日本小6课文:宫泽贤治生平介绍——理想乡之梦【久我Masahi的日语课堂】#83

イーハトーヴの夢(理想乡之梦)
首先说明一下标题,イーハトーヴ是宫泽贤治心中的理想乡,也就是理想中的岩手县,在标题中翻译为理想乡,正文内以音译为主。
作者:畑山 博(はたやま ひろし)
宮沢賢治は、一八九六年(明治二十九年)八月二十七日、岩手県の花巻(はなまき)に生まれた。津波や洪水、地震と、次々に災害に見舞われた年だった。六月、三陸(さんりく)大津波。七月、大雨による洪水。八月、陸羽(りくう)大地震。そして九月には、またまた大雨、洪水。それによる伝染病の流行。次々に襲った災害のために、岩手県内だけでも五万人以上がなくなるという大変な年だった。(宫泽贤治于1896年(明治29年)8月27日,在岩手县花卷出生。这一年连续遇上了海啸、洪水、地震等灾害。6月,三陆大海啸。7月,大雨引起的洪水。8月,陆羽大地震。然后9月,又是大雨、洪水。以及其带来的传染病流行。由于不断受到的灾害,仅是岩手县内就有五万人以上去世,这是非常糟糕的一年。)
家の職業は質店。裕福な暮らしだった。賢治はそこの長男。後に四人の兄弟が生まれる。(宫泽家经营着当铺。生活富裕。贤治是宫泽家的长男,之后出生了四个弟弟妹妹。)
小学校六年生の頃の賢治は、身長が百三十三·九センチメートル。体重二十九キログラム。丸顔で色白。性格は大人しく、一人遊びが好きだった。その一人遊びは、石集め。石を観察することが大好きで、よく近くの野山に出掛けては集めてきた。そのため、皆が「石こ賢さん」と呼んだ。(小学六年级左右的贤治身高133.9CM,体重29KG。圆脸白净。性格老实,喜欢一个人玩耍,独自收集石头。因为最喜欢观察石头,所以经常去附近的山野收集石头。因此,被大家叫作“小石贤”。)
賢治が中学に入学した年も、自然災害のために農作物がとれず、農民達は大変な苦しみを味わった。その次の年も、また洪水。(贤治升入中学的这一年也因为自然灾害,收不到农作物,农民们非常苦恼。翌年又是洪水。)
「何とかして農作物の被害を少なくし、人々が安心して田畑を耕せるようにできないものか。」賢治は必死で考えた。(贤治拼命考虑道:“有办法减少农作物损失,能让人们安心种田吗?”)
「そのために一生を捧げたい。それにはまず、最新の農業技術を学ぶことだ。」(“为此想要奉献一生。首先要学习最新的农业技术。”)
そう思った賢治は、盛岡(もりおか)高等農林学校に入学する。成績は優秀。卒業の時に、教授から、研究室に残って学者の道に進まないかと誘われる。でも賢治は、それを断る。そして、ちょうど花巻にできたばかりの農学校の先生になる。二十五歳の冬だった。(如此考虑的贤治入学于盛冈高等农林学校。成绩优秀。毕业的时候,被教授邀请是否要作为学者留在研究室深造。但是贤治拒绝了。然后成为了花卷正好刚成立的农业学校的老师。这是贤治25岁的冬天。)
「稲の心が分かる人間になれ。」それが生徒達への口癖だった。(“要成为理解稻心的人。”这是贤治传授给学生们的口头禅。)
また、こんな言葉を覚えている教え子もいる。「農学校の『農』と言う字を、じっと見詰めてみてください。『農』の字の上半分の『曲』は、大工さんの使う曲尺(かねじゃく)のことです。そして下の『辰(しん)』は、時と言う意味です。年とか季節と言う意味もあります。」(并且,在贤治的学生中,还有人记得这样的话:“仔细看农业学校的‘農’字。‘農’字上半部分的‘曲’是指木工使用的曲尺,下半部分的‘辰’是指时间,也意味着年或季节。”)
曲尺と言うのは、直角に曲がった物差しのことだ。それを使うと、一度に二つの方向の寸法が測れる。だから賢治の言葉は、「その年の気候の特徴を、色んな角度から見て、しっかり掴むことが大切です。」と言う意味になる。(所谓曲尺是呈直角弯曲的尺。使用曲尺可以一次测量两个方向的尺寸。所以贤治说的话有“要从各种角度看这年的气候特征,好好把握气候非常重要。”的意思。)
また賢治は、春、生徒達と田植えをした時、田んぼの真ん中に、向日葵の種を一粒植えたこともあった。すると、真夏、辺り一面ただ平凡な緑の中に、それが見事に花を開く。(贤治还在春天和学生们插秧的时候,在田的正当中,种了一颗向日葵的种子。于是,到了盛夏,在周围一带都是平凡的绿色之中,当中盛开了一朵漂亮的向日葵。)
