MYSTERIOUS: 过往-坎坷的追梦之路
トイレにこもって泣いたオーディションの日
那个躲在厕所里哭的甄选日
学校では青春を楽しみながら、夢を追いかけていた10代のころ。振り返ると、いろんな思いがありました。2014年、16歳でTHE RAMPAGEの候補メンバーに選ばれた時も、心境は複雑でした。僕は一回、オーディションに落ちているので。「EXILE PERFORMER BATTLE AUDITION」に落選したメンバーからTHE RAMPAPAGEというグルーブが作られて、その候補生に選ばれたんです。しかも同じオーディションで翔平は最終審査に行ったけど、僕はその前に落ちたのですごく悔しかったし。翔平とはEXILEさんのライブだったり、GENERATIONSのサポートメンバーも一緒にやっていて。ライブの時は福岡から一緒に地方に行っていたので、余計に悔しい気持ちがあふれたのかもしれません。しかもオーディションに落ちた日は、泊まっていたホテルの部屋が翔平と同じで。僕はトイレにこもって家に結果報告の電話をしながら、大泣きしたことを覚えています。
十几岁的时候,我一边在学校里享受青春,一边追逐梦想。现在回想起来,心里五味杂陈。2014年我16岁,我被选为THE RAMPAGE的候补成员的时候,心情也十分复杂,因为我甄选失败过一次。在“EXILE PERFORMER BATTLE AUDITION”中落选的成员们组成了名为THE RAMPAPAGE的组合,我被选为其中的候补生。但是在同一场甄选中,翔平去了最终的审查,而我在那之前就落选了,非常不甘心。我和翔平一起陪EXILE桑开过演唱会,也同为GENERATIONS的支援成员。 因为演唱会的时候我们是一起从福冈出发去外地,所以在那路上我的挫败感可能就更强了。 而且落选那天,我还和翔平住在同一个酒店房间。我记得我当时躲在厕所里,一边打电话给家里报告结果,一边大哭。
それまでGENERATIONSのサポートメンバーは5人で務めていたので、その5人でグループになるのかなと勝手に思い込んでいたけど、自分の予想していた道とは違う方向に進んでいって。当時はTHE RAMPAGEの、候補生として活動していくということだったので、これからどうなるんだろうっていう不安は正直ありました。もちろん活動するからには全員で正式メンバーになりたいと思っていたけど、ひとつのグループとして16人は多いよなと。全員探り探りだったと思うし、だからこそ最初の「武者修行」では、メンバー間のまとまりがないと指摘されていました。でも、みんな正式メンバーになるために必死でやってきたので、「武者修行」の最終日にサプライズで「全員が正式メンバーになります」と聞いた時、覚悟が決まりました。腹をくくってこのメンバーでやっていこう、ここからは前だけを見て進もうと。「武者修行」をやっていく中で、グループとしての結束も強くなっていったと思います。
在那之前,因为GENERATIONS的支援成员是由5个人担任的,所以我就自顾自地深信,我们这5个人会组成一个组合,但事情却在我意料之外,往完全不同的方向发展了。当时因为我是作为THE RAMPAGE的候补成员活动的,老实说,对于未来会怎样发展,我很不安。既然要活动,我们所有人当然都想成为正式成员,但是作为一个男团,16人人数也太多了,我想我们所有人都因此而相互试探。就因为这样,在最初的“武者修行”中,我们被指出互相之间没有团结一心。但是,大家为了成为正式成员都非常拼命非常努力,所以当我们在“武者修行”的最后一天,惊喜地听到宣布“全员都将成为正式成员”的时候,我做出了觉悟。横下一条心,要和这些成员一起努力,从现在开始我只会朝前看和大家一起前进。在进行“武者修行”的过程中,我觉得我们作为一个团队的凝聚力也变得更强了。
活動休止中もみんなが同じ方向を向いていた
即使在停止活动的时候,大家也都朝着同一个方向
