【中日字】2013Myojo北山宏光万字采访「当我还是Jr.的时候」
悔しい気持ちの宝物。
いっぱいあるから、上をめざせる。
不甘心的心情是一种财富。
因为充分体会了(不甘心),才能有更高的目标。
10000字长采访
『在我还是Jr.的时候』
Kis-My-Ft2篇
高校まではサッカーひと筋。
運動部の上下関係の中で育った少年が、
突然小さな子どもたちと同じスタートラインに立つことになった。
だからこそ、“CDデビュー最年長記録”には、いろんな想いがつまっている。
他一直踢足球踢到高中。
一个在田径部的等级制度下长大的男孩,
突然间,他就和小孩子们一起站在了同一起跑线上。
这就是为什么他对于”CD出道最年长记录“有许多感慨。
親が笑うのを見るのが好きだった少年時代
喜欢看父母的笑容的少年时期
──小さいころ、何が好きだった?
「無性に親が好きでしたね。写真を撮られるときとか、僕、ヘン顔ばっかして。お母さんが“本当にそんな顔になっちゃうよ”ってケラケラ笑うんです。それがうれしくて。親やまわりの人が笑ってるのを見るのが好きだった記憶があります」
——小的时候,你曾经喜欢什么?
「我不可抗拒地喜欢我的父母呢。 当他们给我拍照时,我总是会做一些有趣的表情。 我母亲会笑着对我说:"真的变成那样的表情了呢“。这让我特别开心。 我记得我喜欢看到我的父母和我周围的人笑。」
──かわいいね(笑)。
「よく女のコとまちがえられてもいましたしね。でもヤンチャでした。女子のスカートめくりとか、すごくしてましたし(笑)」
——很可爱呢(笑)。
「我经常被认成女孩子呢。以前很调皮。掀女孩子的裙子什么的,经常这么干(笑)。」
──目立つコだったんじゃない?
「目立ちたいって感覚はなかったんですけどね。シャイだったんで。でも、目立ってたのかも。何かものをひとつ作るにしても、オリジナリティーがないと納得できなくて。たとえば“折り紙で何々を折りなさい”って言われても、自分なりにアレンジしたり、ちがう色紙を使ったり、1カ所でいいから人とちがうものを作りたかったんです」
——曾经是不是一个很显眼的孩子?
「我并没有想让自己很显眼的意思呢。因为很腼腆。不过,说不定我其实挺显眼的。就算我做了一些东西,如果它没有什么独创性,我就不会满意。 例如“请用折纸折任意的物品”,我会自己来安排,用不同颜色的纸等等。就算只是一个地方也好,我也想做出与众不同的东西。」
──納得しないと進めないタイプだ。
「はい。小学校の授業なんか、自分がわかるまで、ずっと聞いてました。“先生、わかんない! わかんない!”って」
——你是没让自己满意就不会前进的类型呢。
「是的。小学的课程什么的,会一直听到自己听懂为止。会一直说”老师,我不明白!我不明白!“这样」
──小学校1年でサッカーを始めたよね。きっかけは?
「小学校に入るタイミングで引っ越したんです。それまで野球をやってたんですけど、引っ越したマンションに同い年くらいのコが4、5人いて。その中のひとりが、“サッカーやる”って言い出したら、“じゃあ、俺も”って、みんな始めて」
——你从小学一年级就开始踢足球。 你是如何开始的?
「我在开始上小学时搬到了一个新的地方。 在那之前我一直在打棒球,然后在我搬到的公寓里还有四五个和我同龄的孩子。 其中一个人说,“我要去踢足球”,然后我说,“那我一起去”,然后我们都开始(踢足球)了。」
──かなりうまかったんだよね。
「自分で言うのはなんですけどね。1週間かけてみんなが身につけるテクニックを、2日でできちゃうとか、よくありました」
——你很擅长(踢足球)吧。
「虽然我自己没有说过,但我曾经经常能够在两天内学会其他人花一个星期才能学会的技术。」
──キャプテンだったりした?
「う~ん、そういうタイプじゃなかったですね。試合になったらチームを引っ張るけど、あのころの僕は、練習でうまくできないコに、“がんばろう!”とか声をかけられなくて。自分はできちゃうから、なんて言ってあげればいいか、かける言葉がわからなかったんですよね」
——你做过队长之类的吗?
「嗯~我不是那种类型的人。 到了比赛时我会带领球队,但在那时,我没办法对那些在练习中表现不好的孩子说:“加油吧!”。 因为我可以做到,所以我不知道该对他们说什么,不知道怎么组织语言。」
──なるほど。中学生になっても、サッカー一色?
「はい。完全にサッカーが生活の中心でした」
——我明白了。 即使是作为一个初中生,你也都是在做关于足球的事情?
「是的。 足球完全是我生活的核心。」
──そのころの夢って?
「プロサッカー選手になりたかったですね。いつか、テレビゲームのサッカーゲームで、自分のキャラをコントロールしたかったです」
——你当时的梦想是什么?
「我想成为一名职业足球运动员呢。 有一天,我想在电视足球游戏中控制自己的角色。」
人をよろこばせたり、感動させる仕事がしてみたい
想要从事能够让人们快乐并被感动的工作
──堀越高校に進学してるよね?
「芸能人が通うコースがあることすら知らなかったんですけどね(笑)。堀越のサッカー部って、インターハイに何度も出てるくらい強くて。セレクションを受けて入学しました」
——你在堀越高中读书,对吗?
「我甚至不知道有一个针对艺人的课程(笑)。 堀越的足球队非常强大,他们已经多次参加了全国高等学校综合体育大会。我接受了筛选并被录取了。」
──芸能人がいるってことすら知らなかったんだ。
「入学式で野球部は坊主、サッカー部は短髪なのに、突然、金髪の新入生が入ってきて。“誰あれ!? 金髪っていいんだっけ?”って思ったら、それが山下(智久)だった」
——原来你不知道有艺人在啊。
「在入学仪式上,棒球队的人都剃了头,足球队的人都是短发,但是突然有一个金发的新生进来了。 我想着"那是谁!?金色头发是被允许的吗?" ,然后那个人是山下智久。」
──驚いたでしょ?