「田んぼが、詩に書かれた田んぼのように、輝いて見えましたよ。」と、昔の教え子達が言う。(贤治从前的学生说:“田看上去就好像诗中所写的田一样闪耀。”)
苦しい農作業の中に、楽しさを見つける。工夫することに、喜びを見つける。そうして、未来に希望をもつ。それが、先生としての賢治の理想だった。(在苦恼的农活中找到快乐。下了工夫,发现喜悦。就这样,对未来持有希望。这是作为老师的贤治的理想。)
暴れる自然に勝つためには、皆で力を合わせなければならない。力を合わせるには、互いに優しい心が通い合っていなければならない。その優しさを人々に育ててもらうために、賢治は、沢山の詩や童話を書いた。「風の又三郎」「グスコーブドリの伝記」「セロ弾きのゴーシュ」、そして「やまなし」。(为了战胜灾害肆虐的自然,大家必须齐心协力。齐心协力则必须相互亲切关怀。为了培养人们的这份亲切,贤治写了很多诗和童话。其中有《风又三郎》《古斯柯布多力传记》《大提琴手高修》以及《山梨》。)
賢治の書いた物語の舞台は、イーハトーヴと言う一つの同じ場所であることが多い。イーハトーヴと言うのは想像で作った地名だけれど、「イーワテ」と言うのとよく似ている。(贤治所写的故事舞台,在“易瓦透布”这同一个地方的居多。“易瓦透布”虽说是想象的地名,但是与“岩手”非常相似。)
「この岩手県が、いつか、こんな夢のような素敵な所になったらいいな。」きっとそう思って、賢治はそんな名前を付けたのだろう。だから、イーハトーヴは、実際の岩手県と同じ大きさをしている。そうしてそこで、大昔から今までの、様々な出来事が起こるのだ。(“这个岩手县以后能成为梦想中一样绝妙的地方就好了。”贤治一定是这样考虑才取了“易瓦透布”这个名字吧。因此,“易瓦透布”与实际的岩手县大小相同。然后在这里发生了很久以前至今的各种各样的事情。)
「風の又三郎」は、山の小さな分校に、ある日、突然、一人の転入生がやって来る話。その少年、又三郎は、どうやら風や雨を自分の力で動かすことが出来るらしい。(《风又三郎》是某日,突然有一个转校生来到了山中小分校的故事。这个少年名为又三郎,他好像能用自己的力量来操纵风雨。)
「グスコーブドリの伝記」は、冷夏で農作物がとれなくなったため、人工的に火山を爆発させて暖かくしようとする人々の話。でも、島の火山を爆発させに行く者は、生きて帰ってはこられない。それを、主人公のグスコーブドリが、自ら進んでやる。(《古斯柯布多力传记》是因为冷夏农作物无法收成,要人工使火山爆发来取暖的人们的故事。但是去岛上使火山爆发的人无法活着回来。主人公古斯柯布多力自己前去让火山爆发。)
「セロ弾きのゴーシュ」は、小さな町の小さなオーケストラのセロ弾きの物語。ゴーシュは、弾き方が下手で、いつも指揮者に叱られていた。もうやめようかと腐っていた。でもそんな時、ふとしたことから、自分の音楽で、野鼠や兎、狸などの病気を治すことが出来るのを知る。(《大提琴手高修》是小镇的小管弦乐团的大提琴手的故事。高修拉提琴差劲,总是被指挥者骂别拉了。但是,这时发生的意外的事,让高修知道自己的音乐能治好野鼠、野兔、狸猫等的病。)
「北守将軍と三人兄弟の医者」と言う物語もある。(还有《北守将军和三个医生兄弟》的故事。)
丘の上に仲良く並んで、三つの病院が建っている。(在山岗上建着三所要好地排在一起的医院。)
人間の病気を治す病院。(一所是给人类治病的医院。)
動物の病気を治す病院。(一所是给动物治病的医院。)
植物の病気を治す病院。(一所是给植物治病的医院。)
三つの病院は、同じ大きさで、どれも同じように大切だということが書かれている。(故事中写道三所医院一样大,一样重要。)
そんな数々の物語の舞台を地図上にまとめてみると、楽しいイーハトーヴのパノラマ地図が出来上がる。(将这些众多的故事的舞台汇总到地图上后,愉快的“易瓦透布”的全景地图就完成了。)
豊かに農作物を実らせる川沿いの平野。(农作物丰裕的沿河的平野。)
月の光を集めて作るカステラの製造工場。(收集月光制作蛋糕的工场。)
青空を作る山。(制造蓝天的山。)
鬼語で放送をする放送局。(用鬼语播放的广播电视台。)
