读书笔记 司马辽太郎篇
近一两年看了司马辽太郎的几本行记和一些杂文。仅在这里做一下笔记。 《大正生まれの「故老」》——《歴史と視点》より 这是《历史与观点》的第一篇文章,开头是报社记者打电话来,就某件事找司马桑寻求意见文章的。司马很不解, なぜ私のようなただの日常人が意見をもとめられねばならないのか。 对方回答 それは、あの、……あなたが大正うまれでいらっしゃるものですから 由此,司马桑引出了一段议论(或者可以称为牢骚) 質問者は昭和二ケタ生れぐらいの年頃らしく、かれからみれば大正生れというのはオバケの集団のように見えるのかもしれなかった。 他有点不满凭什么就因为是大正出生的人,就好像是被当做妖怪一样对待,把自己和那件事的主人公划分到同一类上,然后来问我的意见。这就是标题所说的“故老”了。而且用了一个形象的比喻 年号を冠することによって若さの魔術性を誇示できるのはほんの一時期で、あとは昭和年号の世代が淼々たる洪水のように押しよせてきて孤立し、いずれ中州に追いあげられて博物館的イメージが固定してしまうのは算術的に確実なのである。 而那位昭和生的记者仍围绕着那个事件接着问,(会发生那样的情况,果然是因为) やはり、戦陣訓でしょうな 对此司马桑嗤之以鼻,那只是当年某著名陆军大臣发的小册子,里面写着 生きて虜囚の辱を受けず 之类的话。写得好像煞有介事,但是我这个故老告诉你啊,那玩儿意真没什么重要的。 接着关于俘虏问题,昭和年代生的记者又问 捕虜というのは、日本の歴史のなかでどういうぐあいになっているのでしょう 司马桑提出他自己的想法,在战国时代 当時の価値観というのは忠不忠というより、武勇がどうかということであり、敵にとって役立つ自分でなければ敵へ奔るに値しないのである。日本人というのはそういう大らかな歴史を経た民族であることを私かな誇りとしたい。 当时还有降朝鲜的“降倭”呢,他们投降并不是因为战败,而是看不起自己的老大,觉得自己有前途所以投奔到敌营去了而已。那时候人们把投降认为是正常的,换个效力的对象以便自身更好的发展。而真正在道德上钳制住人们想法的是德川幕府时代,那时候强调忠诚心了。而真正把投降视为耻辱和背叛的价值观要到明治了 投降や逃亡が、それが国家に対する最悪の裏切りであるというかつての武士時代にはなかった道徳律が軍隊をおもおもしく支配しはじめたのは、明治後、百姓階級から兵隊をとるという徴兵令ができ、各地に鎮台ができたときからだったろうとおもわれる。 而且就算是明治也和后面的魔鬼昭和不一样。(这里体现出了鲜明的司马史观,很多人对此持批判态度。但是这里只是读书笔记,做不了啥研究,只是记录。)司马桑引用了一段明治期的日露战争中的一篇通告文 我軍ハ仁義ヲ以テ動キ、文明ニ依テ戦フモノナリ。故ニ我軍ノ敵トスル処ハ敵国ノ軍隊ニシテ、其一個人ニアラズ。サレバ敵軍ニ当リテハ素ヨリ勇壮ナリト雖モ、其降人、捕虜、傷者ノ如キ、我ニ敵抗セザルモノニ対シテハ之ヲ賞撫スベキ事、嚮ニ陸軍大臣ヨリ訓示セラレタルガ如シ 强调这与昭和期入侵中国那那帮人完全不像是一个民族说出来的。接着议论了他对明治和昭和前二十年日本的看法。并且提出来结论,昭和前二十年的日本陆军所做的,就像 大風に灰を撒いたというような、いわば世界戦史に類のない国家的愚行 做了这些愚蠢行动的陆军没有别的什么可为的,只能开始说教了起来,就是之前提到的 結局は、「戦陣訓」である。 「生きて虜囚のはずかしめを受けるな」 と 仅此而已,那本小册子所承载的历史厚重仅仅只是陆军无能的说教而已。 司马桑的意思是你要找我这个大正出生的人问那件事的看法,我只能说那件事和我又毫无关联,我能有什么看法。只是你们这群昭和出生的人好像擅自把大正出生的我分到了他们那一类,做了一些无聊推测,说什么是不是陆军那本小册子产生的后果之类的话。最后总结到,可能新闻社的意思是想提些大道理,但是 反戦とか非戦とかという裏返しの旧軍人じみた感情コトバを題目のように唱えることでなく、日本というこの自然地理的もしくは政治地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆくほうが大事なように思えるのだが、どうだろうか。 —————————————— 最後に感想、去年司馬氏の「明治という国家」を読んだ時、多少違和感があったけど、やはりその見解に感心した。その本にも書いたように、司馬氏は往々にして明治を讃え、昭和前期を貶すことにより、日本の仕出かした戦争を解釈しいる。そしてそれが司馬史観と称されて、右派からも左派からも批判を受けてなお根強い人気っぷりが見受けられる。 考えてみればその人気の理由もわからないでもない。侵略行為に苛まれた良識の呵責と明治以来見事に近代化へ踏み出した誇り、この両方を徘徊させられた日本の知識人たちは救いを求めている。司馬氏自身もそうであり、氏なりの答えも出した。 ここで自分が記したい感想というのは、司馬史観をどうこう議論することではなく、ただやはり我々には精神的救いが一番必要ではないかということだな。わが敬愛する蘇東坂もそうであるように。たとえ自分が見つけた精神的救いが他人からみれば愚かであろうと、自分もそれを曲げないのは知識人というやつではないか。

