Ling Tosite Sigure 新专辑《i'mperfect》发行纪念长访谈
原文章地址:https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/ling-tosite-sigure/1000000840
本专栏将日语部分加粗
取材・文/南波一海(2013年3月)

凛として時雨の2年半ぶりとなるフル・アルバム『i’mperfect』(インパーフェクト)が届いた。「I’m perfect」と読めそうなところだが、実際の意味はその正反対を指すという、いかにも時雨らしいシャレの利いた本作は、TKのソロ活動を経て、改めてこの3人でなければできない音楽が奏でられた作品となっている。今回はTKへの単独インタビューを敢行。タイトルに込めた意味や作曲方法、この3人であることの必然など、話題は多岐に及んだ。まずはリリースペースの話から。
凛として時雨时隔2年半的全新专辑『i’mperfect』终于来了。虽然读起来好像是“i’m perfect”,但实际的意思却恰恰相反,这个标题也是非常有时雨式的时髦感,这次是TK个人活动之后的,再次进行的只有三人一起才能呈现出的作品。这次对TK进行了单独采访。话题涉及面很广,包括标题背后的含义、作曲方法和他们三人在一起的必然性等等。让我们先来谈谈创作周期。

「“まだこの楽曲が持ってる色が他にあるんじゃないか?”
って疑うことはマスタリングの日までやめないかもしれないです」
“我这首歌里还倾注了其他的什么吗?”也许直到母带处理为止我都会这样想着。
――2年半ぶりの新作ですが、これは自然なターム?
「はい。むしろ、みんなが早いんですよ(笑)。毎回、久しぶりですねって言われるんですけど」
——这是时隔了两年半的新作品呢,这个周期是很正常的事吗?
是的呢。不如说,能两年半做出来已经很快了呢(笑)。虽然好像每次大家都会说是很久违了的新歌呢。
――でもソロもあったから。
「動いてる印象はあったかもしれないですね」
——但是个人活动什么的也在做呢。
这样看的话确实会给人留下还在活跃着的印象呢。
――TKさんは曲が大量に出来るタイプではないんですよね。
「そうですね。作り溜めるタイプでもないので。作るってなったときに、自分をそこに向かわせる。アルバム用に20曲ぐらい作るとか、そういうのも一切やったことないんです」
——您不是那种一次做出大量曲子的类型呢。
不是呢。 因为我不是那种会刻意去积累作品的类型。 当我决定写一首歌的时候,我只是一心想着完成它而已。我从来没有做过为一张专辑制作20首歌之类的事情。
――「作らないと」って気持ちになって書く?
「楽器を持ったときに、どこに導かれるかを探りながら曲を作っている感じです。ギターを弾いたりしてるとき、なんとなく入り口が分かるときがあって。それを3人でどこまで持っていくかっていう作業をする感じですね。到達点が自分の中でなんとなく見えてるときはいいんですけど、自分がどういう絵を描きたかったかを忘れちゃうことがあって。瞬間的にイメージが思い浮かんでイントロを作ったとして、そのときには何かをイメージしてたと思うんですけど、それに対して描きたいものを探す作業が作曲みたいなところがあります。イメージを描き切れたと思うまでは、ずっとやってますね。だから、楽曲としては完成していたとしても、“まだこの楽曲が持ってる色が他にあるんじゃないか?”って疑うことはマスタリングの日までやめないかもしれないです」
——您在创作时会有“必须要写下去”这样的感觉吗?