銀河のエネルギーを集めて発電する発電所。(收集银河能源来发电的发电站。)
グスコーブドリが爆発させた火山。(被古斯柯布多力爆发的火山。)
「やまなし」の蟹達が住んでいた、イサドの町近くの小さな川。(《山梨》中的螃蟹们所居住的isado镇附近的小河。)
そして、賢治の作品で忘れてはならない「銀河鉄道の夜」がある。(以及,还有不能忘记的贤治的作品《银河铁道之夜》。)
ある晩、事故でなくなった親友を送って、天上の国まで旅してしまう少年の物語。目を見張るほど美しい天上の風景が出てくる。これは、大切な妹トシをなくした賢治が、悲しみのどん底で書いた作品だ。物語の主人公、ジョバンニが住んでいた町は、イーハトーヴのパノラマ地図の中の種山付近と考えられる。(这是关于某晚,少年为因事故去世的亲友送行,一直到天上的国家旅行的故事。故事中出现了美到令人瞠目而视的天上的风景。这是心爱的妹妹敏子去世后,贤治在悲痛欲绝之下所写的作品。故事的主人公乔邦尼所居住的城镇,被认为在“易瓦透布”的全景地图中的种山附近。)

賢治がイーハトーヴの物語を通して追い求めた理想。それは、人間が皆人間らしい生き方が出来る社会だ。それだけではなく、人間も動物も植物も、互いに心が通い合うような世界が、賢治の夢だった。一本の木にも、身を切られる時の痛みとか、日向ぼっこの心地よさとか、怒りとか、思い出とか、そういうものがきっとあるに違いない。賢治は、その木の心を自分のことのように思って、物語を書いた。(贤治通过“易瓦透布”的故事所追求的理想是人类都能够像人类一样生存的社会。不只是这点,人类、动物和植物都能够心意相通的世界是贤治的梦想。一棵树一定也有切肤之痛,有晒太阳的愉悦,有愤怒,有回忆等。贤治将这棵树的心当成自己一样写故事。)
けれども、時代は、賢治の理想とは違う方向に進んでいた。様々な機械の自動化が始まり、鉄道や通信が発達した。なんでも、早く、合理的に出来ることがよいと思われるような世の中になった。そんな世の中に、賢治の理想は受け入れられなかった。(然而,时代与贤治的理想背道而驰。各种各样的机械开始自动化,铁道和通信发展。社会变成了人们认为什么都要快而合理为好的时代。在这样的时代中,没能接纳贤治的理想。)
初めの頃、賢治は、自分が書いた童話や詩の原稿をいくつかの出版社に持ち込んだ。でも、どの出版社でも断られた。仕方なく、賢治は、自分で二冊の本を出す。童話集「注文の多い料理店」、詩集「春と修羅」。でも、これも殆ど売れなかった。それどころか、酷い批評の言葉が返ってくる。自分の作品が理解されないことに、賢治は傷ついた。次に出すつもりで準備を整えていた詩集も、出すのをやめた。(最初,贤治将自己写的童话和诗的原稿送到了几个出版社。然而,被所有的出版社拒绝了。贤治无可奈何地自己出了两本书。童话集《要求很多的餐厅》、诗集《春与修罗》。但是,基本卖不掉。不仅如此,还遭到了很过分的批判。自己的作品不被理解,贤治很伤心。已经整理好的接下来准备出的诗集也放弃了出版。)
農業に対する考え方にも、変化が起こっていた。(贤治对于农业的考虑方式也发生了变化。)
「一度に大勢の生徒を相手に理想を語ってもだめだ。理想と現実の農業は違う。実際に自分も農民になって、自分で耕しながら人と話さなければ。」そう思った賢治は、三十歳の時農学校をやめ、「羅須地人(らすちじん)協会」と言う協会を作る。農家の若者達を集め、自分も耕しながら勉強する。それが賢治の目的だった。(“一下子在众多的学生面前讲述理想也不行。理想与现实的农业不一样。必须自己也成为农民,一边自己耕种一边与人说话。”如此考虑的贤治,在30岁的时候从农业学校辞职,创建了 “罗须地人协会”。贤治的目的是召集农家的年轻人们,自己也一边耕种一边学习。)
協会に集まった農村の青年は三十人程。そこで賢治は、農業技術を教え、土と汗の中から新しい芸術を生み出さなければならないことを語った。農民の劇団を作ったり、皆で歌や踊りを楽しんだりした。(召集到协会来的农村青年有三十人左右。贤治将农业技术教给他们,并述说到必须从泥土与汗水中创造出新的艺术。贤治创建了农民的剧团,大家一起愉快地唱歌跳舞。)
