利衛さんからでした。「おめでとう」と。僕は、それから十年近く訓練をし、宇宙飛行士になりました。(有一次,妻子看到了招募宇航员的报导,并告诉了我。公司很有趣,每天工作繁忙。正好是考虑使用公司的制度去留学的时期,因此我稍微有一点犹豫。然而,宇航员的招募是不定期地在需要的时候进行的。错过了这次机会的话,下一次不知道是什么时候。我用“干脆试一下吧。”的心情,决定挑战成为宇航员。在结束了第一次、第二次、第三次的考试后,1996年5月29日的早上,我接到了一通电话。是宇航员毛利卫打来的,他向我祝贺道:“恭喜你。”此后我接受了近十年的训练,成为了宇航员。)

宇宙の風景は、シャトルの窓から見るのと、船外活動で見るのとでは全く違います。窓からは、景色としての美しさ。それはそれで美しい。だけど、船外活動では、自分と地球が、一対一で対峙しているという感覚が強くあります。自分が、地球と同じような一個の天体となったような、同等の存在として地球と向き合える体験でした。地球は、刻々と姿を変えていき、光の具合も変わっていく。手を伸ばせば触れるぐらいにリアリティをもって、そこに存在している。その時、地球が生きていると思ったんです。なぜ、生きていると思えるかと言うと、人間を初めとする沢山の生命が、そこにいるからじゃないでしょうか。過去を含め、自分が知る全ての人間が活躍していたのは、地球でしかない。どんな人にも語るべき人生があって、その一人一人の命がそこにある。船外活動で地球を見た時、それらが、大きな地球という命の輝きに繋がっていると感じました。(从航天飞机的窗口所看到的宇宙的风景,与在船外活动时看到的完全不一样。从窗口看,是作为景色的一种美。虽然也很美。但是在船外活动的时候,深感到自己与地球是一对一对峙着的感觉。体验到了自己好似和地球一样成为了同等存在的一个天体,并与之相对。地球每时每刻都在变化着,光的样子也渐渐变化。它有着伸手便能触及的真实感,存在于此。那时,我觉得地球活着。说到为什么会觉得它活着,因为以人类为首的众多生命存在于那里吧?包含过去,自己所知的所有的人类活跃着的,只有地球。无论怎样的人也有值得述说的人生,一个一个人的生命存在于那里。在船外活动看地球的时候,感觉到那些生命与巨大的地球生命的光辉相连。)

最近、「夢が叶いましたね。」とよく言われます。僕にとっては、「宇宙に行きたい。」と言うのが夢だったわけです。でも、僕の今の状態というのは、バトンのようなものでもあるんです。宇宙飛行士になりたいっていうのは、結局、人間がもっている可能性をいっぺんに広げていって、自分達がどこまで行けるか知りたいっていうこと。そういった意味では、果てがないと思います。僕が、今、ある程度のことをして、次の世代の宇宙飛行士が、またそこから次へと繋いでいく。十年かけてやっと宇宙に行った時、更に広い世界が見えたのは、そういうことではないでしょうか。(最近,经常被人说“梦想实现了呢。”对我而言,“想去宇宙。”是曾经的梦想。但是,我如今也是接力一样的状态。想成为宇航员,归根结底,是一下子扩大人类所持有的可能性,也就是想知道自己可以走到多远。从这种含义来说,毫无止境。我现在做到了某种程度的事,下一个世代的宇航员又接着做下去。花费十年终于到宇宙的时候,能看到更宽广的世界,也就是这么回事吧?)

僕は、小学校一年生の時に、「ロケットに乗りたい。」と書いていたから、ずっとそれを目指していたかのように捉えられることが多いですけど、必ずしもそうではない。色々なことを思いました。やりたいことって、変わっていくしね。ある時点で、あまり夢に拘らず、その時その時で、自分が目指していくもの、自分が理想としていくものを、追っかけていけばいいんじゃないかな。夢は、変わっていっていいと思うんです。(我小学一年级的时候写了“想乘火箭。”,因此多数人认为我一直以此为目标,但未必如此。我考虑了各种事。想做的事会改变。有时,不怎么拘泥于梦想,想追梦时,朝着自己当时的目标、理想追逐就行了。我认为梦想可以改变。)

例えば、少年野球のちびっ子が、まず、「甲子園に行きたい。」という夢を持ったとします。そこからずっと野球の道を極めて行って、イチローのような選手が出てくるわけです。「プロ野球で活躍したい。」「メジャーリーグで活躍したい。」「ワールド·ベースボール·クラシックで活躍したい。」—。そういう感じで、ちょっとずつ世界を広げていく中で、具体的な目標は変わっていく。叶う、叶わないがあったとしても、大きな意味で、その目標がどんどん膨らんでいく。そして、新しく広がった世界から、更に遠くの景色が広がって見える。そういうことが、本当の夢なんじゃないかなって思います。(比如说,少年棒球的小孩子首先有着“想去甲子园”的梦想。然后一直踏上棒球的道路,出现了像一郎那样的选手。“想活跃于职业棒球。”“想活跃于美国超级棒球联赛。”“想活跃于世界棒球赛。”就这样渐渐开阔世界的时候,具体的目标改变。就算有实现的和未实现的事,从大的含义来说,目标越来越大。然后,从新扩大的世界中,能看到更远的景色。我认为这才是真正的梦想。)

百年後には、僕達宇宙飛行士一人一人の名前は、記憶されていないと思います。後世に残る宇宙飛行士の名前は、人類初めての宇宙飛行士、ユーリ=ガガーリンさんくらいでしょう。おそらく、百年後から見ると、今は宇宙飛行の黎明期。だけど、黎明期に、チャレンジャーやコロンビアの事故などを乗り越えて、少しずつ宇宙への挑戦を続けていった事実は残ります。挑戦を続けていくことは無駄ではない。僕は、そういう名もない幾多の宇宙飛行士の一人になれればいいなと思っています。(百年后,我们每一个宇航员的名字不会被一一记住。流传到后世的宇航员的名字大概只有人类第一个宇航员尤里·加加林吧。或许在百年后看来,如今是宇宙飞行的黎明时期。但是,在黎明时期,越过挑战者和哥伦比亚的事故等,留下渐渐地继续挑战宇宙的事实。继续挑战并不是徒劳的。我能成为众多的无名宇航员中的一人就足够了。)

词汇

浪人(ろうにん):失业者、失学的学生;(离开主家)四处流浪的的武士

作业

1.读课文

日本小6课文:宇航员——我抱有的梦想【久我Masahi的日语课堂】#94的评论 (共 条)

分享到微博请遵守国家法律