拿着乐器的时候,我会边探索着接下来的旋律边创作,这样的感觉呢。有时我在弹吉他时,会有灵感初现的时候。于是我们三个人的工作仿佛就变成了“这样的灵感源头将会引我们到何处呢”一样。有时最后的成品就是我脑海中浮现的,但也有忘记了一开始到底是怎样一种感觉的情况。用瞬间浮现的印象来做前奏,思索着那个瞬间想象出了什么,并以此为依据寻找着想要表达的内容,作曲的时候就是这样的感觉。直到把意识中的画面呈现出来为止都一直在这样做。因此即使歌曲已经完成了,“我这首歌里还倾注了其他的什么吗?”也许直到母带处理为止我都会这样想着。
――ああ、なるほど。だから『i’mperfect』なんですか。
「そうですね。自分の作品に関しては、未完成な状態で完成してるっていうのがすごく強い。音楽ってずっと鳴り続けてるものなので、そこに対してアルバムって釘を打たれて、あくまでもその瞬間に映されてる楽曲っていう」
——原来如此。这就是这次的专辑名是『i’mperfect』(不完美)的原因呢。
怎么说呢,“我的作品是在不完美的状态下完成的”总是抱有这样的想法。音乐的本质就是不断发声,所以一张专辑就像是把声音印刻了下来,乐曲就是那一刻的反映。
――変化してる間の、ある地点。
「そうです。それを見られるっていう恥ずかしさもありますし、曲が完成しちゃうとあまり聴かないですね。それまでは毎日のように何度も聴くんですけど。完成を迎えると自分の手から離れてしまうような感覚があって」
——这过程中有什么地方改变了吗?
因为被看到意识所想也会难为情,曲子完成后就不怎么听了。虽然在完成前每天都要听无数次。有一种曲子完成后就不属于自己了的感觉。
――それはどこで区切るんですか? まだ変化していくかもしれないわけじゃないですか。
「完成形みたいなものは、なんとなく分かるんですよね。でも、それって自分が完成したと思ってるだけで、完成してないんじゃないか?みたいな気持ちもあったりして」
——那是从哪里开始有区别的呢?也许还会变化吧?
可能是知道它被完成的时候吧。不过,“虽然感觉完成了,会不会还有没有完善的部分?”会有这样的想法呢。
――たとえばマスタリングの日が1週間後だったら、違う曲になってる可能性も高い?
「そうですね。でも、“あと1週間あったらもっと良くなったのに”とか思うことも全然ないんですよ。ある地点までは、自分に対する疑いを持つことは大事だと思うんですけど、作り終えたときは、それが信じることに変わる。だから、未練みたいなものは不思議とないんです」
——比如说一周后就要开始母带处理了的话,有把曲子全部舍弃重做的可能吗?
我完全没有过“明明再给我一周的时间就能做出更好的作品了”这样的感觉呢。虽然到某一个时间节点为止我会认为对自己抱有怀疑是很重要也很有帮助的,但当作品完成后,就会变得相信它了。所以说,留恋的东西或者说想要重做什么的意外地并没有呢。
「ソロを経て、カラフルな音像からシンプルな音像まで表現出来たことによって、
より時雨で出すべき音像だったり、3人でしか出せない音を意識するようになりました」
在个人活动中经历了从绚丽到简朴的音乐表现后,我变得更想要创作出有着时雨风格的、只有三人一起才能演奏出的旋律。
――今回はミックスをいろんな人とやってますよね。
「シングル(〈abnormalize〉)のタイミングで高山(徹)さんにやっていただいたんですけど、いろいろ気付かされることがあって。自分でミキシングをしてしまうと、足りない部分を何かで補ってしまうんですね。たとえばダビングだったり。そういう風に作ることも愉しみだったりするんですけど、そうじゃなくて、シンプルなデータを人に渡して、それを別の角度から見てもらいたい気持ちがあって。プロフェッショナルな人にお願いすることで、より3人の音が伝わるのであれば、それを聴いてみたいなと思って。それが軸となっていて、今回はイメージするエンジニアさんがいる楽曲に関してはお願いしてみようということになりました」
