【日本小4道德】32#花丸手账~游泳·池江璃花子选手
花丸手帳~水泳·池江璃花子選手
(花丸手账~游泳·池江璃花子选手)
プールを取り囲む、沢山の人。一緒に練習してきたコーチがいます。家族や高校の同級生がいます。大会を運営する関係者がいます。テレビ局の人がカメラを向けています。一旦レースが始まれば、大きな応援の声が続きます。泳いでいる時、音はあまり聞こえないけれど、と池江璃花子選手は言います。
(众多人围绕在泳池边。一起练习至今的教练。家人和高中的同级生。运营大会的关系者。电视局的人将相机对着泳池。一旦比赛开始,大声的声援响个不停。游泳的时候,虽然听不大清声音,池江璃花子选手说道。)
「息継ぎで顔を上げた時、凄い声援が聞こえたんです。ライバルを応援する声も混じっていました。でもその時は、全部を自分のものにしようと思いました。皆がこんなに応援してくれているのだから、体は苦しくても負けない。」
(“抬头换气的时候,听到了很响的声援。还混杂着应援对手的声音。但那时全部当成在声援我自己。大家如此为我应援,就算身体再痛苦,也不能输。”)
こうして、池江選手はレースに勝ち、二〇一六年に行われたリオデジャネイロ·オリンピックの代表になりました。
(池江选手就这样赢得比赛,成为了2016年举办的里约奥运会的代表。)
池江選手が水泳を始めたのは、三才の時。お姉さんとお兄さんが習っているのを見て「私もやりたい。」と言った池江選手は、二人を追いかけるように、めきめき力をつけていきます。池江選手にとって、水泳は何よりも大事なものになりました。
(池江选手是在三岁开始游泳的。池江选手看着姐姐和哥哥在练习,说道:“我也想游。”然后为了追上两人,快速进步。对于池江选手而言,游泳变得比任何事都重要。)
小学校三年生でジュニアオリンピック大会に出場し、全国三位の成績を収めます。しかしこの後、八か月の間全く記録が伸びない、苦しい時期がやって来ました。まるでトンネルの中にいるような日々でしたが、「深く悩まない、とにかく練習。」と自分にい言い聞かせました。池江選手は後になってから、この時のことを、「悪い方にばかり考えているとタイムも伸びないし、周りの人にも伝わってしまう。ものごとを、出来るだけ良い方に考えるようにしました。」と振り返っています。
(小学三年级时她在青奥会上出场,取得了全国第三的成绩。然而这之后的八个月间没有提升记录,是一段痛苦的时期。虽然每日都仿佛在隧道中一样,但她告诉自己“别太烦恼,总之练习。”池江选手之后回顾这段时期的事道:“总是往坏的方面考虑,时间也进步不了,还会影响周围人。于是尽可能将事物朝好的方面考虑。”)
緊張したりあれこれ考えすぎたりすると、体は固くなります。すると、水泳では前へ進めなくなってしまいます。気持ちを切りかえる大切さに気づいたことは、その後の池江選手の大きな強みになりました。
(紧张或是各种事考虑得太多了的话,身体会僵硬。游泳就无法前进。池江选手注意到了转换心情的重要性,成为了她此后的很大的优点。)
四年生の時、池江選手は学校が終わってから、一日に約三千メートルを泳いでいました。これは五十メートルプールを三十回、往復する距離です。練習を終えると、とても疲れます。でもどれだけ眠くても、勉強は毎日するというのがお母さんとの約束でした。学校の宿題は練習の前に済ませたり、登校前の朝の時間を使ったりと、色々な工夫をしました。
(四年级的时候,池江选手放学后,每天要游三千米左右。这是五十米泳池来回游三十次的距离。练习结束后,非常疲惫。但是就算再困,每天都要学习是她跟母亲之间的约定。她在练习之前完成学校的作业,或是利用每天早上上学前的时间写作业,下了各种功夫。)
このような厳しい生活を何年間も続けて、池江選手の水泳の成績は、中学三年生で大きく伸びました。四月に五十メートル·バタフライで日本チャンピオンになったのを初め、大きな大会で、良い結果が続きます。十月の大会では、百メートル·バタフライで、ついに日本新記録。その後の大会でも、百メートルと五十メートルのクロールで日本新記録。池江選手は中学生にして、三種目で日本記録を持つ選手となりました。
(如此这样艰苦的生活持续了多年,池江选手的游泳成绩在中学三年级时有了很大的提升。以四月的五十米蝶泳获得日本冠军开始,她在大会上持续取得好成绩。十月的大会上,她终于创造了日本百米蝶泳的新记录。此后的大会,她也在百米和五十米的自由泳上创造了日本新记录。池江选手虽是中学生,但在三个项目上持有日本记录。)
こうした中で、池江選手は、「二〇二〇年の東京オリンピック·メダリストになる」と言う、はっきりとした目標を持つようになります。中学校の卒業文集にも、こう書きました。
「毎日学校で、皆と、もっとわいわいしたかった。だけど、世界チャンピオンになるため、水泳の練習に励みました。」
(就这样,池江选手有了“成为2020年东京奥运会的奖章获得者”的明确目标。她在中学的毕业文集上也这样写道:“想和大家一起每天在学校吵吵闹闹。但是,为了成为世界冠军,努力练习了游泳。”)
そして、リオデジャネイロ·オリンピック。池江選手は東京オリンピックに向けて、沢山の経験を積みたいと考え、日本選手で最も多い七つの種目に出場しました。まずは予選を勝ち抜いて、決勝に出ることが目標だった池江選手。ところが、百メートル·バタフライでは五位に入ったのです。目標を、大きく超える活躍でした。
(然后是里约奥运会。池江选手以东京奥运会为目标,想要积累很多经验,于是参加了七个项目,是日本选手中参加项目最多的选手。池江选手的目标是首先在预选赛中胜出,然后参加决赛。然而,她在百米蝶泳中取得了第五名。大大超出了目标地活跃着。)
オリンピックで手応えを感じた池江選手は、あと少しのところでメダルに届かなかったことを、とても悔しく思うこともありました。しかし、気持ちを次第に切りかえて、次の練習、次のレースへと繋げていくのです。
(在奥运会上很有干劲的池江选手,对于还差一点没能获奖的事也感到非常不甘。然而,她渐渐转换心情,继续下一次的练习、下一次的比赛。)
毎年一月、池江選手は、その年に出場するレースとそれぞれの目標タイムを、手帳に書き込みます。達成出来れば花丸をつける、小さい頃からの習慣です。
(每年一月,池江选手将这年出场的比赛以及比赛的目标时间写进手账。达成后画上花丸,是她从小养成的习惯。)
「目標は、高く。でもその目標は、手の届く小さな目標を一つ一つクリアしながら、いつでも前を見て、階段を上るように目指していくものだと思っています。」
(“目标要高。但是这目标要一边将触手可及的小目标一点一点地完成,一边总是看向前方,像爬楼梯一样,朝着目标渐渐前进。”)
東京オリンピックと、更にその先を見つめながら、池江選手の挑戦は続いています。
(池江选手朝着东京奥运会以及更前方的目标,持续着挑战。)