「うん。入学式が終わって、友だちの家でしゃべってたら、友だちの妹がファンで、“山Pいたでしょ!”って山下の話になって。僕が、“アイツすごいよね。中学のときから働いてるし”って言ってたら、“じゃあ受けてみればいいじゃん”って言われて、友だちの妹がジャニーズに履歴書を送ってくれたんです」
——你很惊讶吧?
「嗯。入学仪式结束后,正在朋友家聊天的时候,我朋友的妹妹是(山下智久的)粉丝,她说:"那是山P吧!" 然后我们就开始讨论山下了。 我说:"他很厉害,不是吗? 他从初中就开始工作了。"她说:"那你为什么不尝试申请呢?",然后我就从我朋友的妹妹那里拿到了杰尼斯的申请书」
──そんな経緯だったんだ。
「しばらくしてオーディションの通知が来て。1年の夏の終わりくらいかな。俺は、“え!?”って驚いたけど、サッカーがあるから行けないだろうなって。そしたら、その日が、なぜか練習が休みで。1年で360日は練習なのにですよ。なんか、運命に吸い込まれるような気がして」
——原来事情的经过是这样的啊。
「一段时间后,我收到了一份关于试镜的通知,可能是在我第一年夏天快结束的时候吧。 我当时很惊讶地想,"什么?" 然后我想着我应该去不了,因为我要踢足球。 然后,那一天不知道为什么不需要(足球)练习。明明我们一年360天都要练习的。 我感觉我被吸进了命运的漩涡中。」
──かなりの偶然だね。
「でも、すごく悩んだんです。監督とも相談して。じつはこういう経緯なんですけど、僕はサッカーと両立したいって伝えたら、“目標がふたつあるヤツはいらない”って」
——相当巧合啊。
「但是我非常烦恼。 我和导演讨论了这个问题。 我告诉他事情是这样的,并且说我想把足球和我的事业结合起来,他说“我不想要有两个目标的人。”」
──どちらか選ばなければいけない。
「すぐに結論は出せなくて…。オーディションだけは、練習が休みだから受けようって」
——你必须在两者之间做出选择。
「我没办法马上做出选择...。试镜只是因为我不练习所以才参加的」
──オーディションはどうだった?
「小学生や中学生、年下ばっかでしたね。面接のとき、社長に、“あと3つ若ければね”って言われました。ずっとサッカーやってたから、日焼けで真っ黒だったんで、“YOU、それ日サロ?”とも言われた(笑)」
——试镜如何?
「其他人都是小学生,初中生和更小的孩子呢。 面试时,社长对我说“如果你再年轻三岁就好了”。 我一直都在踢足球,所以我晒得很黑,然后他对我说"YOU,(这个肤色是因为)做了阳光沙龙吗?" (笑)。
──ハハハハハ。
「オーディションの最後に、“次、何日にレッスンがあるから来て”って…。サッカーかJr.か、決めきれなくてモヤモヤしてる期間が、しばらくありましたね。Jr.のレッスンは月イチで。全然踊れないから、サッカー部の朝練をして授業に出て、放課後の練習をして、みんなヘトヘトになって帰る中、僕は八王子まで行ってダンススクールで練習し、終電で帰ってました」
——哈哈哈哈哈。
「在试镜快结束时,我被告知:"下次,某天有课所以记得来上".....。 我曾经有过一段我无法决定我是想踢足球还是当Jr.的时间呢。 我根本不会跳舞,所以我必须和足球队一起做晨练,去上课,放学后练习,当其他人都筋疲力尽地回家时,我会去八王子的舞蹈学校练习,然后坐最后一趟电车回家。」
──そんなにがんばったんだ。最終的に、何が背中を押したの?
「長瀬(智也)くんが『ハンドク!!!』ってドラマをやってて、僕、あんまテレビ見ないんですけど、最終回だけ偶然見たんです。そうしたら、ホロッと泣けて。親に“芸能の仕事ってどうかな?”って相談したら、“あんたなんか、なれるわけないじゃん。やってみて、どうにもならなかったらどうするの?”って反対されて。親は両方教師で、“大学に行って公務員になりなさい”ってずっと言ってて」
——你一直很努力。最后是什么推了你一把?
「当时长濑(智也)君正在拍摄一部名为《ハンドク!!!》的电视剧,我虽然不怎么看电视,但我碰巧看到了最后一集。 然后我就哭了。 我就去问我的父母:"你们对从事演艺事业有什么看法?" 他们说"你这样怎么可能呢。尝试过后要是不行怎么办?"这样反对了我。 我的父母都是教师,他们一直告诉我“请去上大学,然后成为一名公务员”」
──でも、反対されても、あきらめられなかった?
「もう『ハンドク!!!』を見た感動が、抑え切れなくて。人をよろこばせたり、感動させたりする仕事がしてみたいって。反対されたけど、逆に“じゃあ、やってやるよ”って」
——但即使他们反对你,你也没有放弃?
「我无法抑制看到《ハンドク!!!》之后的感动。 我想做让人高兴和感动的工作。虽然他们反对了,但我反而想“啊,那我就试试吧”」
──サッカーに未練はなかった?
「きっぱりやめました。未練が残るのがイヤだから、今まで使ってたスパイクもボールも全部捨てて」
——你对足球有依恋吗?
「我干脆地放弃了它。 我不想留有任何遗憾,所以我扔掉了我一直使用的所有钉鞋和球。」
目の前に立ちはだかる、“この謎の壁はなんだ?”
矗立在我面前的,“这面神秘的墙是什么?”
──堀越には、山下くんだけじゃなく、同級生に長谷川純くんもいたよね。交流はあったの?