——这一次的混音请到了很多人来做呢。
这次请到了高山彻为单曲《abnormalize》做混音,这让我认识到了很多东西。当我自己做混音的时候,我会用一些东西来弥补空缺的部分,比如说配音之类的。虽然这样做也是很愉快的,但也有想要把半成品交给别人加工,看看从别的角度来演绎是什么样的感觉的时候。因为拜托了专业人士,可能比起我们自己更能让听众有“想要听听看呢”的感觉。以这样的愿望为理由,我们拜托了这些制作人。
――ご自身ですべてを完結させたいタイプだと思ってたんです。
「意外とそうでもないというか」
——我以为您是想要所有的步骤都由自己亲手完成的类型呢。
意外地并不是呢。
――みたいですね(笑)。
「自分にしか出来ない音像と、人にしか作れないものと、どちらにも興味があったりするので。本来はバンドにいるメンバーが録音して、自分でミキシングするっていうのは、いちばんピュアな状態だと思っていて。でも、それによって見えなくなってしまう部分もあると思うので、人に託すことによって、自分が出せる時雨の音像と、自分が見失ってる時雨の音像を確認するような感覚もあります」
——因为很像那样的类型呢(笑)
只有自己才能做出的作品和只有别人才能做出的作品,不管哪个都很感兴趣呢。通常的分配是乐团成员录音我混音,但那样的话就可能会有无法看到的部分了。所以把它交给别人,有着去确认不同于时雨的部分和自己忽视了的部分的感觉。
――TKさんが作るサウンドって得体のしれないパワーみたいなものを感じるんですけど、他の方がやった曲も、これはこれで今までになかった新鮮な音だと思いました。
「僕のミックスはすごい圧で3人の音が迫ってくるようなイメージで、それは時雨としてすごく自然な形で、狂気的に鳴ってると思うんですけど、それじゃちょっと分かりづらいと思っちゃう人もいると思うんです。逆に分離がいい音を物足りなく感じる人も結構いると思うんですね。僕も人にお願いして最初のミックスが来たときに、これだけ分離がよくなって見えるものがありすぎると、本質が分からなくなっちゃうかもしれないなと感じることもあって。それを自分の方向に寄せていく作業が面白かったですね。エンジニアさんからしたら、自分でやったほうがいいじゃんって感じる場面もあったかもしれないですけど。でも、エンジニアさんが作った解釈を自分に寄せていくプロセスっていうのは、僕がプロの方に寄せていくのとは全然違うものになるので、すごく新鮮だった。出来るだけ怯まずに、エンジニアさんを通して自分たちの音を作るんだっていう意識を持って臨んだところはありました」
——您创作的音乐充斥着冲击性的力量感呢,感觉有种至今为止都未在别的歌曲里听到过的新鲜感。
我的混音像是把三人的部分一股脑地进行混合,这作为时雨来说是很自然的感觉,但这种像是歇斯底里的演奏,或许会有人不是很能共鸣吧。但也有人会觉得如果人声和伴奏的分离过于明显的话就不够尽兴了。当我请人做第一次混音时,我有时会觉得,若是分离到这种地步的话歌曲的空白就太多了,听的时候可能会比较在意。将其再加工成预期的效果我觉得是很有趣的工作。给制作人做的时候也会想着,会不会自己来的话会更好呢?但是制作人把诠释的想法解释给我听,和我给制作人提要求这两个过程是完全不一样的,所以非常新鲜。常常是想要尝试这种新鲜,抱着希望通过制作人来处理我们的声音的想法。
――前作は、吐息でリズムを取ったり、鍵盤を入れたりした曲があったじゃないですか。端的に言うと多彩なことをやっていたと思うんですけど、今回、すごく3ピースを感じる音になってますよね。
