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日本小6课文:关于《柿山伏》【久我Masahi的日语课堂】#87

2021-02-08 18:39 作者:久我まさひ  | 我要投稿

「柿山伏」について(关于《柿山伏》)

作者:山本 東次郎(やまもと とうじろう)

狂言は日本の古典芸能です。古典とは、人々の大切な心の財産として、長い間受け継がれてきたものです。そして、それは私達に、人間とは何かを教え、生き方について考えるヒントを与えてくれるお手本のようなものです。(狂言是日本的古典戏剧。古典作为人们珍贵的精神财富,被长久传承下来。而且,它像范本一样,告诉我们人类是什么,并给予了我们思考生活方式的提示。)

狂言の「柿山伏」は、空腹のあまり、他人の柿の木に登って、勝手に柿を食べてしまった山伏が、その持ち主に懲らしめられるお話です。山伏は厳しい修行を積みましたが、生きている以上、やはりお腹も空きます。多くの力や術を身につけたと威張っていますが、手品のように食べ物を出すことは出来ません。山伏も普通の人間と変わりないのです。狂言は、特別な人の身の上に起こった特殊な事件ではなく、誰の身にも起こり、誰もが経験しそうな出来事を描いています。見る人々がそれぞれ、自分のこととして考えるとよいのです。(狂言《柿山伏》是入山修行者由于饥肠辘辘,攀登上别人的柿子树,随意吃柿子,然后受到了柿主的惩罚的故事。修行者虽然积累了严厉的修行,但只要生存着,还是会饿肚子。虽然修行得来了众多的能力和法术而自逞威风,但是无法像魔术一样变出食物。修行者也和普通的人类一样。狂言所描写的不只是特别的人经历的特殊的事,而是谁都可能碰到,谁都可能经历的事。观者们可以将这些事当成自己的事情来考虑。)

柿の持ち主にからかわれた山伏は、木の上で、言われるままに、必死になって烏·猿·鳶の真似をします。それは、誰もが、そうした立場になれば自分の罪を覆い隠そうとする姿を、こんな形で表しているのです。この山伏の滑稽な姿から、自分がやった悪いことを認めたり反省したりせずに、あくまでも知らないと言い張って誤魔化そうとする人達を思い浮かべる人もいるでしょう。(被柿主捉弄的修行者在树上按照柿主所说,拼命模仿着乌鸦、猴子、鹰。站在同样立场上的话,谁都会掩饰自己罪行的样子,用这种形式表现出来。从修行者滑稽的样子,也有人会浮想起不承认、反省自己的过错,坚持声称自己不知道来掩饰错误的人们吧?)

しかし、狂言は、その愚かさを責めたり、追い詰めたりするようなことはしません。人間は賢さも愚かさも、みな同じように持っているのです。それを理解していれば、誰もみな、ゆったりと広い心を持って、労り合いながら、仲良く楽しく生きていけると、狂言はいっているのです。(然而,狂言并不会责备他们的愚笨,也不会对他们穷追不舍。因为人类同时具备着聪明与愚笨。只要对此理解,谁都会有一颗宽阔之心,能够互相关心,愉快和睦地生活。)

また、柿くらい食べさせてやってもいいではないかと思う人もいるでしょう。今の日本には食べ物が溢れるようにありますが、狂言の生まれた時代は、そうではなかったのです。柿の実は大切な食料で、柿の持ち主はそれをとても大事にして、毎日見回りに行っていたくらいなのです。それを、断りもなく勝手に食べられてはたまりません。柿の持ち主は、決して心が狭いのではないのです。狂言は、いつの時代にも変わらない人間の姿を描きますが、そのお話が生まれた頃は、現代と少し事情の違うこともあるのだということも、頭に入れておいて頂きたいと思います。(并且,也有人会觉得柿子这点小东西不妨让他吃吧。如今的日本食物充沛,然而在狂言诞生的时代,并非如此。柿子是很重要的食物,柿主将此看得很重,重视到甚至要每天去巡视。绝对受不了不打招呼便擅自吃掉柿子。柿主并非心胸狭隘。狂言描写了无论哪个时代都不变的人类的样子,但要记住故事诞生的时候与现代的情况也稍有不同。)

词汇

懲らしめる(こらしめる):惩罚、惩戒、教训

手品(てじな):戏法、魔术;欺骗手法

覆い隠す(おおいかくす):遮盖、掩饰

労り(いたわり):怜恤、照顾、慰劳、安慰

作业

1.读课文

2.阅读图片内容:


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