「ないですね。学年がいっしょでも、山下たちはJr.のいちばん先頭でマイク持ってる。自分は小さいコに混じっていちばん後ろのいちばんはじにいた。中学時代から活躍してたJr.が堀越に進学するんですよね。でも俺は芸能人のコースじゃないのに、レッスンに行くときは堀越の制服を着てくから、“誰、コイツ?”って目で見られて」
——在堀越,你的同学不仅有山下君,同年级的还有长谷川纯君吧。 你与他们有过交流吗?
「我们没有呢。 尽管我们是同一年级的学生,但山下他们会拿着话筒站在Jr.队伍的最前面。 一开始我和比我小的孩子混在一起站在最后面。 从初中就开始活动的Jr.们都去了堀越。 尽管我没有参加艺人课程,但我去上课时穿的是堀越的制服,所以他们会看着我说:"这家伙是谁?"」
──Jr.の同期は年下ばっかだよね。
「小さいコに、“おい北山。お菓子くれよ”とか言われるわけです。ちょっと目を離したらバッグに入れてたお菓子を食べられたり。まあ、それが二階堂(高嗣)だったりするんですけどね(笑)。俺は体育会系の年功序列の中でずっと育ってきたから納得いかなくて、いちどジャニーさんに、“年令と上下関係って関係あるんですか?”って聞いたら、“関係ないよ。YOUたちの自由だよ”って」
——Jr.的同期们都比你小呢。
「小的孩子会跟我说,"喂北山。给我一点零食。“ 只要我的眼睛离开他们片刻,他们就会吃掉我包里的零食。 嘛,有的时候会是是二阶堂(高嗣)呢(笑)。 我是在体育学校的资历制度下长大的,所以我不理解,有一次我问Johnny桑:"年龄和等级制度之间有关系吗?" 他说:"这不重要。这是YOU们的自由。"」
──なるほど。
「だから、Jr.に入って、俺が最初にやったのは、プライドを捨てることでした」
——原来如此。
「因此,当我加入Jr.时,我做的第一件事就是抛弃了我的自尊心。」
──ダンスの個人レッスンは続けてたの?
「続けましたね。悔しかったんで。“なんで、俺の体、こんな動かねーの?”みたいな。それに、やっぱり捨てたものが大きかったから」
——你有没有继续参加私人舞蹈课?
「我有坚持呢。 因为我觉得很不甘心。我会想"为什么我的身体不能像这样动起来呢?" 之类的。还有,毕竟因为我已经舍弃了很多东西。」
──捨てたもの?
「俺はちがう人生、ちがう夢をめざしてJr.の活動を始めた。でも、サッカーの仲間には、途中で夢を投げ出したヤツに映るわけです。“何やってんのアイツ?”って。だから、どんな形だろうとデビューして、ちがう生き方を選んだことがまちがってないことを証明したかったから。ただ何からがんばればいいのかもわからなくて、サッカーやってたんだから、体を動かすこと、まずはダンスをがんばろうって」
——舍弃的东西?
「我是因为不同的生活,不同的梦想觉醒了所以开始做Jr.的。 但在我踢足球的朋友眼中,我是一个放弃了自己的梦想的,半途而废的人。 "这家伙在做什么?" 之类的。 因此,我会想应该用哪种形式出道,来证明我选择不同的生活方式并没有错。 但我也不知道应该从哪里开始努力,所以我决定,既然我曾经踢过足球,也就是活动身体的事物,那我就先从舞蹈的方面开始努力。」
──得意なことからがんばったんだ。
「社長に、“YOU、バック転できないとヤバイよ”って言われたんで、母校の中学に行って、体育の先生に教えてもらったりもしましたね」
——从你擅长的事情开始努力啊。
「社长和我说,"如果YOU不会做后空翻就麻烦了",所以我去了我以前的初中,请了那里的体育老师教我呢。」
──そんなこともしたんだ。
「頼れる人が、ほかにいなかったから」
——原来是这样啊。
「因为我没有其他可以依靠的人。」
──努力の成果はあった?
「レッスン生は、A~Eの5つのグループがあったんです。1グループ7人か8人で。当時、Aに宮田(俊哉)がいて。俺は最初はEで。しばらくして、振りつけ師さんに、“踊れんじゃん”って言われて、ポンッとAのセンターに置かれたんです」
——你的努力有成果吗?
「有五组上课的学生,从A组到E组,每组有七、八个学生。 当时,宫田(俊哉)在A组,我起初在E组。过了一会儿,编导对我说,“你很会跳舞嘛”,然后突然安排我站了A组的C位。」
──認められたんだ。
「そこがスタートですね。Aグループになれて、初めてテレビ番組のいちばん後ろの列に呼ばれるから」
——被认可了呢。
「这就是开始呢。因为只有当你进入A组时,你才会被邀请到电视节目的最后一排。」
──最初の収録、おぼえてる?
「山下たちのユニットのFOUR TOPSのバックで『夏のかけら』を踊って。俺はいちばん後ろの端で、見切れてたって言ったほうがいいくらい。ほとんど柱に隠れる感じで」
——你还记得你第一次的收录吗?
「我在山下他们的组的FOUR TOPS背后当伴舞跳了『夏のかけら』。 我在最后面,可以说几乎是看不见我的。我都被柱子挡住了。」
──それから、少しずつステップアップしていった?
「もうがむしゃらだった。ただ、目の前に立ちはだかる、“この謎の壁はなんだ?”って思ってた」
——然后你又去逐渐加强了自己?
「我只是想要朝着目标前进。 但是会想矗立在我面前的,“这面神秘的墙是什么?”」
──謎の壁?
「俺はダンスをしゃかりきで踊ってるのに、ふにゃふにゃ踊ってるヤツが、俺よりいい位置で踊ってたりする。だから、いくらがんばってもいちばんになれないというか、前に進めないっていうか」
——神秘的墙?