「ソロを経て、カラフルな音像からシンプルな音像まで表現出来たことによって、より時雨で出すべき音像だったり、3人でしか出せない音を意識するようになりました。ソロは、ミュージシャンの数もそうですし、いろんな枠を取り外した状態で表現したいことを出来るので、なんでも出来るんですよね。弦やピアノが入っていたり。だから今回は3人でやる理由と強みを究極まで突き詰めないといけないなと思いました。この3人でやる意味を強く感じたかったので、そこに対する挑戦でもあったんです。“やっぱり、2人の演奏はカッコいいな”って興奮出来るようなところまで持っていくのも自分の役目でありたいと思ったので、自分へのプレッシャーも凄かったですね。345と中野君は、本人たちが思ってる以上に魅力的なものを持ってると思うんで、それを引き出す作業っていうのは意識しました」
——在上一个作品中不是有利用呼吸声作为节奏或者加入键盘乐器的曲子吗?这些元素的加入能明显地让人感受到曲子的丰富呢,而这次则是非常有三人乐队的感觉。
在个人活动中经历了从绚丽到简朴的音乐表现后,我变得更想要创作出有着时雨风格的、只有三人一起才能演奏出的旋律。个人活动——可能对于大部分的音乐家都是这样——正是因为能以无视条框的状态自由地创作才能够创作出好的作品。这次的歌曲里还加入了弦乐和钢琴,这就是这次我觉得必须发挥我们三人一起演奏的优势的理由。“果然我们的演奏也很厉害啊”我认为我有着让他们产生这种兴奋情绪的职责,这其实对我也是很有压力的。我认为345和中野的魅力比他们想象的要大,所以我有意识地要把他们的魅力发挥出来。
*三人乐队是流行音乐,主要是摇滚乐中由三个成员组成的一种乐队形式。在狭义上,该术语通常指所有成员都演奏三种不同乐器的乐队,特别是在摇滚乐队中,每个成员都演奏吉他、贝斯和鼓,其中一个或多个成员还唱着歌。另一方面,也有一些不规则的三人组合,如 "键盘、贝斯和鼓 "或 "吉他、吉他和鼓"。
――アレンジは3人で詰めていくんですか?
「3人で詰めるっていうのはあまりないですね。今回も僕がほとんど録りをやってるんですね。録りをやってるのは結構大きいかもしれないです。録ってる中でのディスカッションを通じて、フレーズや曲がどんどん変わっていくので。別の人が録るときは、決まった曲を録るときしかやらないので、そこにおけるミラクルみたいなものはあまりないんですけど、自分が録るときは、“これも録っといていい?”とか“3拍子にしてみよう”とか、無限の可能性があるので。今回、ミックスは人に頼んでも、録りはあまりお願いしなかったっていうのは、そこが影響してるんです。データを渡すときも、僕が1回ミックスして、エフェクトのトラックも含めて渡してるので」
——编曲是三人一起完成的吗?
很少有一起编曲的时候呢,这次也几乎都是我在录音。录音的时间可能还挺长的,因为在录音的过程中我们会讨论,词曲也可能逐渐变化。别人录音的话可能是按着已经写好的去进行,不太会遇到我们这样神奇的经历,而我们在录的时候,“这个也录进去可以吗?”“这里试着做成三拍的吧”有着无限的可能性。这次虽然拜托了别人来混音,但录音还是我们自己来做的,原因就是这个。交接数据的时候我也会先混音一次,然后把处理效果的音轨也一并发过去。
――こういうイメージでっていう。
「はい。なので、今回のアルバムも人に頼んだことによって何かが失われてしまったという感覚がないんです。いかにも人に頼みましたって感じでガラっと変わってしまうと違うなと思っていたので。自分が録りをやって、データを渡すところまでちゃんとやってるっていうのも結構、大きいかもしれない」
——是这样的感觉呢。
是的。因此从结果上来看,这次专辑并没有因为有拜托别人而损失了什么的感觉。若是录音都由别人来完成的话可能感觉就变了呢。一直到录完音、把数据发过去之前都在努力着,大都是这样的情况呢。
――2人の魅力を引き出すっていうところで、時間もかかりそうですね。
