天声人语Vol.4 写在给供养节
供養の日に
写在给供养节
ダルマや羽子板、ひな人形、ぬいぐるみ……。新潟県燕市の国上寺(こくじょうじ)に「供養してほしい」と持ち込まれた品々である。思い出がありすぎて捨てるに捨てられない品々を預かり、読経をして火にくべる。
达摩不倒翁、键球板、女儿节人偶、布偶,人们带去新潟县燕市国上寺希望供养的物品五花八门。主人们将这些满载回忆但又舍不得丢弃的东西托付给寺院,寺院的僧人经过诵经后再将这些东西进行焚烧。
春1回だった供養祭を、おととしからは秋にも開く。持ち込まれる品数が膨らんだからだ。「単なる廃棄では気持ちの整理がつかない。ぜひ供養を、というご要望が増えています」と住職の山田光哲(こうてつ)さん(55)は話す。
原本供养节是每天春天举办一次,不过由于人们带去供养的物品越来越多,从前年起该节也于秋天举办。住持山田光哲说道,“单纯将东西扔了总有些接受不了,因此越来越多人希望供养给寺院。”
寺が4年前に始めたのは「炎上供養」だ。SNSやネットの掲示板に批判や中傷の書き込みが殺到し、心に傷を負った人たちに救いを提供するのが狙い。問題となった投稿を寺の公式サイトに送ると、寺はそれを紙に印刷し、撫木(なでぎ)と呼ばれる木の札に巻きつけてたき上げる。
该寺院于4年前开始了名为“网暴供养”的业务。目的是为那些因社交平台和网站评论区的大量恶评和诋毁而心灵受伤的人们提供帮助。客户只要将网暴内容发给寺院官网,寺院便会打印至纸上,然后卷到一个叫“抚木”的木牌上进行焚烧。
昔なら井戸端会議の陰口で終わったはずのものが、いまはネット空間で一気に拡散する。「現代版の災難です。救済するのは仏教の大義じゃないかと思い立ちました」。これまでに約500件を無料で供養した。依頼主には若い人が多い。
放从前,无非就是扯闲篇的时候说说人家坏话而已,但如今在网上对他人施暴会迅速传播。住持说道,“这是现代版的灾难。我认为对受害者提供心灵的救助正是佛教的大义。”截至目前,国上寺已经免费处理了约500起“网暴供养”,委托方以年轻人居多。
本紙地域面に載った供養の対象には、名刺や写真、犬型ロボット、入れ歯にパチンコ台もあった。かつては家族や恩人らを見送るための儀礼だったものが、やがて対象に縫い針や人形が加わり、さらにはペットや身近な品々へ。気がつけば自分がスマホで発信した情報まで供養する時代になっていた。
本报地区版报道的供养物品各式各样,有名片、照片、机器狗、假牙,甚至还有弹珠台。过去供养本为送别家人或恩人的一种仪式,后来缝衣针和人偶也成了供养对象,再后来发展到了宠物和其他近旁的物品。不知不觉中,如今这个时代竟然连自已用智能手机发出了信息都能供养。
きょうは供(9)養(4)の日だとか。いまから100年後、200年後の人々はいったい何を供養するのだろう。
今天是供养节(与94谐音)。100年、200年后的人们会供养些什么呢?