「明明我在认真地跳舞,但是跳舞软趴趴的家伙却站在比我好的位置跳。所以就有了无论我多么努力都没办法成为第一,没有办法前进的感觉」
──それはつらいね。
「つらいというか、やるせなかった。自分が何をしたら評価されるのか、何を根拠にマイクを持たせてもらえるのかわからない。今ならわかるんです。生まれ持ったスター性って、それぞれちがう。人って平等じゃないし、恵まれた人はいる。俺は全然そういうんじゃないから。でも、そんなこと気づかなかったから、“アイツはマイク持てて、俺は持てない。この差は、なんなんだ”って、ずっと悔しかった」
——这很让人难受呢。
「比起说让人难受,倒不如说让人没有干劲了。我不知道我应该做什么才能得到评价,或者在什么基础上允许我拿着麦克风。 现在我明白了。每个人天生就有不同的明星气质。人之间是不平等的,有些人被上天眷顾着。我就不是被眷顾的人。但是因为我没有意识到这一点,所以我会想,"那家伙可以拿麦克风,我却不能。这之间究竟有什么差别“,非常不甘心。」
なんか落ちこぼれが集まったのかな
不知道为什么聚集了一群辍学者
──その後のJr.の活動は?
「何人かが社長に“YOUたちローラースケート履ける?”って言われて。俺、アイスホッケーもやってたから、“うまいね”って言われて、ローラー隊になったんですよね。NEWSでデビュー前の増田(貴久)とかもいて。その後、小さいコが高度なことはできないってことではずれて」
——后面作为Jr.的活动是?
「我们中的一些人被社长问到:"YOU们能不能穿轮滑鞋?" 我曾经打过冰球,被说“你很厉害”之后我们成为了一个轮滑队呢。队里包括了在作为NEWS出道之前的增田(贵久)。 后来,我被踢出去了,因为个子小的人没办法做很高的动作」
──横尾渉くん、藤ヶ谷太輔くんらと、Kis-My-Ft.として、いろんなグループのバックにつくようになったんだよね。そして、2005年、ついに…。
「社長に突然、“YOUたち、今日から新しいグループにするから。グループ名、なんだと思う?”って言われて。“メンバーは?”って聞いたら、千賀(健永)、宮田、玉森(裕太)、二階堂が加わるらしくて。グループ名なんて、当然わからなかった。そしたら、“ツーだよ。ツー!! Kis-My-Ft2だよ!”って」
——和横尾涉君,藤谷太辅君等人一起,开始以Kis-My-Ft的名义为各个团体做伴舞呢。 然后在2005年,终于...。
「社长突然对我说,“YOU们,今天要成为一个新的组合。你们认为这个组合会叫什么名字?" 我们问了"谁是成员?" 之后,他说千贺(健永),宫田,玉森(裕太),二阶堂会加入。 当然我不知道这个组合的名字。 然后他说:"是Two。Two!是Kis-My-Ft2!" 」
──合流したメンバーは、年令が若いよね。
「トニセン、カミセンみたいなパターンもあるのかなって。でも正直、このメンバー、どうなんだろうって思いましたね。なんせ俺の菓子をパクった二階堂がいましたから(笑)」
——加入的成员都很年轻呢。
「我觉得可能是一个像20Cen和CominCen(V6的哥组弟组)的模式。 但说实话,我会想这些成员是怎么回事。毕竟,有会抢走我的零食的二阶堂在(笑)」
──不安だった?
「集まったメンバーは、元からいたメンバーも含めて、NEWSだったりから漏れてるんです。だから、最初に感じたのは、“なんか落ちこぼれが集まったのかな”ってことで」
——你会不安吗?
「集合起来的成员,包括原来的成员,都是从NEWS和其他组合中出来的。 所以我最初的感觉是,“感觉辍学者集合在一起了啊”」
──なるほど。
「ただ、コイツらといっしょに輝かないと、絶対デビューできないとも思ったんですよね」
——原来如此。
「但我也觉得如果不和他们一起发光发热,就永远没办法出道了呢。」
──勝算はあった?
「ない(笑)。普通に考えたら、落ちこぼればっかなんだし。ただ、信じようと思った。俺は、タレントの伸びしろなんてわからない。誰がどうなるかなんて。ただ社長は、このメンバーに何かを感じたから組ませてくれたはずだから。現時点では、落ちこぼれかもしれない。でも、俺らの可能性を信じようって」
——你觉得有把握吗?
「没有(笑)。因为普通地想想,我们都是一群辍学者嘛。但是我决定相信他们。我不知道人才会成长到什么程度,也不知道他们会变成什么样。 社长就是因为感觉到了我们身上的某种特质所以才将我们组到一起的。目前我们可能只是一群辍学者,但他相信我们的潜力。」
──グループとして輝くために、何から始めようって思ったの?
「まず、全員でちゃんとローラーを履いて滑れるようになろうって。年令もいちばん上だし、このグループをどうにかするのは、俺なのかなって思って、リハが始まる前にみんなを集めて練習して。怖い振りつけ師さんに、“見てほしいんですけど”って電話したりしてましたね」
——你们为了让组合发光发热,决定开始做什么?