「かなりかかりますね。だから、2人も“そんなことするの?”っていうことの連続だったりするんですよね(笑)。完成したときに、“TKがやりたかったのはこういうことなんだ”って初めて分かるようなイメージの描き方だったりするので。ドラムだけ録ってるときなんか、“何がやりたいんだ?”って感じだと思うんですよ」
——想要把二人的魅力发挥出来,感觉还要再花费一段时间呢。
确实要花很多时间呢。两人也总是问着“要做那样的事吗?”(笑)。完成的时候,“原来TK想要呈现的是这种效果啊”然后开始理解。只有录鼓的时候,会出现有想要自己发挥的部分。
――先が見えなすぎですよね(笑)。
「3人いる状態で僕が曲を作るときも、こういうフレーズが欲しいって中野くんに叩いてもらって、それを1回録音して、それにベースとギターをフレーズを変えながら重ねていく。だからレコーディングと曲作りがすごく密接に関係してるんです」
——感觉前途渺茫啊(笑)。
三人一起的时候有一次我作曲时,中野说想要这样的乐段,于是录了一次,然后贝斯和吉他随之一边改变乐段一边重叠。所以录音和作曲有非常密切的关系。
「不思議なトライアングルだと思うんですよね。
3人で一緒に曲を作ることが一番、凛として時雨から離れるっていう(笑)」
感觉是很神奇的三角,三人一起作曲的时候,反而离时雨风格最远呢(笑)
――今回のアルバムは歌メロがいつも以上にメロディ然としてるなと思いました。
「もともとJ-POPを聴いて育ってきているので、自分が作るものはポップでありたいっていう意識が強くあって。ヴォーカルのヴォリュームもそうですけど、歌に対する意識は、今までに比べると言葉も含めてちょっと変わってるかもしれないですね」
——觉得这张专辑的歌曲比以往的更有旋律感呢。
因为本来就是听J-POP长大的,所以想要做出流行感的意识很强。声音的音量调整也一样;和以前相比的话,写歌的意识和对歌词的选择,可能都产生了变化。
――なんでだと思いますか。
「今まであったフィルターを通さなくても、自分を出せるようになったのかもしれない。何か伝えたいことがあったとしても、尖ったもので隠してた部分もあったんですけど、それって結局、尖った部分しか見えなくなっちゃうんで(笑)」
——您觉得是什么原因产生了这些变化呢?
也许是因为现在不需要通过使用至今的滤波器,也能表现出想要表达的了。以前的话即使有想传达的东西,也有着用泛音来隐藏的处理,不过结果上来说好像变得只能听到泛音了(笑)。
*滤波器(Filter)是指只让声音通过设定的频带的效果器。
*(泛音这个翻译是基于自己的理解,并不一定对,原意指频率很高的声音)泛音是指在演奏一个音符时产生共鸣或伴随而来的声音;其频率是2的整数倍或以上。一个频率为1倍的声音成分,即被认为是音符的音高,称为基音。
――そこばっかり目立っちゃうみたいな。
「意識的にフィルターを取ったわけではないですけど、歌とか歌詞を作りながらオケを作っていったのも大きかったかもしれないです。1回オケを作って、そこに歌をはめてしまうと、どうしてもサウンドのトゲのイメージが自分の中にも植えつけられてしまうので。そこに意味のある言葉を投げかけるのってあまり好きじゃないんですよね。スピード感が落ちてしまう感じがして。でも、今回はAっていうセクションを作ったとしたら、そこにまず歌を入れてみてっていう感じで作ったりもしました」
——好像只有泛音很显眼呢。
虽然不是有意识地不再去使用滤波器,但在写歌和歌词的过程中,人声也起到了很大作用。录了音,然后把人声加进去的话,无论如何自己都会产生“声音很刺耳”的感觉。我不太喜欢把有意义的语言放在那样的位置,有一种落差感。但是这次是先把人声放进去再加伴奏的感觉。
――ちょっとずつ音と歌を作っていくのって、大変じゃないですか?