いちばん挫折を感じたのは、活動休止の1年間です。自分たちの未熟さから、デビュー前に一時活動休止になり、寮を出されて実家に帰ったんです。そこから3か月くらいは、EXPGのスタッフの仕事をやっていました。毎朝トイレ掃除をして、スタジオの準備をして、レポートを書いて、レッスンの手伝いをして…という日々。
でもこの時間があって本当によかったなと、今改めて思います。僕らの多くは小さな頃からレッスンに打ち込んで、社会人経験もなくTHE RAMPAGEになっています。その裏にはたくさんの人のサポートがあるんですけど、当たり前に目の前にあるものへの感謝が足りていなかったというか、当時は自分たちのことばかりに意識が向いていて、人間として中身がついてきていなかったと思うんです。それこそ僕はアルバイトもしたことがないし、社会に対応しきれていなかった。考え方も子供のままでした。そんな僕らが社会の厳しさを学んで自立していけたのも、この休止期間があったからだと思います。そして、そういう先が見えない状況の中でも、誰一人としてメンバーが欠けることがなかったんですよね。みんな向いている方向が一緒だったというのは、今考えるとすごいなと思います。僕らにはTHE RAMPAGEしかないんだっていう、グループにかける強い思いがありました。
デビューしてからも色々なことがありましたけど、僕は活動を始めた10代のころから「やめてしまおう」と思ったことは一度もないんです。小さいころからこれだけをやってきて、自分にはこの道しかないと思っているので。どんな時も夢をあきらめるという選択肢は、全くありませんでした。
最让我感到挫败的是停止活动的那一年。因为我们自己不够成熟,在出道前有过一段暂停活动的日子,被迫离开宿舍回到老家。在那之后的三个月左右,我一直在做EXPG员工的工作。每天早上打扫厕所、准备工作室、写报告、做课程助教……过着这样的日子。
但是现在回头重新想想,又觉得有这样一段经历真是太好了。我们很多人从小就埋头于课程当中,在没有任何社会经验的情况下,就这么成为了THE RAMPAGE。在这背后有许多人的支持,但我们都习以为常地只着眼于眼前的东西,没有意识到自己对于背后这些人的帮助所表达的感激是不够的。我觉得当时的我们把所有注意力都放在了自己身上,没有具备作为一个人应该具有的内在。我从来没有打过工,无法适应社会,想法也还像个小孩子一样幼稚。我认为正是因为有了这次活动休止期,我们才得以了解社会的残酷并且变得独立。而且,即使是在这种变幻莫测无法看到未来的情况下,也没有任何一个成员离开,大家都朝着同一个方向前进,现在想想真了不起。因为我们都有一种强烈的感受,那就是对我们来说,我们只有THE RAMPAGE这个团队。
虽然在出道后也发生了各种各样的事情,但我从开始活动的10多岁开始,一次都没有想过“放弃吧”。因为我从小到大只做过这一件事,我觉得自己只有这条路可以走,别无选择。在任何时候我都没有考虑过放弃梦想的选项。
僕がパフォーマーになりたいと思ったのは、EXILEさんがきっかけなんです。姉が買ったCDに付いていたライブ映像を見て、ダンスでこれだけ輝いている人たちがいるんだと衝撃を受けて。初めてドームにライブを見に行ったとき「僕もこうなりたい」と夢を持つことができました。そのライブでEXPG STUDIOが福岡に開校されることを知って、どこか導かれるような運命も感じて。だから僕の人生のターニングポイントは、EXILEさんとの出会いですね。TAKAHIROさんの髪型も真似していたなぁ(笑)。今もずっと尊敬する憧れの存在です。
我想成为表演者是因为EXILE桑。当我看到姐姐买的 CD 附带的现场录像时,我很震惊,竟然有人在舞蹈方面如此闪耀。第一次去巨蛋看演唱会的时候,我就有了“我也想变成这样”的梦想。当我在那场演出中得知EXPG STUDIO福冈校即将开业的事,我就有了一种自己被引导到了某个地方的宿命感。所以我人生的转折点,是和EXILE的相遇。我还模仿TAKAHIRO桑做过他的发型呢(笑)。到现在他也仍旧是让我尊敬崇拜的存在。

翻译:RURU1125
至少3vo在活动休止期间是有过放弃的想法,树居然从没想过,这份坚持真的让人佩服
懒得找配图了