「首先,我们想要让全员都可以熟练地使用轮滑鞋。我是组合里年龄最大的,所以我想应该由我来照顾这个组合,我会在排练开始前把大家召集在一起进行练习。 还有会给很可怕的编舞师打电话,说“希望你能看看”」
──ただ、メンバー内ではローラースケートにかんして、「時代がちがう」って反発もあったらしいね。
「ありましたね。だから、ときには力ずくで説得して(笑)。“否定的なことだけ言ってても、何も始まんない。視点、変えてみろよ。これはチャンスなんだ”って」
——不过,我听说有成员对于轮滑鞋,反映说“时代不一样了”呢。
「有呢。 所以有时我们不得不坚定地说服他们(笑)。 说”只说否定的话的话,什么都不会改变。尝试改变你的观点吧。这是一个好机会。“之类的」
改めて思うけど、アイツいてよかったよ
再一次,我很庆幸有他在
──ただ、先にデビューしたのはHey! Say! JUMPだった。
「マジであせりましたね。だって“平成”だよ。俺、昭和生まれだもん。もうデビューできる可能性はないのかもしれないってショックで。メンバーにしても、A.B.C-Zにしても、やっぱヨロッてきてましたね。アッパーカットくらったみたいに。みんな、どうにか踏みとどまってましたけど」
——但是先出道的却是Hey!Say!JUMP。
「那时真的很着急呢。因为那可是“平成”啊。我可是在昭和时代出生的。我太过受打击,以至于觉得我们都没有出道的可能性了。成员们和A.B.C-Z都很失落。这就像一个上勾拳(一样打击了我们)。 不过,每个人都想办法稳住了自己的脚跟。」
──Hey! Say! JUMPのバックで踊ったりもしたよね。
「正直、悔しかったです。“自分たちに何が足りないんだろう”って考え続けましたね。でも、具体的な答えは見つからないから、今はバックだけど、このステージを見てくれている、ひとりでも多くの人に“キスマイっていいよね”って思ってもらおうってメンバーで話し合って。絶対に俺たちを見ていてくれる人がいるってプライドは持ち続けました」
——你们也曾经在Hey!Say!JUMP的背后当过伴舞呢。
「说实话,这很让人不甘心。 我一直在想"我们究竟哪里不够好“ 。但是我们找不到具体的答案,所以尽管我们现在在当伴舞,成员们谈到我们希望能让尽可能多的人在看到舞台上的我们的时候觉得”Kismy很棒“。 因为觉得肯定有人在关注我们,我们才保持着自豪感坚持了下去。」
──そんな中、転機はあった?
「俺たち、社長に“YOUたち歌えないからな~”って、ずっと言われてたんです。偶然なんですけど、僕が鼻歌を歌ってたら、前を歩いてたのが社長で。後ろをパッて振り向いて“北山!?”って。“どうかしました?”って言ったら、“なんでもない”って、そのまま行っちゃって。次の日、テレビの収録があったんですけど、“『ミッドナイトシャッフル』・北山宏光”って書いてあって。それでキスマイでいっしょに歌えることになって。そのステージで藤ヶ谷、すごくカッコよかったんです。それから、キスマイとして少しずつ歌わせてもらえる機会も増えて。藤ヶ谷はラップをするようにもなっていった」
——在这之中是否有一个转折点?
「社长一直对我们说:"YOU们不太会唱歌啊~" 。有个巧合,正当我哼着小曲的时候,社长正走在我前面。 他转过身来,说:"北山?!" 我说"怎么了?" 他说:"没什么"然后就走了。 第二天,有一个电视节目的收录,上面写着“『ミッドナイトシャッフル』北山宏光”。 因此,我们得以作为Kismy一起唱歌。藤谷在那个舞台上真的很帅气。 从那时起,就有越来越多以Kismy的身份唱歌的机会了。 藤谷也开始说唱了。」
──キスマイは、藤ヶ谷くんとふたりで引っ張ってきたイメージがあるよね。
「ずっといっしょだからね。最初は、下が何もできなかったし(笑)。俺と藤ヶ谷はずっと、“できる?”って言われて、“できません”って言ったこと、いちどもない。いろんなことをふたりで乗り越えてきた。だから、なんか言葉はいらなくて。心折れてるなってときとか、すごくわかる、アイツ。まだ4人だったとき、藤ヶ谷以外がCM決まったこともあったり。いろいろ思ってたこともあるんだろうなって。改めて思うけど、アイツいてよかったよ。今は、ほかのメンバーもいるし、つかず離れずみたいな、ホントいい距離だけど。アイツいなきゃ俺はいないし、俺がいなきゃアイツはいないしね」
——有你和藤谷君一起引领Kismy的印象呢。
「我们一直都在一起呢。 起初,年轻的那个人什么也做不了(笑)。藤谷和我总是被问到,“你能做到吗?” 我们从来没有说过“做不到”。 我们一起克服了许多事情。 这就是为什么我不需要什么语言来形容。当我心碎的时候,他总是很理解我。 当我们还是四个人的时候,有一次决定为除了藤谷之外的人拍摄广告。 我觉得他应该也有很多想法。 再一次,我很庆幸有他在。现在其他成员都在身边,我们拥有着就像分不开一般良好的关系。 没有他,我就不会在这里,而没有我,他也不会在这里。」
キスマイのためだったら誰に嫌われたっていい
如果是为了Kismy,我不会在乎谁厌恶我
──とはいえ、デビューは誰も保証してくれない。支えになったのは?
「滝沢(秀明)くんの存在が大きいかな。上で初めて仲よくなったというか、俺たちを必要としてくれた人だから」
——虽然是这么说,但是没有人能保证你们能出道。是谁支持了你呢?
「泷泽(秀明)是一个重要原因。 比起说他是第一个和我们打成一片的比我们年长的人,他是第一个觉得我们的存在是必要的人。」
──必要としてくれた?
「最初は、『DREAM BOYS』に出させてもらって。ちゃんと話したのは『滝沢演舞城』の初演のときなんですけどね。俺、とんがってたから目をつけられてたらしくて(笑)。そりゃ負けたくないもん。KAT-TUNにもNEWSにも、“ぜってー負けねー”ってのが、態度に出てたんだろうね」
——他觉得你们的存在是必要的?