「僕はセッションで作っていく方が大変なんです。今回は最初、セッションで作っていこうとしてたんです。勢いで作ってみようと。今までセッションで曲を作るということに対して、自分から逃げていたところもあって。曲作りにおいては、完全にひとりでやってるという感覚でいるので、それを3人にすることによって、自分が作りたいものの純度が薄まってしまうんじゃないかと。言い逃れが出来るような感じもしちゃったんです」
——一点点地制作音乐的话,不会很辛苦吗?
对我来说,在演奏中创作是很辛苦的。这次最初就是在演奏中创作的。想试着能不能一鼓作气写出来。至今有着想要避免在演奏中创作曲子的情况。因为这样的话就感觉完全是一个人在做,三人一起的话,逃避的想法会不会就变少了呢。而且也有了能推脱的感觉呢。
――みんなで作ったものだし、って。
「それはそれで3人の色が出るのかもしれないですけど。で、試しにセッションをやってみたんですけど全然良くなくて(笑)。やっぱり凛として時雨というバンドは、2人の魅力をいかに僕の楽曲で引き出すことによって出来てるんだなということが改めて分かりました。僕が何も見えていない状態で3人でスタジオに入っても本当に時間が過ぎていくだけなので(笑)」
——因为是大家一起做的嘛。
而且可能就能表现出三个人的风格了。但是试着演奏了,效果却完全不好(笑)。再次明白了时雨乐队是怎样通过我的乐曲引出两人的魅力的。如果在我毫无灵感的情况下,我们三人进入录音室,时间就真的只会白白浪费(笑)。
――演奏が上手いから、ある程度は形になるんでしょうけど。
「そう、“ある程度”なんですよ(笑)。そこはあの2人も感じてると思うんです。“俺たちにも曲を作らせてほしい”とか、そういうこともないですし」
——因为演奏得好,所以某种程度上很像样呢。
对,是“某种程度上”呢(笑)。这一点我想那两人也能感觉到。“我们希望你能让我们来写歌。”什么的倒是没有呢。
――そうなんですね!
「普通、僕がこれだけ全部を作ってたら、メンバーから不満みたいなものが生まれてくると思うんです。その感覚がまずないですし。あの2人はその領域には踏み込まない」
——是这样啊。
一般来说,如果我包揽了所有事情,成员们肯定会产生不满。但首先他们并未产生那种感觉。他们两人不会踏入那样的领域。
――345さんと中野さんとは、いつぐらいから今みたいな形で制作のコンセンサスを取るようになったんですか。
「最初からそうですね」
——345和中野大概是从什么时候开始以现在的形式达成制作分配的呢?
一开始就是这样的呢。
――それは驚きました。
「ドラムを募集するときにも、すでにデモがあったので。345に関してはベースを始めるところから僕が教えてたりしたので」
——这还挺让人吃惊的。
招募鼓手的时候就已经有雏形了。345则是她转变成贝斯手时开始教她的。
――2人は、ミュージシャンとしてのエゴみたいなものを演奏そのもので昇華してるのかもしれないですね。
「そうですね。そこも含めて僕が提示してなきゃいけないっていうのはあります。“本当はこういうのをやりたいのに”とか思われないようなものを。デモを渡す段階で“この通りに叩かなくていいよ”とは言うんですよ。でも、〈abnormalize〉とか、本当にデモそのままですから」
——那两人,作为音乐家的自我那样的东西,也在演奏之中强化着吧。
是啊。我必须提示的东西也包括那个在内,比如不需要忍耐“按我的想法的话明明用另一种方式演奏会更好”这样的想法,在给出demo的时候就会告诉他们“不完全照这个样子演奏也可以哦”。但是,abnormalize这首歌,真的就像demo那样。
――(笑)。
「“TKが作ってくるフレーズはカッコいいから”って言ってくれて。ソロに参加してくれたBOBO(ds)とか、ひなっち(日向秀和 / b)は結構、自分なりにフレーズを変えてくるタイプなんですよ。でも、あの2人は僕のフレーズを忠実に再現してくれるんですよね」
——(笑)。
被告知了“因为TK写出的旋律很帅气呢”。参加solo的BOBO和日向秀和都是非常喜欢临场改调的类型,但那两个人也忠实地再现了我的音乐。
――ある意味、とてもプロ的ですよね。監督とプレイヤーの関係。
「徹してるというか。常に受け入れられる態勢にあるっていうのが、結果として凛として時雨という3人の音になるという。不思議なトライアングルだと思うんですよね。3人で一緒に曲を作ることが一番、凛として時雨から離れるっていう(笑)」
——从某种意义上来说非常专业呢,这种指导的关系。
可以说是很细致了。大家都在自己的职责上努力着,最终造就了我们三人现在的演奏。感觉是很神奇的三角;三人一起作曲的时候,反而离时雨风格最远呢(笑)。

「凛として時雨というものを壊したくないと思ってるのは誰よりも自分だと思うし、
その裏返しで自分自身を苦しめてるところはあるのかもしれませんね」
我觉得最不想破坏时雨风格的是我自己;也许正因为如此,自己也会感到痛苦。
――すごく素朴なことを伺ってもいいですか? 10年間、なんで続けてこられたんだと思いますか?