毎日、北上川(きたかみがわ)沿いの荒地(あれち)を耕し、真っ黒に日焼けし、土の匂いをぷんぷんさせる賢治。でもそれは、長くは続かなかった。病気のために、寝込んでしまったのだ。(每天耕种北上川沿岸的荒地,晒黑的贤治身上满是泥土的气息。然而,这样的日子没能持续长久。贤治卧病不起。)
羅須地人協会は、二年程で閉じなければならなくなった。でも次の年、病気が少し良くなると、起き出して村々を歩き回った。「あなたのこの田んぼは、こういう特徴があるから、今年は、こういう肥料をこのくらいやりなさい。」と、一人一人に教えてあげるボランティアだ。同時に、賢治は、石灰肥料会社の共同経営者になって、セールスに歩き回る。石灰肥料は土地改良に役立つものだったので、それを広めることが農民のためになると考えたのだ。岩手県内だけでなく、東北一帯を、毎日毎日飛び回った。(罗须地人协会两年左右就不得不解散了。但是翌年,贤治的病稍微好转了一点,他起来在村子间到处走。他成为了志愿者,一个人一个人地教道:“你的这片田有这样的特征,今年将这种肥料浇这么多。”同时,贤治还成为了石灰肥料公司的共同经营者,到处推销肥料。他认为石灰肥料对于土地改良很有用,所以,将此推广是为了农民。不只是岩手县内,贤治还每天奔走到东北一带。)
そのために、またまた体を壊してしまう。三十五歳。遂に旅先で発熱。起き上がることができなくなった。もうだめかもしれないと思って、遺書を書く程の衰弱ぶりだった。どうにかやっと自分を励まして、花巻に帰ったけれど、それっきりとこを離れることができなくなった。(为此,贤治的身体又垮掉了。35岁,终在旅行地发热,病倒不起。贤治认为自己可能不行了,衰弱到要写遗书的程度。贤治勉强激励自己,回到了花卷,然而就此离不开花卷了。)
そのまま二年間、賢治は病気と闘うが、体はますます弱っていった。そして、一九三三年(昭和八年)九月二十一日が来る。(就这样两年间,贤治与病魔抗争,但是身体越来越虚弱。然后,1933年(昭和8年)9月21日到来了。)
前の晩、急性肺炎を起こした賢治は、呼吸が出来ない程苦しんでいた。なのに、夜七時頃、来客があった。見知らぬ人だったけれど、「肥料のことで教えてもらいたいことがある。」と言う。すると賢治は、着物を着替えて出ていき、一時間以上も、丁寧に教えてあげた。(前夜,贤治急性肺炎发作,痛苦到无法呼吸。然而,晚上七点左右,有客人来了。虽说是不认识的人,但是对方说“想请教肥料的事。”于是贤治换上和服出来了,仔细地讲解了一个小时以上。)
それで、最後の力を出し切ってしまったのかも知れない。翌日の朝、賢治は、激しく血を吐いてしまう。心配した家族は、全員が家の二階の病室に集まった。それで安心したのか、賢治は少し落ち着いた。皆はまた階下に戻っていった。母親のイチだけが残った、その母に、賢治は、「お母さん、すまないけど、水を一杯ください。」と言った。そして、母が差し出した水を、美味しそうに飲んだ。(这或许是用尽了最后的力气。翌日早上,贤治猛地吐血。担心的家人们全员集中到了家里二楼的病室。贤治安心地稍微平静了下来。大家又回到了楼下。只留下母亲伊治,贤治对母亲说道:“妈妈,不好意思,给我一杯水。”然后他很可口地喝了母亲递来的水。)
それから、オキシドールを消毒綿に付けて、手を拭き、首を拭き、体全体を綺麗に拭いた。(之后,母亲用消毒棉沾了双氧水,给贤治擦手,擦脖颈,将全身都擦干净了。)
「ああ、いい気持ちだ。ああ、いい気持ちだ。」それが最後の言葉だった。(“啊,真舒服。啊,真舒服。”这是贤治最后的话。)
午後一時三十分。死のとことなった部屋の片隅には、生きているうちには、遂に本になることのなかった名作の数々、その原稿が堆く積まれ、静かに、秋の日差しの中で、光っていた。(午后一点三十分。在贤治去世的房间的角落,堆积着他生前未能成为书的众多篇名作的原稿,原稿在秋日的阳光中静静地闪耀。)

词汇
腐る(くさる):腐烂;腐朽;腐败、堕落;悲观失望;表示蔑视、憎恶
目を見張る(めをみはる):(因惊讶或感动)瞪大眼睛看、瞠目而视
身を切られる(みをきられる):非常难受、切肤之痛
堆く(うずたかく):堆起、成堆、堆高

作业
1.读课文
2.思考本课以及上一课

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