「起初,我在『DREAM BOYS』中出演了。 直到『滝沢演舞城』的第一次演出,我才和他有了正式的交谈。 好像是因为我太尖锐了以至于他把目光投向了我(笑)。那是因为我不想输给其他人嘛。面对KAT-TUN还有NEWS他们,我也表明了我的态度,那就是“我绝对不会输给你们”。」
──そうだったんだ。
「滝沢くんに、メシに誘われて。“おまえが生意気じゃなかったら、俺はおまえと仲よくなってない”って言われた(笑)。でも、“生意気くらいじゃないと、この世界は生きていけない”ってことも」
——是这样啊。
「泷泽君邀请我出去吃饭。 “如果你不意气风发的话,我就没办法和你做朋友"他这样和我说了(笑)。 他也告诉我“如果不意气风发的话,就没办法在这个世界上生存”」
──そんなことがあったんだ。
「俺、キスマイのためだったら誰に嫌われたっていいって、ずっと思ってて。俺ががんばることが、少しでも目立つことが、キスマイのデビューに近づくって思ってたから。その姿勢が、滝沢くんには危うく見えたんだと思う。実際、俺のことよく思ってない人って多いと思うし(笑)。それ以来、滝沢くんが、俺や藤ヶ谷に舞台の重要な役とかをすごく任せてくれるようになって。自分たちを必要としてくれる人がいるんだって、すごく勇気づけられて」
——原来发生了这种事情啊。
「我一直觉得如果是为了Kismy,我不会在乎谁厌恶我。我认为我尽我所能,哪怕只是一点点脱颖而出,都会让我离Kismy的出道更接近一点。 我感觉到这种态度在泷泽君看来是很危险的。 事实上,我认为有很多人都不看好我(笑)。 从那时起,泷泽君就开始把舞台上的重要角色委托给我和藤谷。知道有人需要我们,这给了我们很大的鼓励。」
──なるほど。
「個人的には大倉(忠義)の存在も大きいかな。アイツとは、ずっと仲よくて。“おまえ、絶対いけるやろ”って、昔から言ってくれてた。“もし、おまえがジャニーズを去ろうと思うときがきたら、まず俺に言え”とも。何、カッコいいこと言ってんだって思ったけど、本気で言ってくれてたからうれしかったな。大倉の家で、47都道府県ツアーの写真集見せてもらったりもして。どれもすごくいい写真で、“俺たちも、いつかこんなふうになれんのかな”ってあせるのと同時に、“ぜってーデビューしてやる”って思ってた」
——原来如此。
「我个人认为,大仓(忠义)的存在也很重要。 他和我关系一直都很好。 他曾经对我说,“你一定会成功的”。 他还说,"如果你决定离开杰尼斯,你要先跟我说。" 我想他在说什么帅气的话啊,但是因为他说的是真心话,所以我很高兴。 在大仓的家里,他给我看了47个县的巡演相册。 所有的照片都非常棒,我在想“我们是否有一天也会像这样一样呢”的时候,同时又想“我们一定要出道”。」
自分の存在価値というか、生きてる意味を知った
第一次意识到自己存在的价值,或者说我生命的意义
──そして、ついに2009年には、単独ツアーをやってるよね。
「なんだろう、ツアーが決まったとき、“やっとスタートだ”って思ったんです。やっと社長に交渉できるラインに立ったって。それまでは、“デビューしたい”って言ったって説得力ないでしょ。言える立場じゃない。ちゃんとお客さんを集められて、自分たちの足下を固めて初めて言えるっていうか。チャンスを与えてもらったなって。“デビューしたい”とは、まだまだ言えなかったですけどね。でも、影さえ見えなかったデビューがチラつきました」
——然后,在2009年,(Kismy)有了单独的巡演呢。
「怎么说呢,当我们决定举办巡演的时候,“终于开始了”,我是这么想的。 终于我站在了一个可以和社长交涉的位置上。 在那之前说“我想出道”并没有什么说服力。没有站在可以说的立场上。只有当你吸引了一定数量的观众,并建立了自己的立足点之后,才能这样说吧。我们觉得我们已经得到了一个机会。 但是还没有说“我想出道”呢。 不过原本连影子都看不到的出道可能性现在终于能够瞥见了」
──その後、デビューまでの間に印象的だったことってある?
「横浜アリーナのステージ上で、ファンの前でやった記者会見ですね」
——在这之后,有什么在出道之前给你留下了印象的事情吗?
「我们在横滨Arena的舞台上,终于在粉丝面前举办了记者发布会呢」
──2010年3月のことだ。
「はい。“今後の目標は?”って宮田、俺、藤ヶ谷、タマ(玉森)の順番で聞かれて。俺、“デビューしたい”って言おうかなって思ったんです。そのセリフを言ういちばんいいタイミングをずっと探してたから。そしたら、宮田が一発目で“デビューしたい”って言ったから、“うわー、言っちまった! マジか!!”て思って」
——是2010年3月的时候的事情。
「是的。 宫田、我、藤谷和Tama(玉森)被依次问到:“你的未来目标是什么?" 我本来想说”我想出道“的,我一直在寻找说这句话的最佳时机。 然后,宫田作为第一个发言的人说了”我想出道“,当时我就想”哇,被抢先了!真的假的!!”」
──ずっと、タイミングを見計らってたのに(笑)。
「でも改めて考えたら、宮田が言ったからよかったんだなって。いつもニコニコして自己主張しない宮田だから、伝わる想いがあるなって」
——明明一直都在找一个好的时机(笑)。
「但是当我重新想了一下之后,感觉由宫田来说真的挺好的。 因为是一直都笑眯眯的,不主张自己的想法的宫田,感觉他有了想要传达的想法。」
──そうかもしれないね。
「もちろんメンバー同士で、前からデビューしたいって話は、ずっとしてて。“俺ら、もう何才だよ”って(笑)。でも、お客さんを前にした記者会見で、宮田が言う度胸があるとは思わなかったから。腹くくったんだなって」
——也许是这样呢。
「当然成员之间从以前开始就一直都在讨论想要出道的话题。我们当时想,"我们现在多都大了?"(笑)。 但是,我没想到宫田有能够在观众面前开记者见面会的时候将它说出来。我认为他真的很有决心。」
──ただ、デビューはそこからもう少し先になるよね。不安もあった?
「ずっとありましたよ。でも、ファーストツアーをやってからは、もう自分たちを信じるだけというか。ライブでもどこでも最高のパフォーマンスをするだけ。認めてもらうしかないから。失敗は許されないってプレッシャーもありましたけどね」
——但是,当时离出道还是有点远呢。你曾经不安过吗?