「自分に対して満足出来てないからでしょうね。日々の中で、次はどんな曲を書こうかなとか、次はどんな作品にしようとか、楽しみに出来る人間じゃないんですよ、僕は(笑)」
——能问个非常朴素的问题吗,您认为是什么促使你们坚持了10年的呢?
可能是因为对自己还不满意吧。每天都想着“下一首曲子怎么写呢,接下来做什么样的作品呢”的话,我并不是能从这之中找到乐趣的人呢(笑)。
――そうみたいですね(笑)。
「極限まで息を止めていて、最後の最後に息を吸うような感じで、なんとか作品を産み落としてるみたいな。首を絞めてるのも自分なんですけど(笑)。そんな感じの10年でしたね。アルバムを作り終えたあとに“次、こんなアルバム作りたいんですよ”って言ってる人とかほんと凄いなと思います」
——好像是这样的呢(笑)。
体会憋气到极限,在最后的关头吸气的感觉,写歌时大概就是这样。虽然勒紧脖子的也是自己呢(笑)。10年来都是这样的感觉。在制作完专辑之后说“下次我想制作那样的专辑”的人真的很厉害。
――教えてくれよって(笑)。
「はい(笑)。これは変な意味じゃないですけど、いつ終わるか分らないっていう儚さは僕自身も感じてますし、独特な危うさみたいなものが曲から出てるような気がするんです。でも、そういう形でしか時雨の作品を産み落とせないんですよ。ソロではそういう危うさがあまりない気がするんです。たぶん凛として時雨に取り組んでる自分の精神状態が異常なんでしょうね(笑)。凛として時雨というものを壊したくないと思ってるのは誰よりも自分だと思うし、その裏返しで自分自身を苦しめてるところはあるのかもしれませんね。だから作品を作ることも、ライヴをやることも、楽しいっていう感情だけでは出来ないんですよね。凛として時雨は、自分が表現したいものをちゃんと表現出来てるかということを何度も確認するような精神状態でライヴをやってるので。終わって解放された瞬間はすごく気持ちがいいんですけど、その他の部分はすごく苦しいというか。凛として時雨に対する自分の中でのハードルって、すごく高いんですよ」
——能具体说说吗?