「一直都很不安。但是在第一次巡演之后,就觉得只能相信自己了。我们只需要在演唱会和其他地方都献上最好的表演。 我们必须被认可。也曾经承受过没办法允许失败的压力呢」
──そして結成から6年、2011年のツアーの東京公演のステージ上に、突然社長から茶封筒が届いた。
「俺が封筒を託されて、開けたら“CDデビュー決定”って書いてあって。その文字を見た瞬間、なんか実感がわかなくて。これを言葉にしたら、俺たちがずっとずっと抱いていた夢がかなう。なんか、メンバーにもファンにも、どうやって伝えていいかわからなくて。そしたら宮田とかがのぞいてくるから、“おいっ!”って(笑)。いろんなことが頭の中によみがえったんです。悔しかったこと、がんばったこと、ケンカしたこと…。そしたら、横尾さんに“長い!”って言われて。ちょっとは、ひたらせろよって」
——然后在结成第六年,在2011年巡演的东京站的舞台上,突然收到了一个来自社长的棕色信封。
「他们把信封交给我之后,我打开看到了里面写着“决定CD出道”。 在看到这些文字的时候,我都没有什么实感。如果把这些话说出来,我们长久以来的梦想就会实现。怎么说,我都不知道该如何告诉成员和粉丝们了。然后宫田和其他人看着我说,"嘿!"(笑)。我的脑海里浮现了很多事情。我后悔的事情,我为之尽力的事情,曾经争吵过的事情......。然后横尾桑对我说:"太长了!"稍微有些飘飘然了 」
──発表の瞬間、ファンも大よろこびだったね。
「不思議な感覚でした。なんか、自分のことなのに、自分のことじゃないような。俺がうれしいと、ファンの人たちもこんなにうれしいんだって。会場中の笑ったり、泣いたりしてくれるファンの顔が見えて。俺、人に感動を与えたいとか、元気をあげたいって思って、この世界に飛び込んだから。“本当に、そういうことできてるんだ”って。それまで全然、実感はなかったけど、そのとき、初めてなんか、大げさかもしれないけど、自分の存在価値というか、生きてる意味を知ったというか」
——发表的时候,粉丝们也非常高兴呢。
「那是一种很不可思议的感觉。怎么说, 虽然这是关于我的事情,但又感觉不像是关于我的。当我高兴的时候,粉丝们居然也这么高兴啊。我可以看到整个会场上粉丝们的笑脸和哭脸。 我进入这个世界是因为我想感动人们,给他们带来欢乐。我想,"原来,真的可以做到这样的事情啊"。 在那之前,我根本没有真正感受到,但在那一刻,也许是有点夸张,但我第一次意识到自己存在的价值,或者说我生命的意义。」
──デビューまで、長い長い道のりだったね。
「長かったのかな……。なんか俺、ずっと孤独だと思ってたんですね。グループのためだと思って、言いたいこと言ってきたし、やってきたし。でも、デビューが決まったら、よろこんでくれるファンが大勢いた。それに、“いけると思ってたよ!”って、屋良(朝幸)くんとか辰巳(雄大)とか、いろんなJr.からメールがきて。それ見て、すごく泣きそうになっちゃって。こんなにちゃんと俺と向き合ってくれる仲間ができてたんだって。俺は胸を張ってデビューしようって誓いました」
——在出道之前,走了很长一段路呢。
「长吗..。不知道为什么,我觉得我一直是孤独的。 想着这是为了组合,所以我说了我想说的,做了我想做的。 但是,决定出道的时候,有很多粉丝都很高兴。 我收到了来自屋良(朝幸)、辰己(雄大)和许多其他Jr.的电子邮件。他们说,"我就知道你能做到!" 看了这些之后,我马上变得很想哭。我居然能拥有一群对我如此开放和诚实的朋友。 我发誓会昂首挺胸地出道。」
“悔しい気持ちは宝物”友からのメッセージ
“不甘心的心情是宝物”从朋友那里收到的信息
──25才でのデビューは、当時の最年長記録だったよね。
「俺には俺のペースがあるって思ってた、ずっと。年令ってあんま関係ない。Jr.に遅く入ったし、“俺は、絶対何か持ってる”って信じてたから。何度もまわりにバカにされたり、“年、いってんじゃん”って言われても、“おまえに俺の何がわかるんだよ”って思ってた」
——在25岁才出道,是当时的最年长记录呢。
「我一直认为我有自己的节奏。 我认为这和年龄没什么关系。因为我很晚才加入Jr.,所以我觉得“我一定有什么特别之处”。无论人们多少次取笑我,告诉我“你太老了”,我都会想“你懂什么”。」
──じゃあ、最年長デビュー記録って、ある意味で勲章だね。
「うん。俺、デビュー前に友だちに、“悔しい気持ちは宝物だよな”って言われたことがあって。考えてみたら、俺ずっと悔しかった。その悔しい想いが、めちゃめちゃエネルギーになったし、バネにもなった。悔しさを忘れなければ、いつまでも上をめざせる。悔しかった日々を思い返せば、いつだってスタートラインに立った気持ちに戻れる。すごく心にしみたメッセージでしたね」
——那么,从某种意义上来说,最年长的出道记录是一个徽章呢。
「是的。在我出道之前,一个朋友曾经告诉我“感到不甘心是一种财富“。 重新想想,我一直都很不甘心。这种挫折感给了我很大的能量,也成为了一个跳板。 如果不忘记挫折,那么就总是能够向更高的目标前进。回想一下那些令人沮丧的日子,总能找回在起跑线上的感觉。 那是一个很触动我的信息呢。」
──じゃあ、Jr.のころの自分に、もし何か伝えられるとしたら?
「ひと言だけ伝えるとしたら、“もっと悩めば?”かな。俺らはデビューまで本当に悩み続けた。いろんな先輩とかグループのデビューを見送って。それこそ、グループを3つも4つも。だからこそ、“じゃあ自分たちはどうあるべきか”っていうのが、デビュー1年目から7人ともわかってた。それぞれがいろんな葛藤をして、挫折をして、失敗を繰り返して、悩み続けてデビューしたから」
——那么,你有什么想要和Jr.时候的自己说的事情吗?
「如果要说一句话的话,我可能会说:"多烦恼看看?“吧。 我们直到出道之前都一直很烦恼。我们见证了很多前辈和组合的出道。我们有三、四个组合。 这就是为什么我们七个人从出道的第一年起,就知道”那么我们应该怎么做呢“。 我们每个人都是在经历了各种挣扎、挫折、反复失败,挥之不去的烦恼之后才出道的。」
──今のJr.にアドバイスするなら?
「“信じて続けろ”ってことかな。走り続ければ、絶対何かが待ってる。俺は、サッカーを10年やって途中でやめた。何が残ったかって言ったら、形としては何も残らなかった。でも、情熱を傾けた日々や、チームメイトと泣いたり笑ったりした日々は消えない。一生懸命になれることの素晴らしさを、10年を通して学んだから。それは、どんな世界で生きていくにしても、大切なことだと思う。だから、願った形で花が咲かないとしても、最後まで走り続ければ、振り返ったとき後悔しないはずだから」
——如果要给目前的Jr.建议的话?
「我可能会说“相信自己并继续吧”。如果你继续前进的话,肯定有什么正在等着你。我踢了10年的足球但是中途退出了。如果你问我留下了什么,没有留下任何有形式的东西。但是,那些充满激情的日子,那些与我的队友们一起哭泣和欢笑的日子,永远不会消失。 通过这十年,我认识到了拼尽全力去做一件事情的美好。我认为这一点很重要,无论你生活在什么样的世界。 因此,即使花朵没有按照我希望的方式绽放,只要坚持跑到最后,回头看时也不会后悔。」
──じゃあ、これから個人とグループで、どうなっていきたい?
「グループとしては、本当にSMAPさんレベルになりたいというか。誰もが知ってるだけじゃなくて、愛されるグループになっていきたいですね。たとえば、宮田が風邪で収録を休んだのをテレビで知ったどこかのお母さんが、“宮っち、大丈夫かしら。心配だわ”って思う距離感というか。ロケで出会ったら、おじいちゃんも、おばあちゃんも、子どもも、みんなが笑顔になってくれるグループというか。“どうもー”って話しかけてもらえるようになりたいです。決して気取らず、もうつっぱらず」
——那么,在这之后想成为什么样的个人和团体?
「作为一个团体,我真的希望能达到SMAP桑的水平。我们不仅希望被大家熟知,而且希望成为一个被大家喜爱着的团体。 例如,当一位母亲在电视上得知宫田因为感冒而休息的消息时,她会想:"Miyachii没事吧。我好担心“这样的距离感。当我们在拍外景时,我希望我们是一个能够让爷爷们,奶奶们,小孩子们,能够让大家都欢笑的组合。我希望能够与他们交谈并说 "你好"。 我不想自命不凡,也不想再飘飘然了。」
──個人的には?
「MCをやっていきたいですね。僕、勝手に中居(正広)さんを師匠だと思ってて(笑)。『ハンドク!!!』以来、なりたい自分を久しぶりに見つけたんで。デビューして初めてひとりでバラエティーに出たとき、中居さんが司会だったんです。俺、“マジ、ここ戦場だな”って思って。求められるトークスピード、めちゃくちゃ速いんです。それを仕切るってすげーなって。友だちに“将来、MCやりたいんだ”って言ったら、“おまえにはできへんやろー”って笑われて。高校の同級生、小池徹平なんですけどね(笑)。でも、“だから、おもしろいんでしょ。見てろよ”って。まわりが“まさか、あの北山がここまでやるヤツだとは!”って思うことをやったほうが、やりがいがあるでしょ?」
——那对于个人来说呢?
「我想成为一名主持人呢。 我自认为中居(正广)桑是我的老师(笑)。 (笑)。 从『ハンドク!!!』以来,我在很长一段时间里第一次找到了我想成为的人。 当我出道后第一次独自出现在一个综艺节目中时,中居先生是主持人。 我想,"真的这里就像战场一样“。追求的谈话速度非常快。 我觉得负责这个工作很了不起。 当我告诉我的朋友”我将来想做主持人“时,他们笑着对我说:"你做不到的吧——"。 我告诉的是我的高中同学,小池彻平呢(笑)。 但我说:"这就是为什么它很有趣,不是吗? 你们看我的吧。" 如果能做到我周围的人都说:"没想到,那个北山居然是能够走到这一步的家伙!"的话, 就会很有成就感吧?」
──最後に、高校の入学式では雲の上の存在だった山下くんとの距離、今はどう感じてる?
「今も山下はすごい。すごいって思うけど、でもどっかで絶対負けないよっていうのはあります。山下にしかできないことがある。だけど、俺にしかできないこともある。比べることじゃないし、俺は自分が弱いから、メンバーがいて、そのお陰でいろんなことができてる。インタビューの最初のほうで俺、“人って平等じゃない”って言ったのおぼえてます?」
——最后,你对于上高中时正处于云端的山下君的距离,现在是怎么感觉的?
「山下还是很了不起。虽然我仍然认为他很了不起,但有一部分人说我绝对不会输给他。有些事情,只有山下能做到。但有些事情只有我可以做到。这不是在比较什么,而是因为我自己很弱小,托成员们的福,才能够做到许多事情。 记得在采访开始时,我说过“人与人之间是不平等的”吗?」
──うん。
「それは今でも思ってて。人の生まれ持ったタレント性や才能って、平等じゃない。だけど、夢を持って走り続けたら、チャンスは誰にでも平等に訪れるって思うんです」
——嗯。
「我现在仍然在思考这个问题。人们的天资和天赋是不平等的。但我认为,如果你继续怀抱着梦想坚持的话,机会对每个人来说都是平等的。」