好的(笑)。虽然这也并不算是很奇怪,但在乐团里我有种“不知何时才能结束”的空虚感,感觉会在歌曲中体现出那种不妙的东西。但是,只有以那样的形式才能创作出时雨式的作品。感觉个人活动的话就不会发生了。大概一直专注于乐团,自己精神上也异常了(笑)。我觉得最不想破坏时雨风格的是我自己;也许正因为如此,自己也会感到痛苦。所以创作作品也好,开演唱会也好,光靠快乐的情绪是做不到的。我们乐团是在无数次确定着“能否完美地表达出想要表达的东西呢”这样的状态下去进行live的。在最终结束的瞬间会如释重负,但那之外的部分则很是痛苦。因此在我看来在乐团反而难度会更高一些。
――高すぎですよね(笑)。常にそういうアンバランスな感情を抱えながら活動を続けてきたわけですね。
「そうです。でも、自分に対するフラストレーションみたいなものがソロで結構抜けた感じはありましたけどね。これ以上バンドを続けられないからソロをやるっていう精神状態ではなかったんですけど、たまたま中野君が足を故障してしまったり、そういうタイミングでソロを作ることになって。結果的に、自分が枠の中で苦しんでいたのが分かったっていうのはありますね」
——难度不会太高了吗(笑),一直抱着这种不平衡的感情活动着。
是啊,不过感觉对自己未能满足的部分在个人活动中得到了缓解。但倒也并没有“那就不再玩乐团了,我去个人活动吧”这样的想法,只是碰巧中野脚受伤了,就在那样的时期进行了个人活动。从结果上看,明白了自己被单人思维限制的痛苦。
――俯瞰で見られたと。あと、作品の受け取られ方も考えているじゃないですか。ファンの方の反応も気になったりしますか?
「うーん、ファンの反応よりは2人の反応の方が気になりますね。さっきも話に挙がりましたけど、アルバムが完成した時点で自分の役割は終わっちゃうので。どうアウトプットするかに異常に執着するんですよ。だから、それがどうインプットされるかというところにはあまり意識が行かないというか。出来上がったら手から離れてしまうので、そこから先はみんなの作品になればいいかなと思ったりしますし。それよりは、あの2人にカッコつけたいという気持ちのほうが強いですね(笑)」
——很客观的想法呢。此外,您不是也在考虑作品的受众面吗?也会在意粉丝们的反应吗?
比起粉丝的反应更在意他们两人的反应呢。刚才也提到了,专辑完成的时候自己的职责就结束了,而且我异常执着于表达的部分,因此并不在意那些灵感是怎么来的。因为写完之后就不管了,所以我觉得那就成为大家的作品就好了。比起那个,想要在两人面前耍帅的心情更强烈呢(笑)
――なるほど(笑)。実際、完成形を聴いてもらって、どんな反応が返ってきましたか?
「あの2人が良くないと言うようなものをそもそも持っていかないので、“今回も凄いね!”ってすごく喜んでくれて」
——原来如此呢(笑)。他们听了最终成品之后有怎样的反应呢?
该说那两人并不会说不好呢,“这次也很厉害!”会这样很开心地说。
――それはよかったです(笑)。
「よかったです(笑)。プレイヤーに徹してくれてる以上、それを飲み込むような楽曲を僕は提示しなきゃいけないと思っているので。“この曲を弾きたい!”とあの2人に思わせる義務が自分にはあると思うんです」
——那太好了(笑)。
太好了呢(笑)。因为我认为既然为演奏者做了万全的准备,我就必须要交出能使其入迷的乐曲。我觉得自己有让那两人觉得“我想要演奏这首曲子!”的义务呢。
――常に“弾きたい”と思わせるフレーズを提示し続けた10年。
「変な言い方かもしれませんが、2人には常に僕の楽曲の1番のファンでいて欲しいんですよね」
——10年里一直在写着让人“想要弹奏”的旋律呢。
虽然这么说可能有点奇怪,但我希望他们两人永远是我乐曲的头号粉丝。
――お2人も自分のポテンシャル以上のものが見れたら、それは単純に嬉しいですもんね。
「ライヴは大変ですけどね(笑)」
——那两位如果能看到超出自己潜力的部分,也会感到高兴呢。
虽然开演唱会很辛苦呢(笑)。
――そっちですよね(笑)。ライヴも予定がありますね。
「そうですね。徐々に準備して」
——那方面也有呢(笑),也还有live的打算。
是的,在准备着了。
――とりあえずは6月28日の武道館まで。
「頑張ります」
——是6月28日的武道馆呢。
我们会努力的。